003.水鏡

 木々の間を抜けて、湖に出る。
 ニュクスの闇色の髪が、風に嬲られて舞い上がった。
 湖のほとりに立ち、視線を落とす。たゆたう水に浮かび上がった自身の姿は、初めてここに来た時と、全く変わっていなかった。
 ニュクスは思わず唇を噛んだ。
 成長しない己の身体と向き合う。それはおそらく他人が想像するよりも勇気の要ることであり、精神力を使うことでもあった。この姿になってからもう何年も経っているというのに、自分はまだこの姿を受け入れられていない。
 これは無辜の人々の命を奪った自分への罰。そう頭では分かっているはずなのに、年相応の姿に戻りたいと願う気持ちを捨てきれず、ニュクスはいつも、浅ましい自分を嫌悪するのだった。
 膝を折り、上半身だけを水鏡に映してみる。それでも自分の幼い顔立ちは誤魔化しようがなく、ニュクスは溜息をついた。
 この場所に来るのは久しぶりのことだった。結婚してからは夫と共に過ごすことが多くなり、子を成してからは、別の星界で過ごす子の元へと足繁く通っていたからだ。
 その子もニュクスと変わらぬくらい、否、ニュクスよりも外見上は大人に見えるほどに成長し、軍に加わって戦うようになった。我が子の成長の喜びと同時に、もう自分の手を必要としなくなったのだという寂寥感に襲われたニュクスは、気がつけばこの場所に足を向けていた。
 そうして久しぶりに、水鏡に映った自分の姿と相対することになったのである。
 以前孤独なままこの湖に訪れていた時と比べれば、自分はとても幸福なのだろうと思う。自分をありのまま受け入れてくれる伴侶がいて、その伴侶との子がいて、自分は一人ではないという実感は、確かにある。けれども、自分自身の問題は全く解決していない。湖を見つめることで、それをいやというほど思い知らされることとなった。
 夫はもう十分に罰を受けたのだから、違う生き方を考えてもいいと言ってくれた。一度はその言葉を受け入れ、ニュクスは幸福を掴んだ。だが、子を成し、大きく成長したその子と並び立つことのできる今、ニュクスはあらためて、自分の外見の幼さを辛く思った。
 子は自分を母と呼ぶ。事情を知る軍の者達は特にそれを見咎めることはないが、外の人間は違う。驚いたように振り向かれ、好奇の視線を浴び、眉根を寄せてひそひそと話をされることもあった。最初は一緒にいられることが嬉しくて街に買い物に出ることもあったが、最近ではそれもなくなった。
 ニュクスは怖かったのだ。自分のせいで、子が好奇の目にさらされるなど、耐えられなかったのだ。それならば自分が離れた方が良い――ニュクスは子の誘いを断るようになった。
 それと同時に、伴侶のことも考えるようになった。自分のような人間が、彼の側にいても良いのだろうか。彼が許してくれても、世間はそれを許さぬかもしれない。否、きっと許しはしないだろう。
 何故なら、彼は暗夜王国随一の魔道の使い手であり、ガロン王の血を引く王子だから――
 ニュクスはそれ以上水面に映った己の姿を見つめることができず、顔を伏せてうずくまった。


「ここにいたのか、ニュクス」
 ニュクスははっと顔を上げた。この声を、自分は何よりも良く知っている。
 振り向くと、自身の伴侶である暗夜の王子――レオンが立っていた。
 レオンはニュクスの隣に腰を下ろした。ニュクスはなんとなく彼を見ることができず、俯いていた。
「姿が見えなかったから、もしかしたらここかもしれないと思って。やっぱり正解だったね」
 レオンは明るい声で言った。
「ここに来るのは久しぶりだ。僕がお前に指輪を渡した時以来かな」
 ニュクスは少し顔を上げ、遠くを見つめた。
 確かにそうだ。ここはニュクスとレオンにとって、思い出の場所でもある。ニュクスとレオンが交流を深め、彼に指輪を渡されプロポーズを受けた場所。そう考えれば幸せな思い出の方が多いはずなのに、今のニュクスの気分は晴れなかった。
「それで、一人でこんなところに来て、何をしていたんだ?」
 レオンの視線がこちらを向く。
 ニュクスは答えることができなかった。仮初めの答えを口にしたところで、きっとレオンには見破られてしまうだろう。かといって、正直に答える気にもなれない。
 沈黙を貫いていると、レオンは湖の方へと視線を戻した。
「お前の表情を見ていれば、なんとなく分かるよ。また以前のように、ここに映る自分の姿を見つめていたんだろう?」
「……ええ……」
 ニュクスは絞り出すような声で肯定した。
 レオンはニュクスを一瞥し、その場で立ち上がった。
「なら、前と同じようにやってみるかい? 目を閉じて、心にお前の大人の姿を思い浮かべて」
「いいえ。今は……そういう気分にはなれないわ」
 ニュクスは首を横に振った。
 再び、沈黙。それを破ったのは、レオンだった。
「また、自分を罰していたのか?」
 図星を指されて、ニュクスの心臓が跳ね上がる。思わず微かに震えてしまった肩を、きっとレオンは見逃さなかったことだろう。
