君は君らしくあれ

「ここに来るのも久しぶりだね」
「ああ。フォレオもまた大きくなっているのだろうな……」
 明るい表情で、レオンとヒノカは秘境の村への道を歩いていた。
 愛する息子フォレオの住まう秘境へは、戦が一段落するたびに必ず訪れるようにしていた。が、こちらの世界で流れた時間が僅か一週間であっても、フォレオはその間に三年、四年分も成長していて、いつも仰天させられるのだった。
 秘境に残した世話係から、彼の過ごしてきた日々についてじっくりと聞きながら、大きくなったフォレオをめいっぱい抱き締める。殺伐とした戦の合間のこの時間が、二人にとって何よりも幸福なひとときだった。


 彼の住まう家に辿り着いた二人は、入り口で掃除をしていた世話係に声を掛けた。
「フォレオはどこへ?」
 世話係は手を止めて顔を上げ、にこりと微笑んだ。
「家の中にいらっしゃいますよ。お呼びしますね」
「いや、僕たちが行くよ」
 レオンはそれを制止し、二人は期待に沸き上がる気持ちを抑えきれぬまま、家の中へと足を踏み入れた。
 だが――家の中は、思いもかけない光景が広がっていた。
 玄関の花瓶に色とりどりの花々が飾ってある、までは良かった。だが廊下の窓にはピンクのカーテンが引かれ、部屋の扉にはレースやリボンで可愛らしい装飾が施されていた。前回訪れた時は、このような装飾はなかったはずだが――レオンとヒノカは驚きつつ、フォレオの姿を探した。
 何かの物音は二階からしていた。フォレオの部屋も二階にあったはず、と二人は階段を駆け上がる。
 彼の部屋の扉にも一階と同じような装飾がなされているのを見て、レオンとヒノカは嫌な予感が拭えなかった。
「フォレオ!」
 レオンが何度も扉をノックする。すると物音が止み、はあい、という声が聞こえた。
 やがてその扉が開き――中から出てきた人物の姿に、レオンとヒノカは仰天した。
「お父様! お母様! 来てくださったのですね!」
 それは、間違いなくフォレオだった。そのはずだが、二人に抱き付かんばかりに飛び出してきた息子の姿は、以前と全く違う姿になってしまっていた。
 短めに揃えていたはずのヒノカ譲りの赤い髪は肩の下まで伸びており、幾重にも巻かれていた。暗夜貴族の女性の間で流行っている髪型だ。
 何より目を引いたのはその洋服だ。この家と同じようにレース等の装飾の施されたピンクのドレスは、明らかに“女性用”のものだった。
 両親が固まっているのを見て、フォレオはあ、と小さく声を上げてその場で足を止めた。二人の視線が自分の洋服に集まっていることに気付いたのだろう、フォレオは恥ずかしげに目を伏せた。
「あの……お父様、お母様、僕は……」
「フォレオ。これは一体どういうことなんだ?」
 遮るように口を開いたのはレオンだった。元々切れ長の目が更に細くなり、フォレオを睨んでいる。フォレオは顔を上げてその瞳と出会い、悲しげに口をつぐむと、気まずそうに視線を彷徨わせた。ヒノカは何か言おうとしたが、レオンの雰囲気に気圧されて何も言えず、二人の成り行きを見守ることしかできなかった。
「何故、お前は女の格好をしている? お前は僕たちの“息子”だったはずだよな?」
「そ……それは……」
「何だその鬱陶しい髪は。何だそのおぞましいドレスは! 冗談はいい加減にしろ、フォレオ!」
 レオンの激しい口調に、フォレオは弾かれたように身体を震わせた。そのグレーの瞳に、あっという間に悲しみが湛えられ――じわりと涙が浮かんだ。
「レオン! 言い過ぎだ、それ以上は……!」
 ヒノカは慌てて制止したが、時既に遅し――レオンは法衣を翻し吐き捨てるように言った。
「僕は帰る。お前が元通りになるまで、ここへは来ない!」
 怒ったようにうるさく足音を立てながら、レオンは階段を下りて家の外へと出て行ってしまった。


「お父様……」
