鬼という種の存続のために交わした契約により、薩摩に連れて来られてから、既に一週間が過ぎようとしていた。
風間の屋敷の与えられた部屋の真ん中で一人ぽつんと正座したまま、千姫は風間への不信感を募らせていた。千姫がここに来た目的ははっきりしている。西の鬼の頭領である風間千景と、京の旧き鬼、鈴鹿御前の末裔である千姫が交わり、子を産む。されば、血筋としてはこれ以上申し分のない子が出来るであろう。風間家の頭領として妻を探していた風間と、女鬼としていずれは鬼の子を産まねばならぬ運命を背負った千姫の利害は一致していた。
千姫は元より風間の妻となるつもりも、風間家に入るつもりもなかったが、子を産むまではと、風間に付いて薩摩に行くことを了承したのだ。そうして長い道程を越え、薩摩に来てもう一週間が経とうとしている。早々に目的を果たしなるべくなら早く京に帰りたいと願っていた千姫の希望は、未だ叶えられずにいた。風間が、一度もその腕に千姫を抱こうとしなかったのである。
目的はこれ以上ないくらい明瞭であったはずだ。それなのに何故、と千姫は膝に置いた手に力を込めた。風間家の者たちには不本意ながらも夫婦として扱われ、床を同じくしているというのに、風間は夜布団に入るとそのまま自分に背を向けて眠ってしまうのだ。今まで何度も、その理由を問いただそうとした。だが風間は決まって面倒くさそうな顔をしながら、今日はお前を抱く気分ではない、と一蹴してしまうのだった。
だが、もう一週間だ。千姫の我慢にも限界があるというもの。今日こそは必ずと、千姫は心の中で、ひそやかに決意を固めた。女としてはしたないと思われても構わぬ、千姫にとっては、ここで目的を達成し早々に京に戻る、それだけが望みなのだから。
夜。部屋の隅に置かれた行灯から漏れる光を見つめながら、千姫は俯いたまま布団の上で正座していた。その瞳には、橙の光に照らされて浮かぶ、確固たる決意の炎が宿っている。
やがて廊下と繋がっている障子戸の開く音がし、千姫が顔を上げると、そこには風間が立っていた。ちょうど陰となっているが故風間の表情は窺えないが、改まって強い意志の含んだ視線を向ける千姫に、ただならぬ様子を感じはしたらしい。
後ろ手で障子戸を閉めながら、風間はいつもの呟くような調子で尋ねてきた。
「……一体何のつもりだ」
千姫も負けじと言い返す。
「いい加減にしてくれない? 私がここへ来た理由をあなたが知らないはずないでしょう? さっさとすること済ませて、私を解放して欲しいんだけど」
風間はぴくりと眉を動かした。だがすぐに、下らぬとでも言いたげに深い息を吐く。
「気分が乗らぬと言っている。気が向かぬままお前を抱いてもつまらんだろう」
「つまるつまらないの話じゃないわ。そんなの、私にとってはどうでもいいこと!」
いつものように面倒くさそうな顔をして、床に入ろうと膝をつく風間を眠らせまいと、千姫は激しく迫る。大胆にも身体を乗り出し、風間の太股の間に足を滑り込ませると、風間はやや驚いたように、僅かに目を見開いた。
「何のつもりだ」
「早く私を抱きなさい。そうでなければ一晩中、あなたの上に乗ったまま動かない」
千姫の確固たる声が、淡い闇に支配された寝室に響く。しばらく、二人はそのままの体勢で睨み合っていた。
お互い一歩も譲らぬこの状況で、先にぴりぴりとした沈黙を破ったのは風間だった。溜息を吐いた後、唇を動かす。
「抱いてくれ、と言うが……お前には本当にその覚悟があるか?」
「ええ、あるわよ。当然でしょう? 京を離れた時から、そのくらいのこと覚悟して――」
風間の問いに即答した千姫だったが、やがて風間の手が自分に伸びてきていることに気付き無意識に身体を硬くする。風間は一度言葉を途切れさせた千姫に、ほう、と納得したようなそうでないような呟きを落とし、千姫の腰に巻き付けられた帯、更にそれを縛っている赤い紐に、ゆっくりと手を掛けた。
「な、何をするの?」
「何をする、とは……その覚悟は真の物か?」
反射的に警戒の言葉を投げた千姫を、風間は鼻で笑った。男が女の帯に手を掛け、することといえば一つ。それを頭では理解していたはずなのに、千姫の身体の硬直は解けぬままだった。心の奥底で押し殺していたはずの感情が首をもたげてくる。それを悟られぬように震え始めた唇を噛んでみるも、この男の前でどのくらい隠し通せるのか、千姫には自信がない。
