「結婚おめでとう!」
祝福の言葉と共に、色とりどりの花びらが人々の手から舞い上がり降り注ぐ。
道の両端に並んだ彼らの間をゆっくりと歩きながら、花婿と花嫁はとびっきりの笑顔を振りまいていた。
花婿――シュルクは白のタキシードを着て、いつもより少しばかり胸を張って歩いていた。彼の普段の穏やかな姿を知る人々は、それを微笑ましくも頼もしくも思った。
花嫁――フィオルンは純白のドレスを身に纏っていた。頬と唇に差した紅はオドリンゴのように美しく映え、普段とは違う上品さすら感じさせた。
巨神界と機神界に生きる全ての生命を救った英雄達の結婚式には、様々な種族の者達が駆けつけて祝福した。ホムスはもちろんのこと、ノポン、ハイエンター、
彼らのかつての仲間達も、無論、例外ではなかった。
「よう。シュルクもフィオルンもその格好、珍しく似合ってんぜ?」
「もう。こういう時くらい素直にお祝いの言葉を言いなさいっての」
ラインがいつもの軽口を叩けば、隣に立つカルナがそれをたしなめる。ラインが悪い悪い、と苦笑しながら頭を掻いた。
「シュルクもフィオルンもおめでとうな。幸せになれよ!」
「二人とも、おめでとう。幸せな家庭を築いてね」
「ありがとう」
シュルクとフィオルンはそのやりとりを微笑ましく眺めつつ、礼を言った。
「シュルク! フィオルン! 結婚おめでとうなんだも! ところで、子どもは何人欲しいも?」
リキの口から飛び出した予想外の質問に、二人は思わず顔を見合わせる。隣に立つメリアが二人の様子を察し、苦笑した。
「リキ、それはあまりに気が早すぎるのではないか? 二人も困っているだろう」
「あー……その、とりあえず、子どもは何人いてもいいものだも! えへへ……」
リキがごまかすように笑うのを微笑ましく見つめた後、メリアは二人と向き合った。
「シュルク、フィオルン、おめでとう。幸せになるのだぞ」
「ありがとう、メリア。リキも」
フィオルンから礼を言われたリキは、嬉しそうにぴょんと飛び跳ねた。
列の最後に立っていたのは、一番近くで二人を見守ってきた人物――ダンバンだった。
彼に皆の視線が向かい、そして誰もが、いつもと違う様子であることに気づいた。何かを堪えるように唇を噛み、表情はマスクが張り付いたかのように固まっている。妹のフィオルンだけは、それが、涙を堪える兄の表情そのものであると気づいた。兄は涙もろいくせに、人前で泣くのが大嫌いなのだ。
「シュルク、フィオルン、おめでとう」
努めて平静を装ったつもりだったのだろうが、その声が上ずっていることに、その場にいた全員が気づいた。フィオルンはにこりと微笑み、兄の手を取った。
「ありがとう。お兄ちゃん」
その瞬間、彼の表情は決壊した。張り詰めていた表情が揺らぎ、刹那、顔を隠すように俯いたけれど、その頬から透明の雫が伝い落ちるのを、皆、はっきりと見た。
その後からもらい泣きする人々が続出し、再びその場は騒がしくなり始めた。段取り通りにことを進めようと、フィオルンの近くに立ったカルナが人々に呼びかける。
「はいはい! 皆さん、花嫁のフィオルンから、幸せのお裾分けよ!」
泣き顔だった人々の表情が笑顔に変わり、フィオルンの少し離れた場所に一斉に集まった。ブーケトスが始まるのだ。
フィオルンは皆に背を向けて、一呼吸置いた後、思い切り天に向かってブーケを振り上げた。
フィオルンの手から離れた白いブーケは、晴れた蒼穹を舞い――
ぱさり、と落ちた先は、メリアの手の中だった。そこにいた全員が一斉に、メリアの方を向いた。一瞬、時が止まったかのように思えた。
「よかったわねえ」
隣にいたホムスの老婆がメリアの肩を叩くと、一斉に大きな拍手がわき起こった。メリアはぱちぱちと数回瞬きをした後、どんな顔をしていいかわからないとでも言いたげに、曖昧な笑みを浮かべた。
その日の夜。