 フォレオの目から、涙がぽつりと落ちた。片手で口を覆い、嗚咽が漏れないようにしているが、近くにいるヒノカにははっきりと聞こえている。
 ヒノカはフォレオを振り返り、いつもそうしていたように、彼の頭を優しく撫でた。
 うっ、うっ、と嗚咽を洩らすたび、フォレオの巻き髪がふわふわと揺れる。ヒノカはその光景に未だ驚きを隠せずにいたが、目の前で泣いているフォレオを放ってはおけなかった。
「フォレオ……すまない。レオンは言い過ぎだ。お前にあんな酷いことを……」
 フォレオは溢れる涙を拭いながら、首を横に振った。
「いえ……僕が悪いんです。分かっています、僕がこんな格好をして……二人が驚かないはずないって……」
 ヒノカはフォレオの頭を撫でながら、彼の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「フォレオ。いつからこんな格好を?」
「お父様とお母様が前回ここに来られた後……すぐです」
 フォレオはぽつぽつと話し始めた。
「僕は可愛いものや綺麗なお洋服が好きで、ずっと憧れていました。最初は、やっぱり男だからと思って抑えていたんですが……抑えきれなくなってしまったんです。次、お父様とお母様が来られるのは三、四年後。それまで、自分の好きなことをして生きたいって……そう思ったら、止まらなくなって」
「そうだったのか」
 前回会った時は、まだフォレオは男の格好をしていた。その頃には既にこうした願望があったということなのだろう。ヒノカは内心動揺しながらも、そういえば、と話を変えた。
「先程まで部屋の奥から何か音がしていたが……何をしていたんだ?」
「はい。驚かれるかもしれませんが……どうぞ」
 そう言って、フォレオはヒノカを部屋の中へと案内した。ヒノカは彼のテーブルに置かれていた裁縫道具と様々な布、型紙、そして見慣れない黒色の機械があるのを見つけて、音の正体はこれだったのか、と悟った。テーブル下のペダルを踏んで布を縫う、ミシンという機械だ。ヒノカは実際に見たことはなかったが、暗夜王国にそういった機械があることは、裁縫を教えてくれたカミラに聞いて知っていた。
「なるほど。お前はここで裁縫をしていたのだな」
「はい。こうやって、自分の洋服を作っていたんです。僕の体格に合うドレスは、どこにも売っていませんから」
「なら、今着ているのも、自分で作ったのか?」
「そうです」
 フォレオは恥ずかしそうにドレスの端をつまみ上げて笑った。
 ヒノカはその姿を見ながら、複雑な思いにとらわれていた。一見すると女性としか思えぬような容姿になってしまった息子。確かに彼は、昔から女の子が好むような可愛らしいもの――髪飾りやアクセサリー、ぬいぐるみなど――を愛でていた。それでも、きっと大人になるうちに嗜好も変わるだろうと、特に深く考えずにいたのだ。
 だが、フォレオの嗜好は変わることはなかった。むしろ究極のところまで追い求めてしまった結果がこれなのだろう。
「あの……お母様。お母様も僕のことは、やっぱり変だと思いますよね……」
 フォレオはヒノカの顔色を窺っていたが、やがてドレスの端から手を離し、うつむいた。ヒノカはいや、と咄嗟に否定しようとして、できなかった。複雑な表情のまま口をつぐむと、フォレオはそれを答えとして受けとったようだ。
「ごめんなさい……お父様とお母様の理想とは違う、親不孝な息子で……ごめんなさい」
 ヒノカは胸を衝かれたような思いがした。慌てて顔を上げ、フォレオ、と言いかけたところで、フォレオは自分の部屋に鍵を掛けてこもってしまった。


 その日の夜。
 秘境の滞在中、夫婦の寝室としていた場所に、ヒノカは一人で横になっていた。レオンは先に帰ってしまった。あの様子だと、こちらに戻ってくることはないだろう。
 フォレオは変わらず鍵を掛けてこもったままだ。夕食の時間、ヒノカは扉越しに声をかけてみたのだが、「すみません」、と一言消え入りそうな声が返ってきただけだった。
