「わたくし、結婚することになりましたの」
ルネスの兄妹の前でそう告げた時、二人は一様に目を見開いて驚きの表情を見せた。予想していた反応ではあったが、もう後戻りできなくなったという思いが胸に押し寄せ、ラーチェルは切ない思いに襲われた。
エイリークは一呼吸置いた後、胸の前できゅっと手を握り、おそるおそると言った様子で尋ねてきた。
「本当、なのですか、ラーチェル?」
「……ええ、本当のことですわ」
ラーチェルは淡々と言い放つ。
「まだ、お会いしてもいませんけれど。いずれはそうなるはずですわ。ですから、ご挨拶に参りましたの。心の準備のために」
それは、よそよそしいとすら思えるような口調だった。
エイリークは隣に立つ兄の方へと視線を向けた。兄のエフラムは報告を聞いた時、微かに驚きの表情は見せたものの、その後は普段の冷静な表情に戻っているかのように見えた。
エイリークは視線を戻し、微かに笑みを浮かべた。
「おめでとうございます。相手の方は……?」
「ロストンの公爵家の方ですわ。叔父様とその方のお父様が昔からの親友で、紹介していただきましたの」
「そうだったのですか」
エイリークは納得したように頷いた。
「ラーチェルの結婚式には必ず駆けつけます。兄上と一緒に」
そう言いながら、エイリークはエフラムの方を振り返る。エフラムは何か考え事をしていたのか、一瞬反応が遅れた後、ああ、と頷いた。
それを見ながら、ラーチェルの胸がちくりと痛む。表面上は穏やかに微笑んで是非、と口にしていたが、本心は決してそうではなかった。
戦場で出会ったルネスの双子。その兄エフラムに惹かれたのはいつのことだったろうかと、ラーチェルは心の中で振り返る。出会った時から何かと気になる存在ではあったが、これといった決定的な出来事はもしかしたらなかったのかもしれない。彼を気にして見ているうちに、いつの間にか目が離せない存在になっていた。戦争が終わった後も、ラーチェルはルネス王国に足繁く通った。他国の視察のためだとか、友人のルネス王女エイリークに会うためだとか、そんな建前はいくらでもあったけれど、ラーチェルの胸の中にはもう一つの理由があった。エフラムに会うため――それは誰にも知られていない、ラーチェルの密かなルネス訪問の目的でもあった。
しかしながら、彼は水城レンバールの如き難攻不落の人物であった。父王に代わってルネス国王となり、あらゆる政務に追われてラーチェルと顔を合わせる機会がほとんどなかったのもあるが、それだけではない。彼は自分という人物に興味があるような仕草を全く見せなかったのだ。妹のエイリークによれば、それはラーチェル相手に限ったことではなく、色恋沙汰そのものに全く興味を示さないという話であったけれど、ラーチェルにはそれが悔しく、また悲しくてならなかった。何度か気を引こうとしたことはあるが、エフラムの反応は今ひとつで、ラーチェルは何度嘆息したか分からない。
そうしているうちに、母国では自分の縁談が持ち上がっていた。その話があるたび、幾度となくかわしてはきていたが、もうそろそろ誤魔化せなくなっていた。今回は叔父の紹介ということもあって無下に断ることもできず、ラーチェルはこうしてその報告にとルネスへやって来たのである。
手紙で伝えるのではなくわざわざこうして訪問したのは、ラーチェルの最後のわがままだった。最後にもう一度だけ、心から愛していた人の顔を見ておきたい――未練が残るかもしれないことは重々承知していた。そうして今、その未練の思いに苛まれている。
いつものことだが、エフラムの表情を窺っても、エフラムが何を考えているのか分からない。今日もそうで、表情一つ変えずに自分とエイリークの様子を見ているエフラムから、感情の揺らぎを読み取るのは難しかった。彼にとって、自分の結婚はそれほど心を揺るがす出来事ではなかった、それだけのことなのだろう――そんなふうに諦めて、ラーチェルは一つ嘆息した。