シュルクとフィオルンは居住区に構えた新居へ移ったため、空室となったダンバン邸のフィオルンの部屋には、カルナとメリアが泊まることになった。ラインはジュジュを連れ、自分の部屋へと連れて行った。
二人とおやすみの挨拶を交わし、部屋に戻って休んでいたダンバンは、どっと押し寄せた疲労と興奮とで、なかなか寝付けなかった。泣くまいと堪えていた涙が決壊してしまった後は、気の置けない仲間達と酒を飲みながら、感情を思う存分解放させた。ダンバンってこんなに泣く人だったんだな、とラインが言うのを、悪いか、と開き直るほどだった。リキが酒を勧めてくるのを、断りもせず飲み続けた。幸い酒には強いので悪酔いはしなかったが、こうしてベッドに入った後も頭はぼうっとしているし、顔の火照りもまだ残っているようだと、ダンバンは左手を頬に当てて小さくため息をついた。
その時、家の扉の開く音が聞こえて身体を起こした。誰かが訪ねてきたのかと思ったが、窓の外を見ると、メリアが一人で外へ出て行くのが見えた。彼女はそのままコロニー9の外に出る橋を渡り、見晴らしの丘公園の方に向かっていった。
こんな夜中に何をしに行くのだろう。疲労感はあったがまだ眠れそうにないと感じたダンバンは、階下へ降り、彼女の後をつけることにした。
火照った頬を、涼しい風が撫でていく。夜のひんやりした空気が、ダンバンの酔いを少しずつ覚ましていってくれるような気がした。長い坂を上り、少し息が上がるのを感じながら、ダンバンは公園に到着した。
メリアは柵の前に立って、コロニー9を見下ろしていた。いつだったか、私はここが好きなのだ、と微笑みを交えて語っていたのを思い出す。コロニー9の復興のため、ハイエンターの技術を使って様々な手助けをしていてくれた頃、彼女がここで休憩している姿を何度も見たことがある。
あの時の彼女は、こちらも思わず頬が緩むほどの穏やかな表情をしていた。だが――メリアに話しかけようとして、ダンバンはふと、足を止めた。あの時とは明らかに違う雰囲気を感じ取ったのだ。
例えるならそう、昼間自分が張り詰めた表情をしていた、あの時のような――
「……ダンバンか」
その時、こちらに顔を向けることもなく、メリアがそう言った。どうやらとっくに気付かれていたらしい。ダンバンは今更隠れることもあるまいと、彼女の隣に並び立った。
「すまん。お前が出て行くのが見えたから、気になってな」
「いや。それより、眠らなくても平気なのか? あれだけ酒を飲んで、疲れているように思えたが」
「それが、情けないことに眠れなくてな。疲れはあるんだが……」
ダンバンがそう言って苦笑すると、そうか、とメリアは穏やかな声を出した。
「今日は来てくれてありがとうな、メリア」
ダンバンが改めて礼を言うと、メリアは小さく笑った。
「一緒に戦った仲間達の結婚式だ、私が出席しない理由があるまい?」
「それはそうだが、お前のところも大変なのに、わざわざ来てくれただろう」
「気にすることはない。そなたたちは私にとって、かけがえのない友なのだから」
彼女の口から素直に出た“友”という言葉にこの上ない心地良さを感じ、ダンバンは笑った。
メリアは目を細め、コロニー9を見下ろしていた。彼女の横顔をそっと盗み見て、ダンバンはやはりいつもと違う、とその変化を感じ取った。コロニー9に生きる人々や街の喧騒を愛おしげに眺めていたあの頃とは違う。胸の締め付けられるような思いに駆られているのに、昼間のダンバンのように、それをなんとか押さえつけて表に出ないようにしているようだ、と感じた。
「メリア、――」
「なあ、ダンバン? 昼間、私がフィオルンから受け取った花束は……特別な意味があるそうだな」
ダンバンの言葉を遮り、メリアが明るい声を出した。
「カルナから聞いた。花嫁が投げた花束を取った人間は、次、結婚し幸福になれるのだと」
「ああ……そうらしいな」
「……私は、幸福になれるのだろうか」
メリアの唇は、かすかに震えていた。少しずつ、ほんの少しずつではあるが、虚勢を張るかのようなその表情に、ほころびが出始めていた。