 世話係が食事を持って行くのを見ながら、ヒノカは食事の間もずっとフォレオのことを考えていた。
 ベッドに横になっている今もそうだ。どうしてこんなことに、と思いながら、ヒノカはフォレオの言葉が頭から離れなかった。
 親不孝な息子――そんな言葉がフォレオの口から発せられるなんて思いもしなかった。一本の杭のようにヒノカの心に食い込んで、じわじわと痛みを与えてくる。ヒノカは泣きそうになった。
 確かに驚いた。複雑な気持ちは今もある。だが、フォレオのことを息子として愛しているという事実は、一切揺るがないものなのだ。そんな彼にあんな言葉を言われて、悲しくない親がどこにいるだろう。
 そして、彼をここまで追い詰めているのは、自分たち夫婦に他ならない。
 ヒノカは堪えきれず寝返りを打った。その時、ふと、昔の記憶が蘇った。
 ヒノカがまだ、薙刀の訓練を始めたばかりの頃。少しずつ伸ばしていた髪をばっさりと切り、女性らしい着物を捨てて鎧を纏い、朝から晩まで薙刀を振るい続けていたあの頃。家族も、城に仕える者達も皆、ヒノカのことを驚いた目で見ていた。王女らしく生きるよう、このようなことはやめるよう進言してきた者もいた。だが、ヒノカはやめようとしなかった。そこに確固たる目的があったからだ。
 やがて少しずつ戦果を上げるようになり、軍議にも参加させてもらえるようになった頃――それでもまだ、周囲はヒノカを偏見に満ちた目で見ていた。軍議で意見を言おうとするたび、頭の固い年配の貴族達が、それを諫めてきた。
「ヒノカ王女は女性なのですから。私たちがお守りしますゆえ、後ろにいてくだされば良いこと」
「戦況については我々が一番良く存じております。ヒノカ王女はご心配なされぬよう」
 そこには、女は意見するな、女のくせに何が分かる、という偏見が深く根付いていた。その頃のヒノカはまだ幼かったから、あまり強くも言えず黙って軍議の様子を見ているしかなかった。
 悔しくて悔しくて仕方がなかった。それからというもの、ヒノカは今まで以上に、一心不乱に薙刀の稽古に打ち込んだ――
 ヒノカはそこで、はっと顔を上げた。
 その時、階上からミシンの音が聞こえてくることに気付いた。ヒノカはベッドを飛び降りて部屋を出ると、再びフォレオの部屋に向かった。


 フォレオの部屋の扉をノックすると、一瞬息を呑むような気配があり、ミシンの音が止まった。
「フォレオ、私だ。どうか開けてくれないか」
「……すみません、お母様……僕は……」
「お前と話がしたい。出てきてくれないか」
「…………」
 沈黙がおりた。ヒノカは小さく溜息をつき、フォレオに扉越しに話し掛けた。
「フォレオ。私たちはお前に最低のことをしてしまった……すまない」
 目を閉じて謝罪すると、フォレオがえ、と小さく戸惑いの声を上げた。
「私はお前のことを、親不孝な息子だなんてこれっぽっちも思っちゃいない。むしろ……そんなことを言わせてしまった私は、最低の親だ。どうか許してくれ」
「お、お母様……」
 その時、ゆっくりと扉が開き始めた。中から出てきたフォレオを見て、ヒノカは泣きそうになりながら、フォレオを抱き締めた。しゃらしゃらと赤い巻き髪が揺れてヒノカの腕をくすぐったが、ヒノカはもう、一瞬たりとも動揺しなかった。
「フォレオ。すまない。私はお前を愛している。その事実は、何があっても変わらない。お前は私たちの大切な息子だ」
「お母様……」
 フォレオの声に少し涙が混ざった。
「許してくれ。お前をすぐに受け入れることの出来なかった、器の小さい愚かな私を」
「いいえ、お母様は愚かなどではありません。僕が悪いんです……僕が」
 フォレオが消え入りそうな声で自分を責めるのを聞き、ヒノカは強い口調で否定した。
「いいや! お前は少しも悪くない。お前はこれからも好きなことを貫けば良いのだ」
