そこに来てから、もう十分ほど経ったろうか。
ラーチェルはエフラムの執務室の前で立ち止まっていた。何度か拳を上げて扉を叩こうとするが、躊躇って手を下ろす。それを何度も繰り返していた。
太陽が高く昇るこの時間帯、騎士達や使用人たちは食堂で昼食を取っているため、廊下に人通りがないのは幸いだった。だからこそこの時間を見計らってやって来たのだが、それでもこう何分も躊躇しているようでは意味がない。
――わたくしらしくないですわ……
ラーチェルは自分の情けなさに思わず溜息をついた。結婚前なら躊躇いなく中に踏み込んで、エフラムに自分の要望を伝えていただろう。だが今、ラーチェルは彼の妻という立場にある。そうそう勝手な振る舞いはできないし、それが良くないことだということも十分に承知している。だからこそ、彼と顔を合わさない日が何日間も続いても、じっと耐えてきたのだ。
今、エフラムは重要な他国との協議を目前に控え、その準備に追われている。自国の現在の状況把握や過去の資料集めなど、エフラムだけではなく周囲の騎士達も準備に奔走している。
彼らが忙しなく執務室を出入りする様子を遠くから眺めながら、ラーチェルはいつも溜息をついていた。疲れの溜まっているであろうエフラムのことが何より心配だったし、寂しさがそれに上乗せされて、どうにもたまらない気持ちになることも多かった。そんな時はエイリークの部屋に行き、話し相手になってもらうことも多かったが、エイリークも暇ではないから、そうそう毎回ラーチェルに付き合えるわけではない。
そういうわけで溜まりに溜まったものがラーチェルの中で爆発してしまい、ついに執務室の前までやって来たのだが、それからしばらくこうして動けないでいるのだった。
だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。ラーチェルは意を決して、扉を叩いた。
木を叩く軽快な音。けれども、中から返事はなかった。いるとすれば確実にエフラムの声が聞こえるはずなのだが、耳を扉に押し当てても、何も聞こえない。
ラーチェルはそっとノブを回し、中へと足を踏み入れた。
「エフラム? おりますの?」
しかし、そこにエフラムの姿はなかった。中に入ってゆっくりと扉を閉めた後で、ラーチェルは嘆息する。これでは、長い時間部屋の前で立ち止まっていた自分が馬鹿みたいだ。
ゆっくりと彼の机に歩み寄る。机の上には書類が散乱していて、その隅には彼にとっては読むのが苦痛ではないだろうかと思えるような分厚い本が何冊も積まれていた。
ラーチェルは深呼吸する。すると不思議なことに、心が安堵感に包まれた。吸った息をゆっくりと吐いて、ラーチェルは切ない気持ちになる。
「あの人の匂い……」
この執務室は、エフラムの匂いで満ちていた。睡眠を取る時以外に帰ってこない二人の寝室からはもう、既にエフラムの匂いは消えていた。けれどもここは違う。エフラムの腕の中にいるかのような錯覚に陥ってしまいそうになるくらい、この部屋はエフラムの匂いで満ちている。
不意にラーチェルの下半身が、エフラムの机に触れた。たったそれだけなのに、ラーチェルの身体は激しく反応を起こした。心地よい痺れが身体中を貫き、芯から発火したかのように、全身に熱が広がっていく。なんてはしたない――そう頭では思っているのに、一度知ってしまった甘い痺れに焦がれる衝動は、既に抑えきれなくなっていた。
衣服越しに、敏感な部分を机の角に擦りつける。その度に小さな快感が波状に広がって、ラーチェルの心を悦ばせた。
「はぁっ、は、……ん……」
衝動は止まらない。ついに衣服越しのもどかしさに耐えきれなくなって、ラーチェルはそっと人差し指で下着をずらした。ひやりと空気が当たる感覚。それすらも心地よくて、行為はだんだんエスカレートしていく。
「はぁん、……あっ、あぁっ……だめ……ですわ……」
誰か入ってくるかもしれない。その危惧に怯えながらも、どうしても止めることはできなかった。自分の身体なのに、既に自分の物でないような気さえする。止めなければ。一人の自分はそう思っているのに、もう一人の自分はもっと快楽を求めてしまう。
指をそっとスカートの中に差し入れて、敏感な花びらに触れる。その部分はすっかり濡れそぼっていて、触れた瞬間びくんと身体が震えた。机と、指と。両方から同時に刺激を与えられ、ラーチェルは達しそうな感覚に陥った。
