あたしを見て

 ふわりと、緑色の風が舞った。
 くるりと回り、しなやかに跳ぶ。ぴんと足を伸ばし、数秒止まったかと思うと、再び時が流れ出したかのように動き出す。こうして少女は華奢な体を精一杯動かし、舞を披露していた。
 美しくて元気の出る少女の舞いは、軍の中でも評判が良かった。少女よりも身分の高い者たちでさえも、顔をほころばせながら少女の舞いを見つめた。一連の動きが終わり、少女がお辞儀をすると、誰もが拍手を送った。
 そんな少女を、遠巻きから眺めている金髪の男がいた。
 その視線には、少女も以前から気が付いていた。人前に出ている以上注目を浴びるのは当然だが、その男の視線は他の者と違っていた。少女は初め、観客の一人として自分の舞いを見てくれているのかと思っていたが、そうではないことにすぐ気が付いた。
 ――あの人、あたしを見てなんかいないわ。
 少女は面白くなかった。たった一人であっても、その人物の注目を集められないのが悔しくてならなかった。自分の踊りが下手なのだろうか。誰もが自分の踊りを絶賛してくれているのに、あの男の基準では違うのだろうか。
 もし踊りのせいではないとするなら、何故自分を見ないのだろう。少女は胸の中でくすぶる疑問にいらいらした。
 ある日、少女はいつものように城の近くの広場で舞いを披露していた。少女が踊り始めると自然と人が寄ってきて、あっという間に人だかりができた。そうすると、またあの視線が少女を貫いた。少女は顔を上げて視線の主を見た。男はこちらを向いていたが、明らかにこちらを見ていなかった。途端に、また面白くなくなった。
 少女は素早く踊りを終わらせ、人がいなくなるのを待った。金髪の男はまだ同じ場所にいた。少女は男の方に近づいていった。男はそれに気付いたのか、少女と視線を合わせた。今度はきちんと少女を見ていたが、少女は不機嫌だった。
「ねえ。あんた、あたしの踊りを見に来てるんじゃないの?」
 男は瞳の中に微かな疑問を宿した。それに気付いたシルヴィアは、ますますいらいらした。
「一体誰を見てるの? あたしの踊りなんか、眼中にもないんでしょ」
「何故、そう思う?」
 男は静かに尋ねた。シルヴィアはかっとなって言い返した。
「質問しているのはあたしの方よ。答えて。誰を見てるの?」
「俺は、お前の踊るのを見ていたんだが」
「嘘つかないでよ。あたしのこと見てないってことくらい、ちゃんと分かるんだから」
 男は少し目を見開いた。シルヴィアは男を睨み付けた。男は少しした後、小さく溜息をついた。
「子供なのに、勘が鋭いんだな」
「なによ、子供扱いしないでよ。ほんっと、頭きちゃう」
 シルヴィアは怒りのこもった息を吐いた。これだけシルヴィアが怒っているというのに、男は全く対応を変える素振りを見せない。まるで自分には関係ないと言わんばかりに、涼しい顔をしている。
「とにかく。あたしの踊りに興味がないなら、見に来ないで」
「そうか。すまなかった」
 男はあっさりと言い、くるりと背を向けた。そしてそのまま、城の中へと去っていってしまった。
 シルヴィアは信じられないという表情で目を剥いた。なんという冷たい対応だろう。そんなに自分に関心がないのかと、シルヴィアの心には怒りがふつふつと湧いてきた。
「もっと……」
 シルヴィアは独り言のように呟いていた。
「もっと、練習してやるわ。絶対、あたしに注目させてやるんだから……」
 それはシルヴィアの、固い決意だった。


 シルヴィアは練習した。毎日体がふらふらになるまで踊った。朝食が終わるとすぐに練習、昼食を挟んでまた練習、夜は自分に与えられた部屋で練習した。ここまで必死になって踊りの練習をしたのは、踊りを覚えたての頃以来だったかもしれない。
 それから一週間ほど経った。シルヴィアが外のいつもの広場で練習していると、ちょうど一連の動きを終えた頃に、シルヴィアの肩を叩く者があった。シルヴィアがびくりとして振り返ると、そこには微笑みを浮かべているアイラが立っていた。
