今日は何の日?

「おーい、アイク!」
 行軍の途中、少し暇になれる時間があって、アイクが天幕から離れて外でのんびりとしている時だった。外の見張りを終えて帰ってきたのだろうか、ライがアイクを呼びながら向こうから駆けてくるのが見えた。
 ライはアイクの前で足を止め、荒く息をつく。そんなライを見て、アイクは尋ねた。
「どうしたんだ? ライ、見張りはもう交代したのか?」
「おうよ。さすがに仕事をほっぽり出してまで、お前のところに来るわけにはいかないからな」
 ライはブイサインを決め、にっと笑った。それならいい、とアイクも頷く。
 そこでライは、急に話題を変えてきた。
「ところでアイク、今日は何個もらったんだ?」
「は? 何個って、何のことだ?」
「決まってるじゃないか。チョコレートのことだよ」
 全くライの話が見えないので、アイクは首を傾げるばかりである。話が分かっていないことをさとったのか、ライは仕方ないなぁ、といった様子で説明した。
「今日はバレンタインデーってやつなんだろ? ベオクの間での特別な日」
「ああ、それか」
 アイクは記念日関係にはかなり疎いのだが、バレンタインデーには毎年妹のミストやティアマトからチョコレートをもらっていたので、すぐに分かった。納得した様子のアイクを見て、それで、とライは再び問うてくる。
「今日は何個もらったんだ? ほら、もったいぶらずに言えよ」
「いや、今のところ一つもないが……」
 アイクの返事を聞いて、なんだよ、とライがつまらなさそうに言う。ライはアイクがチョコレートをもらえることがそんなに嬉しいのだろうか。アイクがそんな的はずれなことを考えていると、ライが再び口を開いた。
「んー、でもま、さすがに行軍中じゃバレンタインとか呑気なことも言ってられないか。ゼロ個ってのも、ある意味仕方ないのかもな」
 そう言って、納得したようにうんうんと頷く。そうだな、とアイクも同意した。この行軍中では、いかなる時も気を抜くことなどできない。いつデイン軍が攻めてくるか分からないからだ。今は一応何もなくてこうして暇な時間があるが、この暇な時間でも気を抜いてはいられない。
 ここでこの話題は終了したものと思われたが、ふと、ライが何かを思い出したように声を上げた。
「そうだ。お前、もしかしたらもらえないこともないかもしれないぞ」
「え、何故だ?」
 アイクが尋ね返すと、ライは頷いて言った。
「レテが調理場にいるのが、さっき見えたんだよ。あいつが調理場にいるなんて、普通考えられないだろ? ラグズは食べ物の調理を必要としないんだからな」
「まあ、それは確かに。だが何故俺なんだ?」
 ライはその反応が予想通りだというように笑った。
「お前、本当に鈍感だなぁ。何にも気づいてないのか」
「は? いや、気づいてないのかと言われてもな」
 冗談ではなく本当にぽかんとしている様子のアイクを見て、ライはまた笑った。
 しかしアイクにとってみれば、ライに何故ここまで笑われているのか全く理解できない。理由も見つからない。敢えて挙げるなら、ライが先程言った鈍感、のくだりか。しかし自分のどこが鈍感だと言うのだろうか。
「なあライ、一体俺のどこが鈍感なんだ?」
 アイクが素直に出てきた疑問を口にすると、ライは笑い声をもらしながら言った。
「そういう質問をするところが、鈍感だって言うんだよ」
 あやふやなライの答えに、アイクは首を傾げるしかなかった。


