嘘を吐く花

 タリス城の庭で物憂げな表情をしている王女シーダの姿を見つけた時、マルスはおやと思った。彼女があんなふうな表情をするのは初めて見た。彼女はマルスの前にいる時、常に微笑みを絶やさない少女だったからである。
 マルスはそっと近寄って彼女の様子を観察した。彼女は花壇の前にしゃがみ込み、一輪の花――だったであろう物――を手にしたまま、小さな溜息をついていた。彼女の足の前には、その花から散ったらしき白い花弁が落ちている。
 マルスは目を瞠った。あの花が自然に花弁を落としたとは思えなかった。とすればシーダがそれをむしり取ったのか。しかし、彼女はむやみに植物を痛めつけるような少女ではない。心に様々な疑問が浮かび、マルスは無意識のうちに彼女の方へと歩を進めていた。
「シーダ」
 声を掛けると、シーダは驚いたように振り返った。そうして慌てて立ち上がる。シーダはスカートを払って、微かに頬を赤らめた。
「マルス様。こちらにいらしたのですね」
「ああ。シーダ、その持っている物は一体何なんだい?」
 単刀直入に尋ねると、シーダはますます頬を赤くした。足下に散らばった白く細い花弁へと視線を走らせた後、もごもごと言う。
「ええと……その。マーガレットの花です。ここに咲いていた……」
 確かに、花壇にはシーダが手にしている花がたくさん咲いている。中央の黄色い部分から白く細い花弁を伸ばした可憐な花で、それをシーダが気に入っている事をマルスは知っていた。だからこそ、疑問に思った。何故愛する花を茎から折って、花弁を散らすようなことをしたのだろうかと。
「さっき、とても思い詰めた顔をしていたけど。何かあったのかい?」
「いいえ、その……」
 シーダは少し躊躇う様子を見せた後、小さな声で言った。
「花占いをしていたのです」
「花占い?」
 初めて聞く言葉に、マルスは疑問符を浮かべた。シーダはこくりと頷いて、続ける。
「女の子の間で流行っているものだと聞いて……私もしてみたくなって」
「どういうふうにするんだい? 興味があるな」
 マルスはすっかり好奇心にとりつかれて、シーダの方へ身を乗り出した。シーダは驚いたように目を見開いたが、やがて躊躇いがちにしゃがみ込み、マーガレットの花を一輪手折った。
「それでは……マルス様、どなたでも構いません、大切な人のことを思い浮かべてください」
 マーガレットを手渡された後、シーダにそう言われてマルスは思いを巡らせた。
 真っ先に浮かんだのは、目の前にいるシーダのことだった。心優しく思いやりのある少女。幼い頃は歳の近い彼女と無邪気に遊んでいたが、時間が経つにつれ、両親や姉、騎士たちと同じくらい大切な存在になっていた。
 マルスは心の中に彼女を定め、シーダに向かって頷いた。
「うん、思い浮かべたよ」
「それでは、その花びらを一つ一つ取ってください。『好き』『嫌い』と交互に唱えながら」
 奇妙な指示にマルスは戸惑い、首を傾げた。
「それで、何か分かるのかい?」
「はい。その思い浮かべた人が、自分のことをどう思っているのかが分かるのです」
 シーダの説明を受けてなるほど、と頷く。それで花占いと呼ぶのだろう。マルス自身占いの類には疎かったが、女性がそのようなものを好むという話は聞いていた。
 シーダも一人の女性だ。幼い頃は考えもしなかったことを、最近になって急激に意識し始めている自分に、マルスは気づき始めていた。
 マルスは上の花弁を指でつまみ、引っ張って抜いた。
「『好き』……」
 次はその隣の花弁を抜いて、空中へ散らす。
「『嫌い』……」
 たったそれだけのことなのに、妙に緊張している自分がいることに気付く。隣でその様子を見守っているシーダも、小さく息を呑んだのが分かった。彼女も自分と同じ心境なのだろうか。そう思ったら、ますます緊張して身体が硬くなった。ややぎこちない動きで、次の花弁を引っ張る。
「『好き』……」
 ごくん、と唾を呑み込む音が喉を鳴らす。唇が何故か震えた。そっとシーダの様子を窺うと、彼女も緊張した面持ちでマーガレットを見つめていた。
