あたしの好きな表情

 ある昼下がり、御剣と真宵は、喫茶店でお茶を飲んでいた。
 午前中、真宵の買い物に付き合った帰りだった。昨日、新しいトノサマン関連のグッズが出たというので、なんとしても手に入れたいという真宵の要望をかなえるため、多くの店をハシゴしていたのだ。
 結果、やっとそのグッズを手に入れることができて、真宵は大満足だった。真宵の喜ぶ姿を見ることで、御剣の心もだいぶ晴れた。それだけに、今のこの時間、御剣はいつもよりも穏やかな気分でいられたのだ。
 そんな、二人の間に流れていた穏やかな時間を破ったのは、真宵だった。ガムシロップを二つも入れて、甘ったるいだろうと思われるアイスティーをストローですすった後、御剣に思わぬ質問をしてきたのだ。
「ね、ね、みつるぎ検事」
「なんだ? 真宵くん」
「あたしのこと、どれくらい好きですか?」
 御剣は、危うく飲んでいたコーヒーをテーブルの上にぶちまけるところだった。なんとか踏みとどまって、熱いコーヒーを一気に飲み込み、激しく咳払いをする。
 この娘は時々、思いがけない質問をする。どこからそんな発想が生まれるのかと思うくらいの、奇妙な質問だ。しかも、脈絡がない。
「真宵くん、それは……一体どこから出た質問なのだ」
「なんとなく、訊きたいなって思ったんです。ダメですか?」
「ダメ、というわけではないが……」
 うムム、と御剣は唸った。
 こうして恋人同士という関係になっている以上、御剣が真宵を好きなのは当然のことだ。だが、いざどれくらい好きなのかと訊かれてみると、どう答えるべきか、迷ってしまう。
 見えないものの程度を表すのは難しい。特に、愛などという曖昧なものであると、なおさらのことだ。言葉に出した途端、とてつもなく安っぽくなってしまうような気がする。
 考え込む御剣の顔を、真宵は向かいの椅子からじいっと見つめてくる。その視線を受けるのが苦しくて、御剣はますます唸る。
 御剣の困った様子を察したのか、真宵は微かに目を伏せた。
「ごめんなさい。いきなりじゃ、困りますよね。ただ、ちょっと、気になったから……」
「い、いや。質問自体は構わないのだ、ただ……」
「ただ?」
「その……どう答えるべきか、分からない」
 御剣が苦しそうにそう言うと、真宵はそうですよね、とため息をついた。
「やっぱり、あたしがワガママなのかな。あたし、不安なんです。みつるぎ検事が、あたしのこと、どれくらい好きなのかなあって」
「う……うム……」
 そんな切ない目で言われると、御剣はますます心の中で困惑してしまう。真宵の悲しそうな顔は見たくない。そうさせないためには、先程の質問の答えを見つけるしかないのだが、考えれば考えるほど、答えが遠ざかっていくような気がする。
 それでもなんとか答えを探さねば、と焦っていると、真宵がまたしても顔を上げて、思いがけない質問をした。
「あっ、あのっ! それじゃあ、みつるぎ検事、もう一つ訊いてもいいですか!」
「な、なんだね?」
「みつるぎ検事は、胸、大きい女の人の方が好きですか!」
「な、ななななっ!?」
 御剣は思わず体をのけぞらせた。
 唇を噛んで、法廷で驚かされた時のように、白目を剥く。口から、ぐむむ、という、いっそう苦しそうな唸り声が出た。
「あたし、真剣なんです! みつるぎ検事は、やっぱり、お姉ちゃんくらい胸が大きい方がいいですよね!?」
「ま、真宵くん、キミはな、何を……」
 真宵の表情は、彼女が言うとおり本当に真剣だ。御剣はますます苦しい唸り声を上げる。真っ昼間から、こんな場所で尋ねる質問だろうか。御剣の執務室で、二人きりの時なら、答えないでもない質問だ。――それでも、かなり苦しい答えになるのは間違いないが。
