一方通行な支援関係

 ――知らなかった、そんなこと。
   ただ、いつも不思議には思っていた。


「うりゃあっ!」
 その大声と勢いに押され、兵士は槍を持ったまま避ける事もなく、斧をまともにくらって倒れた。兵士は倒れたまま動かない。これで終わりか、と息をついたボーレは、もう一度斧を構え直した。
 ――油断するな、俺。
 そう心の中でもう一度言い聞かせる。自分でもそういうことを言い聞かせるのは珍しいと思いながらも、念のためにもう一度気を引き締め直す。この辺りの敵は一掃できたが、まだいるはずだ。草むらに隠れて機会を窺っている者、通り道を防いでいる者。どれも彼女にとっては障害になるものだった。
 彼女――傭兵団の一員で、現団長アイクの妹、ミスト。
 ミストは先日、仲間の回復に向かう途中で待ち伏せしていた兵に気付かず、まともに攻撃をくらって倒れてしまった。
 幸いにもそばに他の仲間がいて援護をしてくれ、命は助かったようだが、その傷は一日そこらで治るようなものではなかった。一週間前までキルロイの看病を受けていてそれから復活したのだが、彼女の危険までが全て消え去ったわけではない。
 ミストが倒れた経緯を聞いたボーレは、心の中で誓っていた。ミストが行く先に待ち伏せている敵を、俺が一掃してやると。自分でも、何故いきなりそんなことを思ったかは分からない。ただミストを守りたい、ボーレの心の中にあったのは、それだけだった。
 神経を尖らせて周囲に気を配っていたボーレは、ふと敵の気配を感じた。自分が向いている前の方にいる。隠れているつもりなのだろうが、ボーレには全てお見通しだ。ボーレは斧を握り直すと、その方向に向かって慎重に足を進めた。
 必ず、いる。この気配は間違いなく敵の者だ。油断しているのか、その気がいやというほど伝わってくる。
 ボーレはついに、その姿を確認した。ただの見回りなのかそれとも待ち伏せしているのか、きょろきょろと辺りを見回している。もちろん槍を構えてはいるが、すぐに戦闘態勢に入れるような格好ではない。
 いただきだ、とボーレは思った。相手を見下してすぐに油断するから負けるのだと、アイクがそう言っていた事が何度かあるが、その通りだとボーレは思う。
 こちらの姿を敵にさとられないよう注意しながら、やっとあと何歩か踏み出せば斧が届きそうな距離まで近づけた。これで終わる。ボーレはそう思いながら、ザッと足を踏み出した――。
 その瞬間だった。
「ボーレ!!」
 なんだ、と思った時には、背中を撃ち抜かれていた。矢がざくりと刺さっていて、次第に痛みがしみてきた。呻きながら背後を見ると、そこには弓兵の姿があった。余裕の笑みを浮かべている。ボーレは斧で反撃しようと思ったが、思うように体が動かない。
 ――油断したのは、俺の方だったか……っ
 膝をつき、どさりと倒れ込む。薄れる意識の中で、ボーレは何度も自分を呼ぶ少女の声を聞いた。
 ――ボーレ……ボーレ……ボーレ……