 マルスはその後も同じような動作を続けた。抜いては唱え、抜いては唱える。時折、シーダの微笑んだ顔がマルスの頭にちらついた。その度に心臓の鼓動が高まるのを感じ、マルスは胸苦しさに喘いだ。微かなものであったから、隣にいる彼女には気付かれなかったが。
 ついに、最後の花弁になった。からからに乾いた喉を唾で潤し、マルスはそれを抜き取った。
「『嫌い』……」
 小さな溜息が、隣から聞こえた。マルスがシーダへ視線を移すと、彼女は物憂げな表情をしていた。
 彼女は言っていた。これで、思い浮かべている相手が自分をどう思っているのか分かるのだと。つまりその言葉の通りならば、シーダはマルスを嫌っているということになる。
 そんなことあるはずがないのに、と打ち消そうとして、何故か落ち込んでいる自分に気付く。もし、その通りだったらどうしよう。彼女に直接尋ねたことはないのだ。その可能性がないなどと、誰が言い切れるだろう。
 溜息をついて、マルスは自嘲気味に笑う。
「どうやら、嫌われているみたいだね、僕は」
「あ、あの。マルス様、それはあくまでも占いですから……」
 シーダがうろたえた様子で言った。マルスが随分傷ついているふうに見えたのだろう。
 シーダの言葉を受けて、それもそうだ、とマルスは思い直す。すると急に心が軽くなって、マルスはもう一度、今度はおかしそうに笑いながらシーダに言った。
「僕は君のことを思い浮かべたんだよ。シーダ」
「えっ……私を?」
 シーダが驚いたように目を見開く。その頬に、微かに紅が差した。
 マルスは肯定の意を込めて頷き、花弁の散ったマーガレットの茎を指先で弄びながら、シーダの次の言葉を待った。
「そんな……私がマルス様のことを嫌いになるなんて、有り得ません。絶対に」
 シーダは普段より強い口調で言い、首を横に振った。その響きには、強い意志が感じられた。
 マルスはそっと安堵の息をつき、表情を更に緩めた。
「良かった。この花が言うように、本当に嫌われていたらどうしようと思ったよ」
「そんなこと、ありません。だって、私は……」
 その先の言葉は小さくなって消えてしまった。シーダは顔を真っ赤にしたまま視線を逸らした。そうして小さく呟くように、次の言葉を紡ぎ出す。
「私も、本当は……さっき、マルス様のことを考えていたんです」
「僕の事を?」
 シーダは真っ赤なまま頷いた。
「そうしたら、同じように『嫌い』になってしまって……それで、落ち込んでいたんです」
「そうだったのか」
 マルスは合点がいったという顔をした。彼女が最初物憂げな表情をしていたのはそのせいだったのだ。
 マルスは微笑んで、シーダに優しく言った。
「僕も同じだ。シーダを嫌いになるわけがないよ」
「本当、ですか?」
 シーダは顔を上げてマルスを見た。マルスは力強く頷いた。
「うん。だから、シーダが思い悩む必要なんてないんだ」
 シーダの顔に、いつもの微笑みが戻ってきた。頬が緩んで唇が綻び、喜びの表情を形作る。シーダが微かに浮かんだ目尻の涙を拭ったのを見た後、マルスは地面に散ったマーガレットの花弁へ視線を移して言った。
「マーガレットは、僕たちに嘘をついていたんだね」
「ふふっ。そうみたいですね」
 シーダも同じように花弁に目をやり、微笑んだ。
 その後、彼女はゆっくりとその場にしゃがみこんだ。その花弁を手のひらに一つ一つ載せた後、小さな声で呟く。
「でも、もしかしたら」
「もしかしたら?」
「マーガレットはわざと、嘘をついたのかもしれません」
 シーダのしみじみとした言葉を聞いて、マルスは視線を下にやったまま考える。マーガレットがわざと嘘をついた。それは一体何のためか。決してマルスとシーダを互いに誤解させるためではない。だとすれば。
 少しだけ考えて、その答えはすぐに出た。マルスは同意するように頷いて、穏やかな表情でシーダを見下ろした。
「そうだね。僕もそう思う」
「はい。私、今、とっても嬉しいです」
「僕もだよ」
 互いに真実の心を明かした二人は、微笑みを浮かべて見つめ合った。
(2010.2.18)
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