手を繋いで歩きましょう

「ヒノカ王女。少しよろしいですか?」
 軍議の後、自室へ戻ろうとしていたヒノカを呼び止めてきたのはレオンだった。皆が部屋を出て行く中、ヒノカは足を止めて振り返る。
「何だろうか」
「この後、お時間はありますか?」
「ああ……特に予定はないが」
 それなら、とレオンは微笑んだ。
「一緒に街に出かけませんか」
「構わないが……何か用があるのか?」
「いえ、特にこれといった用はありませんが。ヒノカ王女と共に見て回りたいのです」
 ヒノカはきょとんとした。自分もレオンも街に用はないのに一緒に行きたいとは、どういう了見なのだろう、と。
「私と行っても、特に楽しくはないと思うが……」
 首を傾げながら答えると、ああ、とレオンが何か気付いたように息を吐いた。そうして、ヒノカの前に手を差し伸べてきた。先程よりも笑みを深めながら。
「いいえ。あなたと行くから意味があるのです。これはデートなのですから」
 その言葉で、ヒノカはようやくその外出の意味を知る。急激に頬に熱が集まり始めた。
 誘い自体は唐突だが、何もおかしい誘いではなかった。ヒノカとレオンは既に結婚しているのである。とはいえ、いきなり夫婦関係から始まることに戸惑いを感じたヒノカの気持ちを汲んでくれたレオンと、恋人同士から始めよう、と言い合ったばかりなのであるが。
 だからこれはきっと、恋人同士として仲を深めるための第一歩、ということなのだろう。
「そ、そういう……ことなら」
 ヒノカが戸惑いながらもその手を取ると、レオンは嬉しそうにその手を握った。
「ありがとうございます。では、早速行きましょう」
 レオンの手に引かれ、ヒノカは星界の拠点近くにある街へと向かった。


 街は賑やかだった。白夜の街も賑やかではあったが、ここは外敵の侵攻もなく平和であるからか、どこかのんびりとした雰囲気に包まれていた。
 ヒノカも何度かここに足を運んだことはあるが、せいぜい装備品を見て回る程度だった。それ以外の用で来たのは、サクラの買い物に付き合った時くらいのものか。身を着飾ることや部屋に装飾品等を置く趣味もなく、そういったものは購入したことがなかった。
 だがレオンはむしろ、そういうものをヒノカと見たいと話した。
「レオン王子は、部屋に何か置いたりしているのか?」
「いえ、特には。でも、新居には何かあった方が良いかと思って」
 新居、という言葉にヒノカは未だ慣れず、微かに頬を赤らめた。
 新居とは、リョウマ、マークス両王子がレオンとヒノカのために用意してくれた新しい部屋のことだ。恋人から始めるという決まり事をした後、二人はしばらくその部屋を離れて生活していたが、いずれは共に住む場所として残されていた。
 今後二人の生活を始めるのに、殺風景な部屋はあんまりだと言いたいのだろう。それはヒノカも同意見だった。
「そう……だな。でも、何が良いだろうか……」
「何軒か店を回って、良いものがあれば購入を検討しましょう。それで構いませんか?」
「そうだな」
 レオンとヒノカはまず、近くにあった工芸品の店に入った。
 決して広いとはいえない店内に、所狭しと様々な工芸品が置かれている。鳥や動物の形を模した焼き物や、湯飲みや茶碗のような形をしたもの、キラキラと光るガラス細工など――ヒノカは顔を動かして、店内のすみずみまで視線を巡らせた。レオンは隣で一つ一つを手に取りながら、品定めしている。
「部屋でお茶を淹れた時などは、こういった器が良いかもしれませんね」
 レオンは茶色の湯飲みに触れ、感触を確かめているようだった。
 様々な焼き物の器を見ながら、ヒノカはふと、昔のことを思い出していた。
 かつてまだ、父のスメラギ王が生きていた頃の話だ。ミコトが王妃になったばかりの頃、スメラギは王室御用達の焼き物職人に頼み、夫婦茶碗を作ってもらっていた。食事のたび、二人は毎回それを幸せそうに使用していたのだ。
 ミコトにまだ心を許していなかった幼い頃のヒノカも、あれはいいな、と何となく感じていたことを思い出す。父が亡くなった後も、ミコトはそれを一日も欠かさず使い続けていた。まるで父がそこにいるかのようだと、ヒノカは見る度に感じていた。
「夫婦茶碗、か……」
 無意識に口に出していたらしい。隣に居たレオンが驚いたように目を見開いたのに気付いて、ヒノカははっとした。
「あ、いや、そういう意味ではなくてだな、」
 慌てて弁解するように言葉を紡ぐが、何がそういう意味なのかすらもよくわからず、ヒノカはそれ以上何も言えなくなった。
 なるほど、とレオンは顎に手を当てながら、湯飲みの隣に置かれていた、同じような形の茶碗を眺めた。
「夫婦茶碗、ですか。確か白夜王国では、夫婦となった者たちに揃いの食器を贈る習慣があるのだそうですね」
「ああ……そうだ。私の両親も、結婚したときにそれを作ってずっと使っていたんだ。こういう茶碗を見ていると、ふと懐かしくなって……」
 ヒノカがそう言って頬を緩めると、レオンはでは、と茶碗を手に取った。
「僕たちも買いましょう。どの器が良いですか?」
「か、買うのか? 私たちも?」
「ええ。それとも、僕と揃いの食器は嫌ですか?」
「い、嫌では……ないが……」
 なんだか気恥ずかしい、とヒノカは頬を赤らめた。それを見て、レオンは唇の端でふっと笑う。
「可愛いですね、ヒノカ王女は」
「な、な、いきなり何を言い出すんだ!?」
「思ったことを言ったまでですよ」
 何でもないような顔でさらりと言われ、ヒノカは反論の言葉をなくす。
 今まで身内以外の他人に言われたことのないような、どちらかといえば不本意な言葉ではあったが――悪い意味ではないだろうから良いか、と自分を納得させた。
 レオンはしばらく食器を眺めていたが、やがて軽く頷いてヒノカに向き直った。
「まあ……でも、そうですね。僕たちが本当の意味で夫婦になったら、その時に買うことにしましょう。あなたにも納得してもらった上で、一緒に購入したいですから」
「そ……そう、だな」
 そんな時が、いつかは来る。ヒノカはそれを想像して、顔が熱くなるのを感じた。