 おかしいな、と思う事がよくあった。
 兄のアイクは団長だけでなく、指揮官も務めている。いつも敵の気配に気をつかって、戦えないミストを敵の攻撃が届かない安全な場所に誘導してくれるのだが、それでもおかしいと思っていた。
 自分が行く先に、敵の姿が全く見えないのだ。ほとんど、ではない。一人もいない。相手の兵の数はこちらより上回っているはずなのに、ミストの行く先には一人もいないのだ。いくらなんでもおかしい。でもその理由が全くわからなくて、ミストはいつも首を傾げるばかりだった。
 ――誰かが、倒してくれているのかな?
 そう考えはしたが、それが誰なのかまでは見当もつかなかった。
 だが、今日、その誰かが判明することになった。
 ミストがアイクに言われた場所に待機しながら、きょろきょろと辺りを見回していると、その視界の端にボーレの姿が映ったのだ。道なりに行けば、ミストが今度動くはずの場所である。もっとよく見てみると、ボーレはその辺りにいる敵に向かって、必死に斧を振り回していた。
「ボーレ……?」
 もしかして、自分が行く先の敵を倒してくれていたのはボーレだったのではないか、という想像が頭をよぎった。
 でも、何故。その理由が見つからない。アイクがそうボーレに命じているとは思えない。いくらボーレが強いからといって、戦場に一人放り出して敵を倒させるなど、自殺行為に近い。兄なら自分を含めてもっと多くの人を動かし、うまく戦力を分散させながら戦うはずだ。
 では、何故なのだろう。
 その疑問を解決するべく、ミストは敵の姿に気を配りながら、慎重にボーレの方へ近づいていった。
 ボーレに近づいて声をかけようとした時、ミストは矢を構えている弓兵を見つけた。そのきらりと光る鋭い矢がボーレを狙っていると気付いた瞬間、ミストは思わず大声を上げていた。
「ボーレ!!」
 ボーレがその声に反応した時には、既に矢が彼の体を貫いていた。弓兵の方を振り向き、傷口を押さえて呻きながら斧を振り上げようとしていたが、がくりと膝を折り、その場に倒れ込んでしまった。ミストはその弓兵に構わずボーレに近寄り、必死に彼の名を呼びながら体を揺すった。
「ボーレ、ボーレ、ボーレっ!!」
 何度呼んでも返事はなく、ミストは涙目になりながらライブの杖を取り出した。精神を集中させて杖の効果を発揮させようとしていると、あの弓兵が今度はミストを狙ってきた。そのせいで精神集中ができなくなり、どう頑張ってもうまくいかない。
 ついに弓兵がミストに向かって矢を放ってきた瞬間、ミストは目を閉じた。
 ――だめ……!
 しかしその矢は、ミストに当たらなかった。かわりに大きな影ができ、ミストはあっと声を上げた。
 目の前には兄アイクが立っていて、その矢を間一髪で振り落としていた。ひと息ついて弓兵を追い、剣を放って弓兵を倒す。ミストが杖を持ったままアイクの背中を見つめていると、彼はミストの方に駆け寄った。
「大丈夫か、ミスト!?」
「う、うん。わたしは大丈夫だけど……」
 ミストはそう言って、ボーレの方に視線を移す。彼は目を閉じたまま動かない。アイクはミストにつられてボーレの方に視線を移し、驚いた顔をして叫んだ。
「ボーレ!?」
「お兄ちゃんが倒した兵にやられたの。杖、使おうと思ったんだけど、今度はわたしが狙われてて――」
 そこまで早口で言うと、アイクは切羽詰まったような顔をしてミストに命じた。
「今なら大丈夫だろう、早く杖を使ってやれ!」
「う、うん!」
 ミストは再び精神を集中させ、杖を使った。杖に光が灯り、あっという間にボーレの傷口がふさがる。しかし完全に回復したわけではなさそうである。アイクはボーレの肩を持ち、現在アイクたちの軍が拠点を構えている場所に足を進めた。ミストはその後に続きながら、涙が溢れてきそうになるのを必死にこらえていた。
 ――ボーレ、お願い……目を覚まして……!


「う……ううん……」
「ボ、ボーレ!」
 ボーレが唸りながら目をうっすらと開けたのを見て、ミストは椅子から立ち上がった。名を呼ばれ、ボーレはミストの方に視線を送って、う、と再び呻いてから言葉を発する。
「ミ、ミスト? ここは……」
「……ボーレたちの天幕の中だよ」
 ミストは目を伏せて、静かにそう言った。どことなく悲しそうな横顔だった。
 それを聞いてからボーレは次第に目を開いていき、肘を地につけてゆっくりと起き上がろうとする。ミストは慌て、それを制止した。
「ダ、ダメだよ! ちゃんと寝てなくちゃ!」
 ちょうどそう言ったところでボーレが背中を押さえて呻き、どさりと布団の上に再び寝転んだ。ミストはため息をつき、心配そうな顔をして言う。
「まだ傷が完全に治ってないんだから、今日はあまり起き上がらないで。傷口がまた開いちゃう……」
 言葉を発するミストが次第に涙声になってきているのを受けて、ボーレは慌てた様子で起き上がった。
「お、おい!? わ、分かったから、泣くなよ」
「だってぇ……」
 ミストの目からほろり、と雫が伝った。誰から見ても間違えようのない、これは涙である。これまたボーレの方もそのことに明らかに慌てていて、口をぱくぱくしながら、何を言えばいいのか戸惑っている様子だった。
 ミストは嗚咽をもらしてしばらく泣いていたが、その途中で嗚咽をまじえつつ、ボーレに訊いた。
「ボーレ、なんであんなところに一人でいたの? お兄ちゃん、あんなところに行けなんて命令した覚えはないって言ってたよ?」
 ボーレは予想外の質問にうっ、と詰まった。泣き続けるミストから視線を外し、答えにくそうな顔をする。それもそのはず、『お前を守りたいと思ったから』なんて、ボーレが簡単に言えるような言葉ではない。だがここで、その言葉をかわして別の理由を口にできるほど、今のボーレの頭はうまく回らなかった。何をどう答えるべきか迷っている様子で、ボーレが落ち着きなく視線を動かしていると、ミストは泣きやみ、悲しそうな目をして口を開いた。
「……わかんないよ」
「ミスト?」
 何が、という質問を口にしようとしたボーレだったが、ミストが続けた言葉に遮られた。
「わたし、わかんないよ。ボーレが話してくれなきゃ、何もわからない……」
「ミスト……」
 ボーレは迷ったが、またミストが泣きそうな気がして、次の瞬間には言葉が飛び出していた。
「だ、だから、俺は! その……お、お前が鈍くさいから!」
「えっ?」
 かあっと赤くなりながらほとんど叫ぶように言ったボーレの言葉に、ミストはきょとんとした様子である。いつものミストならここで反撃がくるはずだから、ボーレはさっと一瞬身構えたのだが、ミストは口に手を当てたまま、ぽつりと呟いた。
「わたしのために、あんなことしたの?」
「ち、違う、そうじゃなくてだな――」
 慌てて弁解しようとしたボーレ。しかし続く言葉は見つからず、心の中では冷や汗がたれるばかり。何か言わなくてはと思って焦っていると、急にミストがきっとボーレを睨んだ。ボーレはその視線の鋭さに、思わず縮み上がる。
「ミ、ミスト?」
「ボーレ……っ」
 ミストは一度息を吐くと、ほとんど叫ぶように言葉を発した。
「あんな危ないこと、なんで一人でしたの!?」
 ミストは真剣に怒っている様子だった。いつもとは違う彼女の怒りの表情に、ボーレは少し押されそうになる。何か別の言い訳を考えなくてはと思い、ボーレは口が動くままに話し出していた。
「でもよ、今まで俺一人でもなんとかなってたからさ、実際」
 それを聞いたミストが驚いたようにはっと目を見開いたが、ボーレは更に続けた。
「今日はちょっとしくじっちまったけど、また一人でもなんとかな――」
「ボーレのバカぁっ!!」
 少し苦しい笑みを見せながら話していたボーレの言葉を遮り、ミストが再び叫んだ。ボーレの顔からはあっという間に笑みがなくなり、彼ははっとしてミストを見つめた。ミストは再び泣きそうになるのをこらえている様子で、ボーレは内心冷や汗ものだった。
 少しの間があってから、ミストはゆっくりと口を開いた。
「死ぬかも……しれなかったんだよ……?」
 確かに矢が刺さった場所がもう少しずれていれば、急所に当たっていたかもしれない。
「ボーレがそんなことになったら……わたし、本当に……」
 呟くように話すミストの目からは、涙が溢れだした。ボーレはその涙に戸惑うのではなく、ミストがいつもは見せない顔でそう話しているのを、罪悪感に満ちた瞳で見つめていた。
「ミスト……悪かった」
 今までの勢いもなく、ボーレは呟くように言った。ミストはそれでも反応を見せない。
 二人は黙ったまま、ボーレはミストを見つめミストは涙を流し続けた。