風間は器用に帯の紐を解くと、ぱさりという音を立てながら、千姫の腰を拘束していたものを取り払った。そうして無防備となった布と布の間へと、素早く手を滑り込ませる。襦袢も腰巻きも、紐の拘束を失った今となっては何の役にも立たない。
千姫が小さな悲鳴を上げると、風間は千姫が逃れぬようもう一方の手を背に回し、自分の側へと引き寄せた。
「俺を受け入れる準備ができているか、見てやろう」
囁くように発せられた風間の声と熱い息が、耳の中でいつまでもじんわりと残り続けた。
「あっ――あ……!」
下半身を襲う未知の感覚に、千姫は背を震わせる。誰にも触れられたことのない場所を、今まさに風間が蹂躙している――その事実に対し、怒りに打ち震える暇などなかった。次から次へ、波のように襲いかかる熱い感覚に、ただひたすら耐えることしかできない。
千姫は風間の背に手を回し爪を立てながら、決して声を洩らすまいと必死に唇を噛んだ。風間の指は千姫の花弁を強引に押し広げ、その長い人差し指を中へ侵入させる。
「ぁ……!」
だが、誰も受け入れたことのないその場所は、たとえ指一本でも通すことを拒んだ。無理矢理押し広げられた箇所のちりちりとした痛みから、下腹部に力を入れたまま動けずにいると、風間が深い溜息をついて、再びその周辺を弄り始めた。
「どうやらお前自身は、俺を受け入れる準備など露ほどもできていないようだが?」
「ッ――!」
反論できなかった。それよりも反論しようと口を開けば油断の声が洩れてしまいそうで、とても恐ろしくてできない。今までは簡単に子を産むだの、私を抱いてくれだのと口にしていたけれど、実際の行為はこんなにも未知なる恐怖を伴うものなのだと、初めて知ることになった。
風間の手の動きは止まらない。薄い茂みをいとも簡単に突破し、何度も何度も花弁に指の腹を擦りつける。そのうち、千姫の身体から何か熱い物が溢れ出す感覚がして、千姫は恐怖に唇を震わせた。風間はそれもすぐに悟ったらしい、恥部からとろりと溢れる蜜を指で掬い上げ、ほう、とおかしそうに笑う。
「準備は出来ていなかったが……俺がその準備をしてやることも、できなくはないか」
「ど、どういうこ――ぁあ、んっ……!」
潤んだ秘部へと蜜を擦りつけられ、再びその指は頑なに閉ざす千姫を押し広げようとする。腰ががくがくと震え、千姫は既に唇を閉ざしていた歯の動きさえもままならなくなって、全ての抑止力を失った千姫は、風間の上で甘く喘いだ。
「はぁ、んっ……だ、だめ……」
「何がいけないのだ。覚悟は出来ていたのではなかったのか?」
「……こ、こんな、こと、するなんて――!」
「お前が望んだのはこういうことだ。知らぬのならしっかりと肝に――いや、その身体に銘じておくのだな」
笑みを閃かせた風間の指は止まらない。しとどに濡れた秘所を舐め回すかのように指の腹で蹂躙し、二本の指で押し広げ、その閉ざされた内壁を解していく。内部で乱舞する風間の指の感触が、千姫を煽り続ける。
「あっ、ぁ……やめ、もう……おねがい……」
風間の上着を握りしめ懇願するが、返す風間の声は冷たい。
「お前が望んだことだ。最後まで付き合うのだな」
「そんな――ぁ……ん、も、だめ……」
「ふ……良い声で啼けるではないか。強情なばかりだと思っていたが」
「っ、く……!」
風間にこんな情けない姿を至近距離で見られている――そのことが、千姫の羞恥心を更に煽り立てた。だが不思議なことに、羞恥を感じることが抑止力になるどころか、身体の芯は更に燃えるようにじわじわと熱を上げ、蜜は溢れて止まらなくなってしまう。
「どうやら、懐柔されてきたらしいな?」
くつくつと笑う風間の背に、千姫は鋭く爪を立てる。
「ッ、誰が、そんな、こと……!」
「まだ抵抗するのか。無駄なことを……京の八瀬の姫とはどんな女かと思っていたが、これほどまでに強情であったとはな」
だが、と、風間は笑みを深めつつ言葉を続ける。
「その頑ななまでの芯の強さ……気に入った。俺の妻となるからには、このくらい強気でなければな」
「誰、っが……いつ、あんたの妻になると言ったの……!!」
「それにな、千」