胸の痛みが酷くなり、少し休みますわと断って、ラーチェルはルネス城の客間に戻った。綺麗に整えられたベッドシーツの上に身を横たえ、徐々に視界がぼやけていくのを感じた。胸の痛みがこらえられなくなり、ラーチェルの目から涙の粒が溢れ落ちた。
「エフラム……」
愛しい人の名を呼んでも、彼は自分を見てもくれない。もう、二度と。
ラーチェルは涙を流しながら、微かに嗚咽を洩らした。
その日の夜、ラーチェルはなかなか寝付けないでいた。何度も寝返りを打ったが、穏やかに眠りに就く気分ではなかった。思考が働き始めるとすぐにエフラムのことを考えてしまい、ますます胸を締め付けられる思いがして眠れなくなる。
そんなふうにして、もう何度目か分からない寝返りを打ち、きゅっとシーツを握りしめたその時、扉が開く音がした。はっと顔を上げて、扉の方へと視線を向ける。侍女が入ってきたのかと思い、ノックもしない無礼な振る舞いを叱ろうとしたその時、ラーチェルはあまりの驚きに心臓が止まりそうになった。
扉を閉めて入ってきたのは、間違いなく男だった。暗闇でよく見えないが、その姿をラーチェルはよく知っているような気がする。
「エフ……ラム?」
放心状態で名を呼ぶと、影はぴくりと反応し足を止めた。やがて溜息が聞こえ、よく知った男の声が響く。
「気付かれたか」
やはり、とその正体に納得する一方で、気付かないわけがないとラーチェルは思った。これまでずっと、エフラムのことばかり見つめてきたのだ。微かな振る舞いでさえ、彼を想起させるものがあれば、すぐに気付く。
ラーチェルはベッドから抜け出すと、そろそろと壁の方へと後ずさった。
「な、なんですの、こんな夜更けに。そ、それにノックもなしに女性の部屋に侵入するなんて、無礼極まりませんわよ!」
「すまない、だが手段を選んでいられる場合ではなかったのでな」
穏やかでない物言いに、思わず唾を呑む。
「ど、どういう意味ですの。わたくしに一体何を――」
「そうだな……君が想像していることで、だいたい合っていると思う」
ラーチェルは目を瞠った。夜。男性が女性の寝床に来てすることといえば、考えられるのは一つしかない。ラーチェルの心臓の鼓動が速まり、痛いほどに暴れ出している。胸元を守るように手で押さえながら、ラーチェルは次の言葉が継げなかった。
「君が嫌だというなら、無論無理強いはしない。無礼だ、けだものだと罵られても仕方がないと思っている。だが、俺にはこうするしか思いつかなかった」
時には強引に、時には無鉄砲な振る舞いで戦況を有利に変えてきたエフラム。今のやり方は、それに酷似していると思った。明らかに無茶をしているとしか思えない、それなのに、エフラムには人を惹き付け、引っ張っていく不思議な魅力がある――この状況で言うのも悔しいが、ラーチェルも彼のそんなところに惚れたのだ。
「な……何故ですの」
やっと出てきた言葉が、これだった。エフラムがこんなふうに客間に侵入してきた、その理由――ラーチェルが最も聞きたいことだ。
エフラムはやや躊躇うように僅かに視線を逸らしたが、すぐに目を合わせ、真剣な口調で言った。
「君が結婚すると知った時、俺の心に宿ったのは君への祝福の気持ちではなく――そう、嫉妬だった。君を手中にした男への嫉妬」
ラーチェルは思わず息を呑んだ。よもやエフラムの口から嫉妬などという言葉が出てくるとは思いもしなかったからだ。口をあんぐりと開けたまま固まっていると、エフラムは自嘲気味に笑った後、言葉を続けた。
「今更になって気付いたんだ。遅すぎると笑ってくれてもいい。今更どうにもならないと分かってはいても、動かずにはおれなかった。それで、君のところへ来た」
エフラムがゆっくりと近づいて来る。これ以上後ずさりする場所もなく、ラーチェルは息を詰めた。