「熱心に練習をしているのだな。この一週間、感心して見ていた」
 シルヴィアは安堵の息をつき、ええ、と笑った。
「悔しいから、見返してやるの。あたしの踊りを見に来ているのに、あたしのことを見ていないなんて許せないから、嫌でもあたしに注目させてやるのよ」
「ほう、何かあったのか?」
 アイラが尋ねたので、シルヴィアは先日の金髪の男のことを話した。話し終わると、アイラは声を立てて笑った。
「それはきっとホリンだな。あの男は無愛想だから、奴の応対に怒るお前の気持ちも分からないでもない」
「そうよね。ほんと、嫌になっちゃうわ」
 シルヴィアははあ、と溜息を吐いた。その後、アイラが微かに首を傾げて言った。
「だが、ホリンが見ていた相手というのが、気になるな」
 シルヴィアはそういえば、と今更ながらに気付いた。自分はホリンを自分に注目させることばかりを思って練習に励んでいたから、ホリンが見ていた相手のことを考えもしなかった。ホリンが誰かに注目していたのだとすれば、その人物はちょうどシルヴィアの後ろにいるはずだが、おかげでシルヴィアには誰だか分からないのだ。
「あの時、あたしの後ろにいたのは誰なのかしら。あたしには分からなかったのよね」
「さてな。私もその時、その場にいたわけではないからな」
 アイラも考える仕草をしてしばらく黙った。二人はそうして考え込んでいたが、全く答えが出る様子がなかったため、シルヴィアがその沈黙を破った。
「とにかく。あたし、練習しなきゃ。明日はみんなの前で披露しようと思っているから」
「そうか。私も見に行きたいものだ。お前の舞いは、いつも元気が出るからな」
「そう言ってくれて嬉しいわ。アイラはいい人ね」
「いい人も何も、私は本当のことを言っただけだからな」
 アイラはそう言って微笑み、さて、と続けた。
「練習の邪魔をしてすまなかった。私も鍛錬に戻るとしよう。応援しているよ、シルヴィア」
「ええ、ありがとう。アイラも頑張ってね」
「ああ」
 アイラは手を振りながらその場を去り、シルヴィアもそれに応えて手を振り続けた。やがてアイラが剣の練習に打ち込み始めたのを見届けてから、シルヴィアも練習に戻ることにした。アイラのいる場所に背を向け、ステップの練習を開始する。足を動かしながら、シルヴィアはふと気付いた。
 ――そういえば、アイラのいるあの訓練場、ちょうどあたしの後ろにあるのね……
 ホリンは、自分が踊っている時に訓練場にいた人物を見ていたのかもしれないと、シルヴィアは思った。


 次の日。シルヴィアは朝食の時、午後に練習した舞を披露することを皆に告げた。興味のなさそうな者たちもいるにはいたが、ほとんどの者たちは表情をほころばせ、中にはシルヴィアに言葉をかけてくれる者もいた。
 その話をする間、シルヴィアはホリンの様子を見ていた。ホリンは何も言わなかったものの、シルヴィアの話は聞いているようだったので、興味はあるのだろうか、とシルヴィアは思った。
 午後になり、シルヴィアはいつもの広場に向かった。既に何人か人がいて、シルヴィアが現れたのを見ると拍手を送った。シルヴィアは笑みでそれに応え、定位置についた。
 人々が程よく集まってきたところで、シルヴィアは舞を始めるため、お辞儀をした。人々の間から拍手が起こった。
 その時、シルヴィアは視線を感じた。間違いない、あのホリンのものだ。シルヴィアはこっそりとホリンの方を見た。するとホリンと目が合った。ホリンは間違いなく、自分を見つめていた。シルヴィアはすぐに視線を外し、舞を開始した。シルヴィアの心は少しだが、弾んでいた。
 踊りに欠かせないはずの音楽は、ない。だが、シルヴィアの舞は、ないはずの音楽さえも聞こえてくるほどの美しいものだった。何度も練習したのだ、シルヴィアもこの舞には自信を持っていた。
 人々の視線が自分に釘付けになっているのが分かる。それが心地よくて、シルヴィアは踊り続けた。この快感は、こうして人前に立ってこそ味わえるものだ。だからこそ、シルヴィアは踊りをやめられないのだ。