 しばらくして頬に落ちた涙をぬぐったミストは、少し口を尖らせて言った。
「……ボーレがそう言うんだったら、わたしも勝手にするからね?」
「え? するって、何をだよ?」
 突然のミストの言葉に、ボーレはきょとんとなる。ミストはもう一度残っていた涙をぬぐい、ボーレを見つめて口を開いた。
「ボーレに、ついていくから。わたし、誰かに守られてばかりいる役立たずじゃないもん」
 更に予想外の言葉を突きつけられ、ボーレは目を大きく見開いて驚いたような表情を見せた。
「は、はぁ!? なんで俺に……」
「ボーレ一人じゃ危ないんだもん!」
 ミストはそう言ってから、いつもの笑顔の十分の一くらいの微かな笑顔を見せた。
「それにわたしがいた方が、安心して戦えるでしょ?」
 それは、本当に微かな笑顔だったけれど。
 ボーレが赤くなるには、十分なほどだった。
「そ、そんなのお前、また倒れたらどうすんだよ!」
 なんとか照れを隠すために怒鳴るふりをしてみるが、ミストの強い意志は変わらないらしかった。
「ボーレが反対したって、絶対についていくから!」
 それに、とミストは付け加え、二分の一くらいになっていた笑顔を、すっと満面の笑みに変えた。
「ボーレが、守ってくれるんでしょ?」
「……っ!!」
 とどめの、一撃だった。
 その言葉は、あの弓兵の攻撃よりもボーレの精神に衝撃を与えるものだった。ボーレは頬を真っ赤に染めて激しく動揺し、しばらく何かをぶつぶつと呟いていた。ミストはそんなボーレの様子を、くすくすと笑いながら見つめている。
 しばらくそうした後、ボーレは投げやりになった様子でふいっと横を向き、口を尖らせた。
「か、勝手にしろ!」
 それはもちろん、承諾の返事。
 ミストはそれを聞いて、再び満面の笑みを浮かべた。
「……ありがとう、ボーレ!」
 そう言うなりボーレの胸に飛び込んできたこの少女を、ボーレは更に慌てつつもしっかりと受け止めていた。そうしていると、今まで青年を苦しめていた背中の傷の疼きが、少女の温もりで癒されたような気がする。
 ボーレは優しい目でミストを見ながら、彼女に聞こえないように何かを呟いた。
 彼女を守りたいという、その意志を表す言葉を。
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