もし、これがエフラムの指だったら。そう考えるだけできゅうと胸が締め付けられる。切なくて、けれども彼に焦がれる気持ちの方が強くて。最後に彼の腕に抱かれたのは、もういつのことだろう――心の中に生まれた切なさを打ち消すように、ラーチェルはますます激しく指を動かしていた。
「あっ、あ……エフラム――!」
背筋がぴくんと伸び、ラーチェルは絶頂を迎えていた。
その直後脱力して、机に手をつき荒い呼吸を繰り返す。もう何も考えられなくなって、はあ、と大きく溜息をついた。
その時、カチャリ、という鍵の閉まる音が聞こえ、ラーチェルは驚いて振り返った。するとそこには目を丸くしたエフラムが立っていて、じっとこちらを見つめていた。
太股にまで下がった下着、濡れそぼった指先。ラーチェルは咄嗟に反応できず、その場に固まった。
「ラーチェル……」
エフラムがゆっくりとこちらに近づいて来る。ラーチェルはようやく我に返って、下半身の醜態を隠そうと、その場に座り込もうとした。しかしエフラムに素早く腕を回されてしまい、それも叶わなくなった。
「エ、エフラム……!」
頬を真っ赤にして振り向いた時、出会ったエフラムの瞳の色を見てラーチェルは驚いた。その瞳は、欲望の色に満ち溢れていた。ラーチェルの醜態を目撃したことに対する驚愕でも、軽蔑でもない。心なしか自分の耳に吹きかけられるエフラムの吐息も、じんわりとした熱を帯びているように感じられた。
「は……放して……!」
「何故だ。俺が、嫌か」
エフラムのやや傷ついたような表情を見て、ラーチェルは思わず首を振る。
「そ、そうではなくて――ひぁあっ……!」
ラーチェルの濡れそぼった花びらに、エフラムの太い指が押し当てられる。先程、自分でしたのとはまた違った感覚。しかもそれは、求めてやまなかったエフラムの感触――そのままくらくらと倒れてしまいそうになるくらいの快感が、ラーチェルの身体を貫いた。
「もしかして君は、いつもこうして一人で慰めていたのか」
「や……ちが、違いますわ、そんなはしたないこと……」
「そうだな、君をこんなふうにしてしまったのは俺か……すまない」
エフラムは嘆息した後、指の腹をやや乱暴に秘所へと押しつける。突然の強い刺激に、ラーチェルはびくんと身体を仰け反らせた。
「ひぁん! エ、エフラム……あぁぁっ……」
「濡れているな……」
「そ、そんなこと、言わないで……」
羞恥に身をすくめそうになるラーチェルとは裏腹に、エフラムの指の動きはますます激しくなり、溢れ出した透明な愛液が指を伝って垂れ落ちる。身をよじって快感に耐えようとすると、エフラムの指をますます受け入れる格好となってしまい、ラーチェルはますます赤面した。襞をかき分けて侵入する太いそれは、中でうごめいて強い刺激を与え続ける。
「俺も君と、同じ事を思っていた」
「わ、わたくしと……?」
「処理する時間もなくてな、ずっと溜めていた。もう、限界なんだ」
そう言うやいなや、エフラムのもう片方の手が素早く動いて、ラーチェルの下着を更に下へとずらした。そうして彼女の耳へと、囁きかけるように言う。
「あまり時間がない。不本意かもしれないが、我慢してくれ」
「えっ? ……きゃああっ……!!」
エフラムは既に張り詰めた自身を解放すると、それを素早くラーチェルの花びらへとあてがった。直接触れる久々の感覚にラーチェルが驚いていると、エフラムが後ろから苦しそうに言った。
「すまない、ラーチェル、こちらに尻を突き出してくれないか」
「こ、こんなところで……! そ、そんな恥ずかしい格好、できませんわ!」
「だが、俺はもう限界なんだ。寝室に行っている暇はない。君が嫌というなら、無理強いはできないが……」
そんなふうに言うエフラムの声を聞いて、ラーチェルの心に小さな罪悪感が生まれた。繋がりたいと思う気持ちは、ラーチェルも一緒。このような場所で、こんな格好でとなると強烈な羞恥が襲ってきたが、それよりも今は、今までの空白を埋める快感が欲しくて仕方がなかった。はしたないという思いは最後まで捨てきれなかったが、自分とエフラムが気持ち良くなれるのならばと、ラーチェルはエフラムの机に両手をつき、そろそろと腰を突き出した。
「こ、これで、よろしいですの?」
「ああ。君がこんなふうに俺を求めてくれるなんて、まるで夢のようだな」
エフラムがあまりにしみじみと言うので、かあっと頬が赤くなる。