「そ……それで? 今更わたくしを奪い取ると、そういうおつもりですの?」
「君が嫌なら無理強いはしないと、先程から言っている」
「それでも! 物事には順序というものがありますわ。今のように急に部屋に入ってきて言われても、心の準備が出来ませんわ!」
「だが、手段を選んでいられる時間はないと言っている。君は明日、ロストンへ帰るのだろう? なら、今夜しかない」
言葉に詰まって、ラーチェルは俯いた。
本当は、涙が出そうになるほど嬉しかった。エフラムがそこまで思って、自分のためにここに来てくれたなんて――だがしかし、相変わらず強引な手段を見せるエフラムへの反発心が湧き上がったのも事実だった。物事には順序がある。互いの気持ちを交わし、正式に恋仲となった後で、こうした行為が行われるべきではないか――
エフラムの言い分も分かっていた。確かに時間はない。明日になれば自分はルネスを出発し、再び母国へと帰ることになる。母国へ帰れば、否応なしに結婚が待っているのだ。戻りたくない。それが、ラーチェルの本心だった。
エフラムは覚悟を決めたように、ラーチェルを見据えた。
「何度も言ったが、君が嫌なら無理強いはしない。今日のことは全て忘れて、なかったことにする。だが――」
「あなたはずるい人ですわ」
エフラムの言葉を遮って、ラーチェルは鋭い言葉を投げた。エフラムが驚いたように目を見開く。
「今更、そう、今更過ぎますわ! こんな時になって、やっと気付くなんて。わたくしの思いは一体どうなりますの? これまで貴方を思い続けてきた、わたくしは……」
声が震えた。俯いて、涙が出そうになるのを必死でこらえた。悔しさと悲しさがない交ぜになり、どうしようもなく強い思いに駆られた。
唇を噛んで必死に耐えていると、突然、太い腕に抱き締められた。驚いて思わず顔を上げると、そこにはエフラムの真剣な顔があった。ラーチェルの心臓が跳ね上がり、身体が固まってしまった。
「すまなかった。君がよくここへ来るのは、エイリークのためとばかり思っていた」
「それだけでは……ありませんわ」
掠れる声でそれだけ言うと、エフラムの腕の力が強くなった。息が出来ないほどに抱き締められて、ラーチェルは涙を浮かべていた。それは決して、痛いからなどではなかった。
震える唇を重ね合わせると、エフラムが性急に舌を差し入れてくる。驚いて声を上げると、エフラムの顔が一旦離れた。早すぎるという意味を込めて睨むと、エフラムは今度、ゆっくりと唇を合わせてきた。
初めて触れる唇。心臓が高鳴りすぎて、破裂してしまうのではないかと思った。再び伸びてきた舌に、おそるおそる自分のそれを絡める。侍女に聞いたり本で読んだりして、ある程度の知識は持っているつもりだったが、いざ及ぶとなるとどうすれば良いのか分からず、内心あたふたするばかりだった。
「ん、っ……」
小さく声を上げる。エフラムは顔を離し、ラーチェルの寝間着に手をかけた。レースの付いた軽い素材で出来た寝間着を、まるで果物の皮を剥くように脱がせようとする。素肌を晒す事への抵抗から、ラーチェルは頬を赤らめて視線を逸らした。
エフラムは寝間着の肩部分を外した後、そのまま形の良い胸へ手を置く。指に力を入れて揉みしだくと、ラーチェルが小さく声を上げた。
「あっ……エ、エフラム……!」
「君の胸は触り心地が良いな」
あまりにも素直すぎる感想に、ラーチェルは顔を真っ赤にする。思わず睨み付けてしまったが、エフラムは気付いた様子もなく、そのまま手を胸に沿わせた。そうしているうちに寝間着がずり下がり、ベッドへと落ちていってしまった。
「あ……!」
思わず声を上げると、その後に続く言葉を掬い上げるようにエフラムの口付けが降る。重ね合わせた吐息が、熱い。こんなにも近くにエフラムを感じたのは初めてで、ラーチェルはすっかり動揺してしまっていた。