 ホリンの視線は、変わらずシルヴィアに注がれていた。シルヴィアは満足して、ますます踊りに身が入った。今まで注がれていなかった男の視線を集めることができた。それはシルヴィアにとって、お金よりも価値のある褒美だった。
 舞が終わり、シルヴィアは再び人々に向かってお辞儀をした。人々から歓声と拍手が巻き起こった。それは今までになかったくらい大きなものであるように、シルヴィアには思えた。
 観客たちが捌けた後で、シルヴィアはホリンの方へ寄っていった。ホリンはそれに気づいてそちらを向き、シルヴィアは応えるようににこりと笑った。
「どう? あたしの踊りは。一週間、頑張って練習したんだから」
「ああ、良かった」
 ホリンはそれだけ言った。素っ気ないものだったが、今のシルヴィアにとってはそれだけでも満足のいくものだった。
「あんたのために練習したのよ。あたし、悔しかったんだから」
「俺のため?」
「そうよ。あんた、一週間前はちっともあたしの方を見てくれなかったじゃない。だから練習したの。あんたがあたしを見てくれるように」
 シルヴィアがそう言うと、ホリンは驚いたように目を少し見開いた。その反応を見て、シルヴィアは満足したように笑った。
 その時、後ろからシルヴィアの肩を叩く者があった。シルヴィアが振り返ると、そこには珍しく顔をほころばせたアイラが立っていた。
「シルヴィア、良かったぞ。お前の踊り」
「本当に? ありがとう、アイラ」
 そこで、アイラはホリンの存在に気が付いたらしい。ホリンの方に目を向けて、言った。
「ホリンじゃないか。お前もシルヴィアの踊りを見ていたのか?」
「ああ、まあな」
「お前も良い踊りだと思っただろう?」
「ああ……そうだな」
 シルヴィアはホリンの顔を見て、ふと、その表情が変わったのに気が付いた。シルヴィアには見せたことのないような色の目で、アイラを見つめていたのだ。その時、シルヴィアは全てを悟った。その後で、内心にやりと笑った。
「それでは、私は先に城の方に帰るよ」
「ええ、アイラ、またね」
 アイラはああ、と言って背を向け、城の方へ戻っていった。その後で、シルヴィアは再びホリンの顔を見つめた。ホリンの視線はアイラを追っていた。やはり、とシルヴィアは確信した。
「ねえ、あんた、アイラのことが好きなんでしょう?」
 途端に、ホリンはさっとシルヴィアの方に視線を戻した。シルヴィアはにやにやと笑った。
「隠さなくてもいいわよ、女の勘は鋭いんだから。そっか、あの時、あんたはあたしじゃなくて、アイラを見ていたのね。そうでしょ?」
 ホリンはまじまじとシルヴィアを見つめた。ホリンが何も言わないのを、シルヴィアは肯定と受け取った。やっぱり、とシルヴィアはくすくす笑いが止まらなかった。この男の弱点を見つけたような気がした。
 他人の色恋沙汰に興味のない女はいない。シルヴィアも無論、そんな女の一人だった。
「じゃあ、あたしがあんたのこと応援してあげる。いいでしょ?」
「いや、悪いが断る。余計なことはしないでくれ」
「駄目よ。断られたってついていくわ。じゃあ……そうね、あんたの傍であたしが踊って、あんたが元気になる。そういう応援ならいいでしょ?」
 それを聞いてホリンがまんざらでもない表情になったのをしっかりと確認し、シルヴィアは小声で言った。
「ずっとあんたの傍にいれば、あんたとアイラのこともずっと見ていられるもんね」
「聞こえているぞ。よこしまな理由なら、断ると言っているだろう」
「よこしまなもんですか。シグルド様に言ったら、きっと賛成してくださるわ。ああ、楽しみ!」
 ホリンが何か言いたそうなのを遮ってじゃあね、と言うと、シルヴィアは軽い足取りで城の方に戻っていった。
 シルヴィアはその日、一日中上機嫌だった。
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