「兄上は私の望む通りに生きろと仰った。私の決める未来こそが、ハイエンターの希望なのだから、と。生き残ったハイエンターの者達と共に皇都を復興することは、私の望みであり第一目的だ。それは変わらない。だが――時折、考えてしまうのだ。私の本当の望みとは、果たして本当に、それだけなのだろうかと」
メリアは静かに目を伏せた。
「皇太子としての立場上、多くを望めないことは理解している。だが、それでも考えてしまうのだ。私の望みとは、私の決める未来とは、一体何なのだろうかと」
「メリア……」
装った言葉の中に彼女の思惑がいくつも秘められていると感じ取ったダンバンは、それ以上何も言えずに口をつぐんだ。
ダンバンはいつだったか、彼女との会話の中で何気なくシュルクの名前を出した時、頬を赤らめながら何故シュルクの名を出すのだ、と過剰に反応していたのを思い出した。はっきりと彼女の口から聞いたことは一度もなかった。なかったが、この瞬間何かが、ダンバンの頭の中で一つに繋がったような気がした。
「メリア、お前は、」
シュルク、という名を出そうとした瞬間、メリアは強くかぶりを振った。そうして、あらゆる感情を振り切るように、不自然なほど明るい声を出した。
「未練があるとか、ここからどうしたいとか、そういうことではないのだ。ただ――私の思いはここで一つ結論が出たのだなと、そう思っただけだ」
メリアの瞳はずっと遠くを映し出しているように思えた。けれども――その瞳の色が蝋燭の火のように揺らぐのを、ダンバンは見た。
「メリア。――強がるなよ」
静かに息を呑む気配があった。刹那――薄紅の差した頬に、つ、と一筋の光が流れた。
慰めるつもりでメリアの肩に何気なく手を置いたダンバンは、その感触に思わず目を見開いた。
こんな小さな肩だったのだ。ハイエンターの皇太子は、こんなにも小さな肩に、すべてを背負っていたのだ。
先の戦いで、彼女は父も兄も喪った。彼女が守るべきハイエンターの者達も、一部を残して皆テレシアと化した。過酷な運命に巻き込まれながら、それでも彼女は折れなかった。その芯の強さに、自分はどこか安堵しきってしまっていたと、認めざるを得なくなった。本当はこんなにも小さな肩で、必死に重いものを背負いながら、弱音も吐かず、否、吐けずに生きてきたというのに。
ダンバンは強がるなよ、などと言い放った自分の口の軽々しさを恥じた。
「……すまん」
ダンバンが手を離し謝ると、メリアは不思議そうに笑いながら顔を上げた。
「なぜ、謝ることがある?」
ばつの悪さゆえ落ち着きなく動くダンバンの瞳をどう解釈したのか、メリアは自嘲するように笑って、小さく溜息をついた。
「詫びるのはこちらの方だ。めでたいことがあったばかりだというのに、このような見苦しい姿を見せるなど、あってはならなかった。私の失態だ」
すまない、と短く言ってダンバンに背を向け戻ろうとしたメリアを、ダンバンは思わず引き留めていた。掴んだ彼女の腕は華奢だった。見た目通りの、年相応の少女なのだ、とダンバンは改めて感じていた。同時に、ダンバンの胸に、悲しみがどっと押し寄せた。
「好きなだけ、ここにいればいい。お前の気が済むまで」
そうしなければ、この華奢な身体は壊れてしまう。そんな気がした。
「邪魔なら、退こう」
「いや――」
意外にも、メリアは首を横に振った。
「ダンバンがもし、構わぬのなら、ここに……いてほしい」
ダンバンは一瞬目を見開き、そうして、彼女の思いを悟ったように、静かにうなずいた。
「ああ」
二人はもう一度、柵の前へと並び立った。メリアは柵に手をかけ、小さな身体を預けると、唇を震わせて、静かに泣き始めた。しばらくは寄り添うだけであったダンバンだったが、堪えきれず、彼女の小さな肩を守るように、力を込めて自らへと強く引き寄せた。メリアは抵抗しなかった。
エルト海を思わせるマリンブルーの瞳から流れ落ちた涙は、きらきらと光って地面へと落ちていった。