 ぷるぷると、唇が震えた。考えすぎて、顔が赤くなっていくのが分かる。
「そ、それは、真宵くん、その、私はだな……」
 何か答えを探そうとして、言葉を紡いでみるが、答えは一向に見つからない。苦しい。海に溺れて、必死に喘いでいるかのようだ。息をしようにも、吸うべき空気が見つからない。
 その時、ふふっ、という、小さな笑い声が聞こえた。御剣ははっとして、真宵を見る。
 真宵は今までの真剣な表情はどこへやら、御剣を見て、おかしそうに笑っていたのだ。御剣はぽかんとした。
「ま、真宵くん?」
「ふ、ふふっ。ふふ……あははは!」
 真宵は腹を抱えて、大声で笑い出した。目には涙さえ、浮かべている。御剣はただただ、彼女の態度の変わりように戸惑うばかりだ。
「ま、真宵くん、一体、何がそんなに……」
 おかしいのか、と言う前に、真宵は目尻の涙をぬぐって、答えた。
「ごめんなさい、みつるぎ検事。あたし、どうしても見たかったんです。みつるぎ検事の、そのカオ」
「カ、カオ?」
「あたし、みつるぎ検事のそのカオ、好きなんです。白目剥いて、ぷるぷる唇震わせてるところ! きっと、みつるぎ検事が困るような質問をすれば、そのカオが見られると思って」
 彼女の奇妙な答えに、御剣は思わず口を開けた。
 真剣な表情をしている時が好きなどと言われるなら、まだ分かる。だが、白目剥いて、唇を震わせている時なんて、どう考えても格好悪い時の表情ではないか。それを好きだと言われて、素直に喜んでいいものか。御剣は複雑な思いを抱きながら、尋ねた。
「な、何故、私のそんなカオが好きなのだ?」
「なんだろう、よくわかんないけど、体がゾクッとするんです。トノサマンが、アクダイカーンをやっつけた時と一緒! ゾクゾクして、シビれちゃいます」
 目をきらきらさせてそう言う真宵に、先程までの不安の色は欠片も見えなかった。
 やられた、と御剣は額に手を当てた。ため息を一つついた後で、ふっ、と笑う。
 彼女はいつも、こうなのだ。御剣からしてみれば、彼女の思考は分からないことだらけで、実に奇妙なものに映る。だがそれが新鮮で、それを一つ一つ知ることが、御剣の密かな楽しみだった。友人である成歩堂の助手、それだけだった関係から一歩進んだ関係になった後でも、それは変わらない。
「全く、君は……私はいつも驚かされてばかりだよ」
「ごめんなさい。でも、あたし、みつるぎ検事のこと、もっともっと好きになっちゃいました」
 そんなことを言う彼女が急に愛おしくなって、御剣は思わずテーブルの上に置かれた真宵の手を握っていた。きょとん、とする真宵に、御剣はややためらいながら、言葉を紡ぐ。
「私も……同じ気持ちだ。真宵くん」
 もっともっと好きになった、という意味を込めて。
 真宵はそれを分かってくれたのか、優しく御剣の手を握り返してくれた。
「えへへ、嬉しいな。じゃあ今、あたしのアイと、みつるぎ検事のアイは、同じくらいあるってことなんですね」
「う……ム。まあ、そうなる、だろうか」
 照れくささに言葉を濁す。すると、真宵がもっと強く、手を握ってきた。
「だめです、みつるぎ検事。ちゃんと、言ってください」
「うム。そう、だな、その……私は、君を愛している。きっと、君と同じくらい、強く」
「えへへっ、嬉しい」
 真宵は満足したように、にこにこと笑った。
 その表情を見ることで、複雑だった御剣の心が徐々にほぐれていくのを感じた。
 御剣は改めて、離すまいとするかのように、真宵の手をしっかりと握りしめた。
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