千姫の言葉を無視するように、立て続けに言葉を紡ぐ。風間が自分の名を呼んだのは初めてだった。不意を突かれて、千姫は思わず息を呑んでしまう。その隙を見計らって、風間は千姫の耳許に熱を吹きかけた。
「貴様は確かに強情だが、なかなかに可愛らしい声で啼く……俺の心をこんなにも煽った女は、お前が初めてだ」
びくん、と千姫の身体が震えた。濡れそぼった花芯と胸が熱くなる。間髪を入れず、風間の指は再び千姫の中で蠢き始めた。こらえきれず腰をがくがくと震わせ、風間の上着を力一杯握りしめる。
「あ、ぁんっ、も、だめ――あぁ……っ!」
刹那、千姫の背筋がぴんと伸び、一瞬時が止まったかのように静止した。
直後、見開かれた瞳には瞼が下り、千姫の身体は風間の腕の中でくずおれる。
不覚にも風間の胸に預けることとなったその顔に、一筋の涙が伝った。胸にせり上がる屈辱感。そして、自分への苛立ち――あっさりと優位を風間に渡してしまった自分が情けなく、また悔しかった。同時に、こんなふうに風間の愛撫に反応してしまった自分の身体が、何より恐ろしいとも思った。
複雑な感情が心の中で入り乱れ、身を打ち震わせていると、それを宥めるように、風間が存外優しい手で千姫の背を撫でてきた。
「焦ることはあるまい。お前はこれから少しずつ慣れていけば良い。俺の手にな」
ぴくり、と千姫の身体が僅かに跳ねた。ささやかな抵抗として、風間の上着を目一杯握りしめる。
「何故……何故私を抱かなかったの? 私にだけこんなことっ……!」
「お前にまだ覚悟がないからだ。そしてその準備もな。覚悟の出来ておらぬ女を抱いたとて、寝覚めが悪くなるだけだ」
「私は――!」
覚悟なんてとうに、と反論しようとして、しかし言葉は紡がれなかった。風間に触れられただけで身体を硬直させてしまっていた自分、そしてその行為に恐れを抱いてしまった自分。これらのことを考えれば、本当に覚悟を決められていたか否か、その答えを導き出すことは容易い。千姫は唇を噛んだ。悔しいが、風間の言う通りのようだ。
「何、まだ時間はある。これから一生、お前は俺と連れ添うのだからな」
風間の言葉を聞き咎め、千姫はがばりと身体を起こした。
「何を言っているの? 一生ですって? 私がいつ、あなたと添い遂げるなんて言ったの!」
「ふん……風間家に来た時点で、お前は我が妻も同然。何なら、試しにそこらで見張りをしている家来どもに訊いてみろ。お前は俺の何であるか、とな」
風間は初めから自分を京に帰すつもりなどなかったのだ。薄々分かっていたことだが、改めて突き付けられ、千姫の身体から力が抜ける。
逃げようにもここは不慣れな土地。対する風間は、この土地のことなど手に取るように分かっているはずだ。千姫がどうあがいたところで、逃げる術など最初からなかったのだ。心のどこかで分かっていたはずなのにと、千姫はその表情に苦渋を滲ませた。
その表情を見てか、風間は再びその手でやわり、と背を撫でる。
「そう急くな。この俺とて、お前のそんな顔を見たくてこうしているわけではない」
「私をこんな顔にしたのは、一体誰だと思っているのよ」
目一杯の眼力を込めて睨み付けると、風間も真剣な眼差しを持って、それに相対した。
「気が変わった。お前の子ではなく、お前が欲しい――そう思うようになった」
思いがけない言葉がその口から飛び出したのを聞いて、千姫は一瞬え、と戸惑った。風間も自分も最初はただ鬼の子を成すためだけの関係だと割り切っていたはずなのに、まるで意中の女に対し所有欲を剥き出しにする男のようなことを言う。
「京の旧き女鬼を手に入れて、鬼の一族を牛耳りたいとでも言うの?」
「そんなことに興味はない。俺はお前個人に興味がある……ただそれだけだ」
千姫の瞳が僅かに揺らぐ。風間の言葉がいまいち呑み込めずにいた。風間が他人に興味を持つことなど珍しいし、何よりその対象が他でもない自分ときている。いつの間にかほつれかけた心を引き締め直し、千姫は明確な意志を持って、風間と向き合った。
「でも私は……絶対に、あなたのものになんか、ならない」
「ふん。その意地がいつまで続くか……ここで見ているとしよう」
風間はそう言うと、唇の端に笑みを刻んだ。何故かそんな風間の顔を見ていられなくなって、千姫は視線を逸らす。視線の先に見えた行灯の光が、千姫の心を表すかのように、ほのかに揺らいだ気がした。