本命か義理か

 雪も舞う冬の頃。将軍アイク率いるクリミア軍は、デイン国内に駐留していた。
 これからデイン城に攻め入り、国王アシュナードを討たねばならない。その目的に近づいてきているせいか、デイン軍の目につかないような場所にいるクリミア軍の者たちも、皆ピリピリとした空気の中で緊張しているようだった。それはガリアの戦士としてこの戦いに参加しているレテも、例外ではなかった。
 天幕の中にいても暇なだけだし、息が詰まる。そこで外にいた方がましだ、と外に出てきたのは良かったものの、だからといって時間を上手くつぶす方法があるわけではない。レテは一人でつまらなさそうに外を歩いていた。時折外の様子に気を付け、怪しい者がいないかチェックする。
 そうして一通り陣取っている場所をくるりと回った後、レテは外に一人たたずんでいる軍の者を見かけた。
「ジル。何をしている」
 ジルと呼ばれたその少女騎士は、レテの方を振り向いた。傍らに立派な竜を従えた彼女は、何を隠そう元デインの騎士である。
「レテか。いや、何をしているというわけではないが……」
 そう言いながらジルは、相棒の竜にここで待つよう指示し、レテの方にやって来た。
「レテも暇なのか? することがないように見えたんだが」
「まあ、そういうことだ。だが中にいてもつまらんのでな」
「そうか。一緒だな」
 ジルはそう言って微かに笑った。
「なあ、レテ。バレンタインという行事を知っているか?」
「いや、知らないが」
 初めて聞く単語に、首を傾げるレテ。そうだな、とジルは言って、言葉を続けた。
「もしかしたら、私たちベオクだけの風習なのかもしれないな。バレンタインとは」
「そのバレンタイン……とは、一体何なのだ?」
 レテの問いに、ジルは答えた。
「この日は、女性が思いを寄せる男性にプレゼントをして、思いを伝えるための行事があるんだ。実は、そのバレンタインの日が明日なんだが」
 聞き終わってから、レテは納得したような顔をして頷いた。
「ほう。なかなかに興味深い行事だな。ベオクの女は、そうやって男に思いを伝えるものなのか」
「まあ、それが一般的だ」
 ジルはそう答えてから、そうだ、とレテに思いがけない提案をしてきた。
「実はこのプレゼントが、一応チョコレートのような菓子ということになっているんだが、良かったら一緒に作らないか?」
「え? 今からか?」
 レテは驚く。その後しかし、と言って顔をしかめた。
「私は今、思いを伝えたい男などいないぞ?」
「ああ、その辺りは問題ない。身の回りにいる男性に贈っても、全く不自然ではないからな」
 ふうん、と納得したようなしていないような顔をして、レテは頷いた。いまいちバレンタインという行事が飲み込めていないのだが、とにかく男性に贈り物をする行事だと見ていいのだろう。レテはそうやって、自分の中で解釈しておいた。
 その間、ジルはぶつぶつと独り言を言っていた。
「そうだな、誰に渡すか……皆というのも、多すぎるような気もするしな」
 レテにはよく分からないので、ジルの独り言にも突っ込まずに聞いておく。ジルはしばらくそうしてぶつぶつと呟いていたが、はっとしてレテに笑顔を向けた。
「そうだ。アイク将軍なんか、いいんじゃないか?」
「な……アイクに?」
 レテはその提案に、思わず心臓をわしづかみされたような気分を味わった。いつもより早くそして大きく、心臓が鼓動しているように感じる。それから少しして、何故かアイクには渡さない方がいいような気がしてきたので、慌てて首を横に振った。
「や、やめておけ。アイクよりも、もっと他がいるだろう」
「何故だ? 私たちがお世話になっている男性なんて、アイク将軍の他にいないだろう?」
 ジルは真剣に首を傾げ、そのままの問いを返してくる。レテはく、と呻いて、ジルから顔を背けた。何故か顔が熱くなっているような気がして、自分で自分が腹立たしくなる。
「まあ、とにかく。アイク将軍に渡すということで、決まりだな」
「そ、そうだな」
 レテが文句を言う間もなく、ジルが勝手に決定してしまったので、レテも頷いた。アイクに贈り物をする。その上、ベオクの女性にとってはとても大切な意味を持つ、その日に。レテはそう思うだけで何故だか気恥ずかしくなり、そんな訳の分からない感情に振り回されている自分を腹立たしく感じるのだった。