花婿と花嫁に降り注いだ、あの無数の花びらのように。
小鳥たちのさえずりの声で、ダンバンは目を覚ました。
いつものようにベッドから起き上がったところで、強い頭痛を感じうっ、と呻いた。一晩休んだだけでは酒が抜けきらなかったらしい。さすがに飲み過ぎたかと昨日の自分を省みつつ、階下へ降りると、カルナとメリアが朝食の準備をしていた。
「あら、おはようダンバン。勝手に使わせてもらったわよ」
「おはよう、ダンバン。そなたの分も作ってあるぞ」
「ああ、すまんな……っと」
軽くよろめいてしまい、慌てて足を踏ん張って身体を支える。その様子を見て、メリアが心配そうに駆け寄ってきた。
「大丈夫か? 酒が抜けきっていないのか」
「昨日あんなに飲むからよ。水、飲む?」
カルナがコップに水を入れてくれ、ダンバンは礼を言って受け取った。
「食欲はあるか? 無理はしなくても良いと思うが……」
「いや……すまんが、あまり食べられそうにないな」
ダンバンは首を横に振り、水を一気に飲み干した。
テーブルの上にはおいしそうな朝食が並んでいるし、良い匂いもしているが、どうにも食欲がわかないと、ダンバンは苦々しい思いで溜息をついた。これからは独り暮らしになるから、こんなふうに誰かに朝食を作ってもらうことなどなくなるだろうに、もったいない。
「後で二日酔いに効く薬、もらってきてあげるわ」
「すまんな、カルナ」
「ダンバン、今日はゆっくり休むといい。私はもう戻らねばならんのでな、これを食べたら発つつもりだ。最後までいられなくて申し訳ないが」
「いや、十分だ。ありがとうよ、メリア」
ダンバンが笑って手をひらひらと振ると、心配そうだったメリアの表情がいくぶんか和らいだ。これでは昨日と逆だ、とダンバンは内心苦笑する。
朝食を食べ終え、コロニー9を発つメリアを、ダンバンはカルナと共に見送ることにした。休んでいなくて良いのかと気遣うメリアに、少しだけなら大丈夫だと笑ってみせる。
「ありがとう、世話になった。また時間ができたら、そなたたちにも会いに来たい」
「ええ。いつでも大歓迎よ」
カルナは微笑んだ。
「では、またな」
メリアは軽く頭を下げた後、二人に背を向けた。
ダンバンは思わずはっとする。後ろ姿に、昨日のメリアの姿が重なって見えたのだ。あの小さな肩。華奢な腕。彼女は今のダンバンより余程しっかりとした足取りで歩いているというのに、少しでも触れれば今すぐにも消えてしまいそうな儚さすら感じた。
彼女の背負うものは大きい。あんな小さな身体なのに、その大きなものに、これからも一人で立ち向かっていかねばならないのだ――
「メリア!」
ダンバンは思わず叫んでしまい、自分の声のあまりの大きさに頭が割れそうな痛みを感じた。隣にいたカルナは無論のこと、メリアも驚いたように振り返る。
頭痛を堪えつつ、ダンバンは言った。
「今度は、俺がお前に会いに行く」
メリアのマリンブルーの瞳が、大きく見開かれた。
「こちらに? だが、まだ復興途中だし、大したもてなしはできんぞ?」
「もてなしなんぞいらん。俺はお前のことが心配なんだよ」
“心配”、という言葉でメリアはダンバンの意図をある程度悟ったらしく、笑いながら首を横に振った。
「何も心配するようなことはない。復興は順調に進んでいるし、今のところは大きな懸念事項も――」
「そういうことじゃない。とにかく、落ち着いたらそちらに行く。それまで待っててくれ」
メリアの言葉を遮り、ダンバンは強い口調で押し切った。
メリアはしばし思案するように俯いていたが、やがて顔を上げた。果たして自分に対してなのか、ダンバンに対してなのか――あきれたように笑いながら。
「ダンバンがそこまで言うなら、待っている」
「ああ」
力強く頷いてみせる。
メリアはふふ、と小さく笑って、再び踵を返し歩き出した。ダンバンはその背が見えなくなるまで見送っていた。
心の中で少しずつ大きくなり始めた、新たな決意を抱きながら。