 それからしばらくして、アイクはライと別れて自分の天幕のところに戻った。ライに言われたことを未だに考えながら歩いていたので、何度も地面にある石につまずきそうになった。
 一応周りを見渡して危険がないことを確認し、自分の天幕の中に入ろうとする。
 するとアイクが歩いてきた方から、声が飛んできた。
「アイク!」
 アイクが声のした方を振り向くと、そこにはレテの姿があった。何というタイミングであろうか。先程ライと話した内容に出てきたレテが、アイクの前にいるとは。
 その上彼女をよくよく見てみると、その手に綺麗なラッピングをした包みが握られていた。
「レテ、どうしたんだ? 何かあったのか?」
 まさかあの中身はチョコレートではあるまいなと思いながら、アイクは尋ねる。するとレテはほんのりと顔を赤らめ、そろそろとアイクに包みを差し出してきたのである。
「これ、お前へのプレゼントだ。受け取ってくれ」
 予感が的中していそうな気がして、アイクは更に尋ねた。
「まさかこれ、チョコレート……か?」
「そ、そうだが。何故分かる?」
 レテは驚いたように尋ね返してきた。アイクは思った通りで、妙に納得していた。正確にはライの予感が当たっていたのだけれども、しかし何故ライはこんなことが分かったのだろうか。アイクはそのことに首を傾げながら、レテのプレゼントを受け取った。
「ありがとう。今日はバレンタインデーだな?」
 そこまで分かっているのか、という顔をして、レテは目を丸くした。
「アイク、お前いつの間にそんなに鋭くなったんだ」
「は? どういう意味だ?」
「いや、そのままの意味だが」
 質問の意図が分からず、アイクは答えられなかった。黙ったままのアイクを見て、レテはレテなりに彼の行動を解釈したのだろうか、納得したようにふうんと頷いていた。
「まあ、それはいいが。それよりアイク、このバレンタインデーという日に、どんな意味があるか知っているのか?」
 バレンタインデーという日について聞かれたのだと思い、アイクはそのまま答える。
「いや、女性が男性にチョコレートを送る日だろう?」
「そういう意味ではなく……その、もっと、そこに隠された意味だ」
 レテは妙に歯切れ悪く言った。少し彼女の顔が赤らんでいるようにも見える。しかしアイクには、冗談抜きで質問の意味が分からない。こんな歯切れの悪い言い方をされたなら、尚更のことである。
 意味が分かってそうにないアイクを見て、レテは軽くため息をついた。
「やはり知らなかったか。鋭いと思ったのは気のせいだったようだな」
「レテ、どういう意味なんだ? さっきはライに鈍感だと言われるし、レテまで――」
 ライの名前を出した途端、レテははっと目を開いた。筋が通った、とでも言いたげに、独り言を呟く。
「そうか。さっきのは、ライの入れ知恵だったか……」
 一人だけ納得した様子のレテを見て、アイクは少し不満げに唇を尖らせた。ライにもレテにも分かるのに、自分だけは納得できない。もやもやとした気持ちだけが、アイクの心に溜まっていく。
 再びレテに何が納得なのかを尋ねようとした時、レテが先に口を開いた。
「それではまた後でな、アイク。できれば早めに食べてくれると嬉しい」
「ああ、分かった」
 そう言って、レテはその場から去っていった。結局解決できないもやもやとした気持ちを残したまま、レテは行ってしまった。


 アイクがチョコレートの包みを持ったまま天幕の中に入ろうとした時、後ろからとんとんと肩を叩かれた。誰かと思って後ろを振り向くと、そこにはにやにやとしたライの姿があった。
「おい、アイク。やっぱりレテからもらっただろ? 俺の言ったとおりだったな」
「まあ、それは確かにそうだが……本当に何故分かったんだ?」
 先程もした同じ質問をすると、ライはくすくすと笑いながら今度は答えてくれた。
「あいつ、最近おかしかったからな。妙にお前の方ばっかり見てる。以前はこんなこと、一度もなかったのに」
「はあ、それだけなのか?」
「もちろん」
 何故それだけの判断材料で分かるのか、もう一度問い直したいところだったが、無駄なような気もしてやめておいた。自信たっぷりなライを見ていると、何故か納得させられてしまいそうな気もした。
 その後、アイクはレテからされた質問をライにしてみた。するとライはそのことか、と再び笑い声をもらした。
「あー、レテはついにその質問をしたか。あいつもなかなかやるなぁ」
「それで、答えは一体何なんだ?」
 アイクが苛々したように答えを促すと、ライは少し考えた後、アイクに耳打ちをしてきた。
 アイクはライが話すうち、だんだんと表情を驚きに変えていった。そして話し終わると同時に、目を丸くしてライの方を見つめた。
「まさか、そんなわけがないだろう?」
「俺もそう思うさ、まさかってな。あの硬派なレテが、だぜ?」
 そう言ってライが笑い、アイクもこくりと頷いた。確かにまさかと思った。まさかとは思うが、悪い気がしないのも事実であった。
 アイクが複雑な気分になっていると、ライが肩を叩いてきた。
「まあいいさ、その辺りはお前が決めればいいことだ。とりあえず、俺は教えただけだからな」
 じゃあな、と言って、ライは去っていってしまった。
 アイクは残されたレテのチョコレートを見ながら、まさかとばかり考えていた。まさか、まさか、まさか。その三文字が頭から離れない。
 そんな可能性を微塵も考えていなかったアイクは、突然の事実――これを事実と呼べるかどうかは知らないが――に慌てていた。この気持ちをどう処理すべきかよく分からない。
 アイクは自分の天幕の中で、今度レテに会ったら聞いてみよう、と決意していた。
 そういうところを気遣えないのが、やはりアイクらしいところなのであった。
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