「ラーチェル……」
口付けと吐息の間で名を呼ばれ、くらりと視界が揺れる。エフラムの口から紡がれる言葉は、いつも自分を惑わせてきた。彼の行為一つ一つだって、そうだ。周囲を振り回してばかりのお転婆姫――そんなふうに祖国で呼ばれていた頃が懐かしいと思うほどに、自分はエフラムという男に出会ってから、振り回されてばかりだったような気がする。
ベッドに静かに横たえられた後、エフラムはラーチェルの下着に視線を落とした。自分のものよりもはるかに大きな手が、敏感な箇所に触れる。
「ぁあっ……」
下着越しに触れられる感覚ですら、ラーチェルの身体をぞくぞくと震わせた。エフラムは指をかけて下着を取り払うと、まだ誰も触れたことのない未踏の場所へと人差し指を沿わせる。ゆるりと花弁をなぞると、ラーチェルは仰け反った。
「はぁんっ……や、そんなところ、だめですわ、エフラム……」
「濡れている……ということは、君は気持ち良いと感じているんじゃないのか?」
「い、言わなくても良いですわ……!!」
ラーチェルは怒ったように、ぷいと顔を横に向ける。それでも敏感な部分を擦られると、嫌でも身体が反応してしまう。せめて声が出ないようにと唇を噛んで耐えていると、それに気付いたエフラムが顔を上げた。
「どうして我慢しているんだ? ラーチェルの声を聞かせてくれ」
「そ、そんな……は、恥ずかしいからに決まってますわ!」
「だが……そんなことはもう、今更だろう?」
「い、今更って……! あ、貴方が言える台詞ですの!?」
ラーチェルが真っ赤になって反抗すると、エフラムはくつくつとおかしそうに笑った。
「そういえば、そうだったな」
「そうだったなって……もう! 反省するべきですわ、エ――きゃああっ……!」
突然指を差し入れられ、ラーチェルの下半身に無意識に力が入る。先程までの触れられている感覚ではなくて、そこにある、という確かな感覚に、ラーチェルの身体が震える。エフラムが指の腹を何度も襞へと擦りつけるたび、卑猥な水音が響く。
「あっ、あっ――エフラム……」
全身に巡る快感を抑える術を知らぬ少女は、瞳を潤ませて彼を見る。彼はその瞳に浮かんだ不安の色を取り除こうと、なるべく優しくキスをした。そっと触れるように、しかし、深く。その間も指は、中を押し広げるように、かき混ぜるように乱舞する。
「や、変、エフラム、変ですわ……わたくし……!」
「変じゃない。君はすごく素直だ。そういうところも可愛いんだな……」
「ッ……! な、何を、言いますの……」
「今までどうして気付かなかったのか、自分の頭を殴りたいくらいだ。君は本当に可愛い」
二度も言われて、ラーチェルの胸の鼓動が速くなる。エフラムがそんな言葉を口にするとは思わなくて、気恥ずかしさと嬉しさが心の中で混ざり合った。身体がとろけていきそうになる。まるで夏場日差しの下に放置された、ヴァニラアイスクリームのように。
「ラーチェル、そろそろいいか?」
エフラムが卑猥な音を立てながら指を抜いて、ラーチェルに真摯な眼差しを送った。いよいよか、と、ラーチェルは思わず身構える。この後どうなるかも、知識としては持っている。だがそこに付随する情報を思い出し怯え、ラーチェルはわなわなと唇を震わせた。
身体を硬くして、やや睨むようにエフラムを見つめると、エフラムが困ったように肩をすくめた。
「そう警戒しないでくれ。俺も君が嫌がるようなことはしたくないと思っている。だから……」
そっと距離を縮めて、ラーチェルの唇に優しくキスをする。長い睫毛を震わせてエフラムを上目遣いに見ると、エフラムの真摯な瞳と出会った。
「い、痛くしないと、約束してくださいますの?」
「確実なことは言えないが、努力する」
エフラムは素早く着ていた物を脱ぎ捨てると、ラーチェルの足を割るように開いた。ラーチェルが抵抗する素振りを見せる前に、彼女の充血した花弁に昂ぶった自身を押し当てると、ゆっくりと中へ挿入した。