 フォレオは驚いたように顔を上げて、ヒノカを見つめた。
 ヒノカは驚くほど穏やかな気持ちでいた。愛しい息子の頭を撫でながら、心から微笑んだ。フォレオから一旦手を離し、ヒノカは語り始めた。
「私も昔、お前と同じような思いをしたことがあった」
「え? お母様も……?」
 フォレオが目を見開く。ヒノカは頷いた。
「私は白夜王国の第一王女だというのに、大人しく城にはおらず、戦場に出る選択をした。女のくせに生意気だとか、女など役に立たない、女は非力だ、そんなことをずっと言われ続けてきたんだ」
「そんな……お母様は戦姫と呼ばれるほどお強い方なのに!」
「そんなふうに呼ばれるのは、だいぶ後の話だ。戦に参加し始めた頃は、王女はか弱いものだという思い込みだけで、随分否定されたものだ」
 ヒノカはふっと笑った。笑って話せるのも、今はそれを乗り越えてきたからこそだ。
「私はそれでもやめなかった。確固たる目的があったからこそだ。だからここまで来られた。もしそこでやめていたら、今の私はここにいないだろうし……何より、フォレオは生まれていないかもしれないな」
「えっ、それは……」
「お前の父レオンは……戦に身を置く私の姿に惚れたと言ってくれた。全く……物好きな男だと、今でも思うがな」
 ヒノカが少し頬を赤らめると、フォレオは安堵したような、とても穏やかな表情になった。
「でも、お父様の気持ち……わかります。僕もお母様が薙刀を振るっておられる姿は、本当に格好いいと思いますから」
「ああ……ありがとう」
 ヒノカは頬を赤らめつつも、こほん、と一つ咳払いをした。
「とにかく、お前に言いたいのは……好きなこと、やりたいことを貫け、ということだ。お前に酷いことをしてしまった私が、偉そうに言うべきではないのかもしれないが……周りの目に負けずに貫けば、きっと良いことがある。私はそう信じている」
 ヒノカが真っ直ぐフォレオを見つめると、それに負けぬくらいの強い視線が返ってきて、ヒノカは内心安堵した。
 フォレオは力強く頷いた。
「はい。僕は、誰が何と言おうと、やめるつもりはありません。お母様のように、自分のしたいことを、ずっと貫き通したいです」
「それでいい。お前はお前らしく生きろ、フォレオ」
「はい!」
 フォレオは笑顔で返事をした。彼の灰色の瞳は、今まで見たことがないくらいの輝きに満ちていた。
 ヒノカの頬が緩み、涙腺まで緩みかけて、慌てて締めた。それを誤魔化すようにして、愛おしい息子をもう一度抱き寄せた。


 ヒノカはもう一度、フォレオの部屋に足を踏み入れた。
「新しい服を作っているのか?」
「そうです。今度は明るい水色のドレスにしようと思って……」
 フォレオはミシンにかけたままのドレスを指して言った。もうほとんど出来上がっているらしい。胸元には細かい刺繍が施され、腰回りには小さなリボンが取り付けられている。隅々まで、一片の狂いもなく美しく縫い上げられていた。
「すごいな。これだけのことが、お前一人でできるなんて」
「ふふ。ありがとうございます」
 フォレオは嬉しそうに微笑んだ。
 ヒノカは今、誇らしい気持ちでいた。カミラに教わっても布地を真っ直ぐ縫うことしかできなかったヒノカ。だがその息子は、こんなにも細かい装飾を施した、複雑な構造のドレスを作り上げることができるのだ。
「全く、誰に似たんだろうな。私ではないことは確実だが」
 ヒノカは苦笑しながら呟く。フォレオもくすくすと笑った後、言った。
「でも、好きなことを好きなように貫く心は、お母様から受け継いだものです」
「ふっ……そうだな」
 ヒノカは誇らしげな気持ちになりながら、フォレオの頭を撫でた。ふふ、とフォレオが笑ってくれる声を聞きながら、ヒノカは幸せな気持ちで目を閉じた。
(2016.4.10)
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