 二人は調理場に来ていた。といっても行軍中なので簡易に作られた場所ではあるが、これで十分だとジルは言った。
 材料はわりと簡単に手に入った。意外なことに、食料庫にチョコレートが置いてあったのである。手に入れた材料を使い、ジルは早速調理を始める。レテもジルに教わりながら、慣れない手つきで溶かしたチョコレートを混ぜたりした。
「うん、おいしそうだな。あとは型にはめて……」
 ジルは何度も作ったことがあるのだろう、慣れた手つきで進む。レテは料理ということさえしたことがないので、一つ一つもかなり戸惑いながらの作業だった。
 溶かしたチョコレートを型に流し込み、あとは固まるまで待つことになった。暇になった二人は、調理場の近くに置いてあった椅子に座り、しばらく雑談することにした。
「行軍中にバレンタインなんて、不謹慎だと言われるかもしれないな」
 ジルが呟くように言い、レテはふうん、と軽く頷く。
「けど、レテと一緒にチョコレート作りが出来て良かった。私はあまり軍の人たちと交流がないからな。少し寂しく思っていた」
 ジルがぽろっと本音をもらすのを、レテは初めて聞いたような気がした。だが、彼女の言うことは、レテにも少し分かる気がした。自分は寂しいと思ったことなんて、一度もない――少なくともレテ自身はそう思っている――けれども。
 レテが黙っていると、ジルは話題を変えた。
「なあ、レテ。二人でアイク将軍に渡しに行くというのも変な気がするから、私は別の人に渡してくることにしようかと思ってる。それでいいか?」
「え? それじゃあ私が、アイクに渡しに行くのか?」
「うん。それで構わないか?」
 それとも、とジルは心配そうな顔つきになる。
「レテが別の人に渡しに行くか? 何か、アイク将軍のことを嫌がっているように思えたんだが」
 そう言われて、レテは慌てて首を横に振った。
「い、いや。別に嫌なわけではないが」
「そうか、なら良かった」
 ジルは笑みを見せた。レテはジルの笑顔を見て、何故か心臓の鼓動が早くなったように感じられた。ジルから顔を逸らし、レテは無理やりしかめ面を作るのだった。


 やっとチョコレートも固まり、ラッピング作業はほとんどジルにやってもらって、レテはチョコレートを持ってアイクを捜しに行った。
 アイクは意外とすぐに見つかった。暇そうに、自分の天幕の前でたたずんでいたからだ。
「アイク!」
 レテが彼の名を呼ぶと、アイクは素早く反応し、レテか、と呟くように言った。レテは急に大きく心臓が跳ね上がるのを感じたが、何とか動揺しないように努めた。
 やがて彼は、レテが手に持っている物に気づいたようだ。指差して、これは何かと尋ねてきた。レテは照れながら、その問いに答えた。
「これか。これは……その、お前へのプレゼントだ」
「俺に?」
 今度は己を指差してそう訊くアイクに、レテはこくりと頷いた。ところがアイクは喜ぶ様子を見せず、逆に首を傾げた。
「一体どうしたんだ? 今日はやけに、女性から菓子をもらうんだが……」
「! ほ、他からももらったのか?」
 レテにとっては予想外の出来事である。と同時に、そんな可能性を微塵も考えなかった自分に腹が立った。今日はバレンタインデー。軍にいる女性は自分以外全員ベオクだというのに! アイクが別の女性から贈り物をされていても、全く不思議ではなかったはずだ。
 急に顔が不機嫌そうなものに変わっていくレテを見て、アイクは言った。
「どうしたんだ? 何かまずいことでもあったのか?」
「い、いや」
 レテは慌てて否定する。が、少し落ち込んでしまった心を浮き上がらせる手助けにはならず、レテは彼に渡すかどうかすら迷い始めていた。しかしここで逃げてしまう方がもっと嫌だ。レテはそう思い直し、アイクの方にラッピングされたチョコレートを差し出した。
「私からも……チョコレートだ。受け取っておけ」
 ああ、とアイクは拒むこともなくチョコレートを受け取ってくれた。レテは少しほっとする。
 その後、アイクはレテに思いがけない質問をしてきた。
「なあレテ、これは義理なのか?」
「はっ? 義理……だと?」
 全く関係なさそうな質問に、レテは目を丸くする。
「そうだ。俺のところに菓子を贈ってくれた女性のほとんどは、義理だから、と一言残して去っていくんだ。だからレテもそうなのかと、少し気になっただけなんだが」
 レテは義理という言葉の意味を知っていた。他人との交際上、仕方なくしなければならないことという意味で、レテはそういう言葉が一番大嫌いだった。今度は慌ててではなく、目を怒らせながら、大きく首を振って否定した。
「私は義理という言葉が嫌いだ。そんなわけがないだろう」
「そうなのか?」
「当たり前だ。私が仕方なくお前にチョコレートを作ってやったとでも言いたいのか? 私がそんな、面倒なことをわざわざするわけがなかろう」
 レテがそう恥ずかしさも見せずに断言する様子を見て、アイクは頷いて納得したようだった。
「そうか、ならいい。その方が嬉しい」
 嬉しい。その言葉を聞いた瞬間、レテは体が麻痺したように脱力していくのを感じた。分かっている、自分は嬉しさに震えているのだと。
 だがその様子を見せるわけにもいかず、ふんと言ってアイクから顔をそむけた。
「とにかく、早めに食べろ。私はもう行くからな」
「ああ、分かっている。ありがとう」
 礼の言葉を聞いた時も嬉しさが胸を支配しつつあったものの、レテはそんな様子を少しも見せず、その場を去っていった。


 後に「義理チョコ」と「本命チョコ」の意味を聞いたレテは、仰天する。撤回しようにもできるはずはなく、真面目に反論してしまった自分に少し腹が立っていた。
 一方アイクはそのような意味を知ることもないまま、レテの本心からのチョコレートを一番喜んで食べたらしい。
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