「ひぁ……っ!!」
ラーチェルの悲鳴が上がる。白いシーツに爪を立てていると、破瓜を示す赤い液体が、繋がった部分から滲み出た。痛くてたまらない。話には聞いていたけれど、こんなにも痛いとは思わなかった。
ラーチェルが涙を浮かべると、エフラムは余裕のない表情で、荒く息を吐きながら結合部分に視線を落としていた。彼もどうしていいのか分からないのだろうか。そう思うと、胸がきゅんと締め付けられる思いがした。
「ラーチェル……俺は、もう我慢できそうにない」
「エフラ……ム……」
エフラムがラーチェルに覆い被さり、熱い吐息を吹きかける。
「動いても……構わないか?」
本当のことを言えば、今すぐにでも引き抜いて欲しいと願うほどだった。けれどそうすることで、エフラムの失望する顔を見たくはなかった。無論何よりも、自分がエフラムと繋がっていたいと思ったのもある。確かに身体を引き裂くような痛みのせいで、何も考えられなくなりそうだったが、こうしてエフラムと自分が繋がっていると思うと、身体の芯が焦げそうになるくらい熱くなるのを感じるのだった。
「や……優しく、して……エフラム……」
途切れる声でそう言うと、エフラムはゆっくりと頷いた。ラーチェルに何度も口付けを求めながら、エフラムはゆっくりと腰を動かし始めた。
自身の入り口から、更に奥へと侵入してくる感覚。エフラムで満たされる感触。吐息を洩らし、ラーチェルは幾度となく声を上げた。エフラムもじっとりと汗を滲ませ、余裕のない表情でこちらを見つめてくる。エフラムのそんな顔を見たのは初めてで、揺らぐ意識の中、ラーチェルは胸の鼓動が速まっていくのを感じた。
「あっ、あぁっ……はぁっ……」
「ラーチェル……」
名を呼びながら腕をラーチェルの身体に回し、抱き締めるような格好をとる。
「ずっと、俺の側にいてくれないか……」
鼓動が一つ大きくなった。それは、明らかなプロポーズの言葉。これまで誰に言われたどんな言葉よりも嬉しく、ラーチェルは思わず涙を浮かべていた。
「エフラム、あぁっ……わたくし……」
「君が嫌だと言っても、俺はこの腕を放したくない」
そう言った途端、エフラムの動きがより激しくなった。ラーチェルは痛みと快感の狭間で喘ぎながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「わ、わたくしだって……はぁっ……は……放したら、承知、しませんわ……!」
自分もエフラムの側にいたい、という趣旨のことを言葉にしようと思ったのに、出てきたのは未だに素直になりきれない言葉。そんな自分に嫌気が差しつつも、エフラムが傷ついた様子は見られなかった。むしろその言葉のせいか、律動の間隔が短くなったようにも感じられた。
「あっ、ぁん、エフラ、エフラム……!」
「ラーチェル……!!」
――絶頂に達するとは、こういう感覚をいうのだろうか。
エフラムの熱い塊が自身の中に吐き出されるのを感じながら、ラーチェルは放心した状態で暗い部屋の中を見つめていた。
翌日、ルネスから旅立っていくラーチェルの顔は、昨日と打って変わって実に晴れやかなものだった。エイリークや家臣たちの前で、特にエフラムと言葉は交わさなかったものの、意味ありげにそっと視線を送ると、エフラムもそれに気付いて微かに頷いた。
ラーチェルを乗せた馬車が去って行ってから、エフラムは独り言のように言う。
「俺も近いうちに、ロストンのマンセル様のところへご挨拶に伺わねばな」
「ええ。ラーチェルの結婚式の時に、でしょう?」
隣に立つエイリークがそう言うのを聞いて、エフラムは喉の奥でくつくつと笑う。
「それでは遅すぎるんだ」
「え?」
兄を怪訝な目で見るエイリークをよそに、エフラムは満足そうに笑って王城へと戻っていった。