「なっ……そ、それは、そっちが言い出したことではありませんの! わたくしは……」
「本当は不本意、だろう?」
「そ、それは……わたくしだって、貴方と一緒になりたいという気持ちは……」
「同じ、か? それなら、嬉しい」
「も、もう……いいですわ……」
誘導されているような気分になったが、もうそんなことはどうでもいい、と思った。一刻も早く、エフラムと一緒になりたかった。
「ラーチェル、行くぞ……」
エフラムはそう言うと、あてがっていた自身をぐいと中へと突き入れる。途端に下半身を襲う痛みと異物感、そして身を焦がすような快感。
「ぁああっ……!」
そっと後ろを振り向くと、エフラムもやや余裕がない表情で、じっと下半身を見つめていた。その表情がどこか切なげに見えて、ラーチェルの心臓の鼓動が一つ跳ねた。
「動くぞ」
その言葉を合図に、ラーチェルの中へと侵入したそれが、何度も何度も出し入れされる。身体をくいと押しつけられたかと思うと、次の瞬間には遠ざかっている。感じる場所を何度も刺激されて、ラーチェルは荒い吐息を洩らした。
「あぁっ、は、はぁん……エフラム……」
欲しくてたまらなかったもの。それが今ラーチェルの望む場所を埋めているという事実に、ラーチェルは喜びを覚えざるを得なかった。エフラムも同じ快感を覚えているのか、もっと、と望むかのように、激しく腰を動かす。やがてラーチェルに覆い被さるように手を重ねてきた時は、心臓が止まるかと思うくらいどきりとした。耳のすぐそばで、彼の熱っぽい吐息が何度も何度も吹きかけられた。
「ラーチェル、俺は今、すごく気持ちがいい」
「エフ、ラム……」
「君は? 君はどうなんだ。この気持ちは俺の独り善がりか?」
答えを急ぐかのように、エフラムの動きが激しくなる。何度も言葉を遮られそうになりながら、ラーチェルは途切れ途切れに言った。
「わた、くしも、……同じ気持ちですわ……」
顔を真っ赤にして言うと、エフラムは満足そうに深い溜息をついた。そうしてますます激しい動きで、何度も何度もラーチェルの最奥を突いた。ラーチェルの足が震え、バランスを崩してしまいそうになる。けれども覆い被さってきたエフラムの身体に止められて、その姿勢をなんとか維持できているのだった。
こんな姿勢で行っているという羞恥。けれどもそれ以上の快感が、ラーチェルの思考回路を停止させた。無意識にきゅうと締め付けると、エフラムの息が上がった。
「ラーチェル、俺は、もう――」
「はぁっ……エフラム――!」
ラーチェルが再び絶頂へ上り詰めた瞬間、エフラムの熱い塊が中で吐き出される感覚がした。それは重力に従って、ぽたぽたと床を濡らす。ラーチェルは脱力して、机の上に身体を投げ出した。
ゆっくりと中から引きずり出されるエフラムを感じながら、ラーチェルは嬉しさとあまりの快感に、うっすらと涙を浮かべた。
「君はここで休んでいるといい。今日は父の書斎で作業をする。どっちみち、あそこには用があったしな」
崩れ落ちたまま動けないラーチェルに、エフラムはそう告げた。急に羞恥と申し訳なさが襲ってきて、ラーチェルはきゅっと身体を縮める。
「わたくしのせいですわね……ごめんなさい」
「気にしないでくれ。こうしたかったのは俺だ。それに」
エフラムは机の上の書類をかき集めながら、ラーチェルにそっと笑って見せた。
「君のお陰で、午後からはかなり仕事がはかどりそうだ」
ラーチェルの頬が真っ赤に染まる。未だ身体の芯にじんわりと残る甘い痺れを感じながら、ラーチェルは少し名残惜しい気持ちになった。それを汲み取ったのかそうでないのか、一通り書類を整理し終わったエフラムは、去り際に言葉を残す。
「今日は早めに終わらせる。もし君がいいなら、寝室で待っていて欲しい」
それはまぎれもなく誘いの言葉。ラーチェルの心臓が飛び跳ね、嬉しさに胸が詰まる。鼓動の高まりを抑えられなくなりながら、ラーチェルは呟くように言った。
「夫を待つのは、妻の役目ですわ。貴方が帰ってくるまで待っています」
「ありがとう」
エフラムは頬を緩めて礼を言うと、執務室を出て行った。
取り残されたラーチェルは、早く動かなければと思いつつも、全身に残った痺れがそれを許してくれなかった。少しばかり、余韻に浸るのもいいかもしれない――ラーチェルはそう思うことにして、ふう、と深く溜息をついた。少しばかり夜のことに思いを馳せ、そわそわと落ち着かない気分になるのを感じながら。