 二人は店を出て、しばらく通りを歩いた。
「それにしても」
 肩を並べて歩きながら、レオンが思い出したように言った。
「僕の誘いをデートだと思っていなかっただなんて。緊張して損しました」
 皮肉混じりな笑みを浮かべるレオンに、ヒノカは焦った。
「あ、あれは! それならそうと言ってもらわねば……」
「でも、あなたの恋人が一緒に出かけようと誘っているんですよ? デート以外の何物でもないと思いませんか?」
「それは……そうかもしれないが……」
「もしかして、僕が恋人であることを忘れていましたか?」
 意地悪く笑いながら問いかけるレオンに、ヒノカは力強く首を横に振った。
「いや! そんなことはないが……その、すまなかった。レオン王子」
 申し訳なさでいっぱいになりながらヒノカが謝ると、レオンはふふと唇を震わせて笑った。
「構いませんよ。ある程度は想定していましたし。ヒノカ王女が色恋沙汰に疎いというのは本当だったんだな、と、改めて認識しましたけど」
「し……仕方がないだろう。私は今まで、強くなることしか頭になかったんだから……」
 ヒノカはただただ真っ赤になって俯くしかなかった。
 自分は色恋などとは無縁の人間だと思っていた。いずれは訪れるであろう結婚という一つの区切りを意識しなかったといえば嘘になるが、具体的な想像が湧いたことはなかった。
 なのに――縁というのは不思議なものだ。まさか自分が結婚することになるとは、しかも相手は年下の、暗夜王国の王子だとは――一体誰が想像しただろう。
 レオンの横顔をそっと盗み見る。改めて見ると、彼は端正な顔立ちをしている。最初はいけ好かない男だと感じる一つの要因だった切れ長の目も、今見れば頼もしく惹かれるものがあるとすら思う。
 そこまで考えて、ヒノカは慌てて彼から視線を逸らした。心臓が激しく脈打つのを感じた。
「本当に可愛い人ですね、ヒノカ王女は」
「なっ……」
 ヒノカが顔を上げると、にっこりと微笑むレオンと目が合った。
「あなたの色恋沙汰に疎いところも、そういう話になるとすぐに赤くなるところも……僕にとっては、全てが愛おしい」
 こういう言葉を恥ずかしげもなくさらりと言えるところには、未だ慣れない。ヒノカはもごもごと口の中で様々な言葉を口にしたが、どれも声として発せられることはなかった。
「それでは、僕の愛おしいヒノカ王女」
 レオンは完全に調子に乗ってしまっているらしい。ヒノカが真っ赤になっているのを見て、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、ヒノカに手を差し出した。
「あなたさえ良ければ、この先も僕にエスコートさせてください」
 一瞬躊躇ったが、断る理由は何もない。こっぱずかしい言い方には慣れないが、レオンのことを好ましく感じているのは間違いないのだ。
 ヒノカはレオンの手にそっと自分の手を載せた。
「で、では……頼む」
「はい、喜んで」
 レオンは嬉しそうに笑った。


 二人はその後もしばらく、街の中を歩いて回った。
 ここは暗夜王国でも白夜王国でもないから、二人を王子や王女として、奇異の目で見る者はいない。ヒノカはそれが心地よかった。賑やかな白夜の街を回るのも好きだったが、どうしても人々の目はついて回るし、どこか居心地の悪さを感じていたのは事実だった。
 だが、ここならば、ただのヒノカとレオンとしていられる。身分や立場を気にすることなく、二人でいられる。
 気恥ずかしさが抜けず、レオンに握られるだけだった手を、ヒノカは無意識に握り返していた。レオンは即座に気付いたらしく、唇の端に笑みを浮かべた。
「ヒノカ王女。ありがとうございます」
「ああ……レオン王子、その……」
「はい、何でしょうか」
 躊躇いつつも、ヒノカはそっと口に出す。
「私も、その、色々と努力するから……これからも……よろしく頼む」
「ええ。僕は逃げるつもりはありませんから、焦らずにどうぞ」
 彼の余裕の笑みが、少しだけ悔しい。でも、それは仕方がないこと。
 ヒノカはふふ、と笑って、彼の手に己を委ねた。
(2016.4.10)
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