 これ以上隠すことはできまいと、ニュクスは観念した。
「……怖くなったの。私という存在が、あなたとあの子にとって良くないかもしれないって」
「良くない? それはどういう意味?」
「だって……私はただの、一介の占い師よ。いえ、普通の占い師なら、まだましかもしれない。人々の命を奪い、こんな呪いをかけられた、幼い姿の私に比べたら……」
 言いながら自分自身の言葉に恐ろしくなり、唇が震えた。そんなニュクスを、レオンは静かに見据えていた。
「僕はそれも全て受け入れる、と言ったはずだよ」
 レオンのその言葉は、かつては自分を救う言葉として受け入れることができていた。けれども、今は違う。改めて自分の立場というものを思い知ってしまったニュクスには、その言葉は何の慰めにもならなかった。
「あなたが受け入れてくれても……世間は、違うわ。この戦が終わって、それでもあなたが私を伴侶として選ぶと言うのなら……きっと、世間はそれを許さない」
「関係ない。世間が許さなくても、僕はお前を選ぶ。お前と共に生きる」
「そんなこと、」
 ただの理想に過ぎないわ。そう言いかけたニュクスの手を、レオンは強く握り締めた。ニュクスは思わず顔をしかめる。やめて、と言おうとしたところで、レオンの真摯な瞳と出会ってしまい、ニュクスは二の句が継げなくなってしまった。
「今更後戻りなんてできないし、僕はする気もない。お前もそれを覚悟して、僕の指輪を受け取ってくれたはずだ。違うのか?」
「それは……」
「それに、世間の目など、どのみち大した問題じゃない。僕は王位を継ぐ立場にいないのだから。僕の結婚相手を気に留める人間なんて、ごく僅かだろう」
 その言葉に、ニュクスは彼の中でくすぶる劣等感を感じ取った。
 彼も自分と同じように、いくつもの複雑な事情を抱えている。たとえば生母に愛されることなく育ったことや、幼き頃より宮廷内の権力争いに巻き込まれてきたこと。第一王子たる兄の存在があまりに大きく絶対的であるせいで、常日頃から劣等感を抱いて生きてきたこと。それを普段表に出すことはないが、ふとした瞬間に言葉の端々に現れることがあって、ニュクスはそれを悲しくも愛おしくも思うのだった。
 レオンの眉間に寄った僅かな皺を、ニュクスは見逃さなかった。ニュクスは思わず、手で包み込むようにして、彼の頬に触れていた。
「そんな顔しないで」
「……ごめん。別に、卑屈になったわけじゃないけど」
 レオンは小さく溜息を吐いて、自分の頬に触れたニュクスの手を、上から優しく握った。
「この間、フォレオが言っていたよ。最近お前が、買い物の誘いを断るようになったって。フォレオは、お前を心配していた。何かあったのかって」
「そう……」
 ニュクスの心はずきんと痛んだ。自分が誘いを断ることで、息子を悲しませていることは分かっていた。分かっていたから、敢えて見ないふりをしてきたのだ。自分と一緒にいることは、息子のためにならない。だから仕方がないことなのだ。そう、何度も何度も自分に言い聞かせて。
 ニュクスは遠くを見つめた。
「あの子が私を母と呼ぶたびに、周りから変な目で見られる。それが耐えられなかった。私はどう思われても構わないけれど、あの子が奇異の目に晒されるのが辛くて」
「それで、僕たちの側にいるのは良くないなんて言い出したのか」
 ニュクスは頷いた。その頬に一筋の涙が伝う。心に封じ込めていた感情が、解き放たれていく感覚があった。
「久しぶりにここに来て、自分の姿を湖に映して……怖くなったの。やはり私は、あなたやあの子の側にいるべきでなかった。こんな業の深い女があなたたちの側にいる資格なんてない、そう言われている気がして」
 ニュクスの手を握るレオンの手に、力が込められた。彼はかぶりを振った。
「誰が何と言おうと、僕はお前を愛すると決めた。お前と一生共に生きると決めたんだ。きっと、フォレオも同じ気持ちだろうと思う。フォレオの母はお前しかいない。心ない人間に何を言われようとも、フォレオはお前の側にいたいと願うだろう」
「レオン……」
 ニュクスの赤褐色の瞳から、次から次へと涙が溢れた。
 レオンの顔が近づいてきて、唇をさらわれた時、ニュクスの胸はこれ以上ないほど高鳴った。初めて彼に抱かれた時ですら、こんなにも高揚したことはなかった。触れ合った唇は互いの温もりを集め、発火したように熱くなった。
 唇が離れた後、レオンはニュクスの涙を拭った。いつものように微笑みを浮かべながら。
「気にするな、とは言わない。でも少なくとも僕は、そしてきっとフォレオも、周りの言うことなど気にしていない。ニュクスに側にいて欲しいんだ。お前以外の誰かでは、駄目なんだ」
「ええ……」
 ニュクスは瞳を覆う涙を拭って、はっきりと、レオンの顔を見た。
 鮮やかな金の髪。その先を見据える、切れ長の目。自分の唾液に濡れた唇。
 途端にああ、と胸が熱くなる。こんなにも愛おしいものを、自分は自ら手放そうとしていた。今更彼の側を離れて孤独に生きることなんて、できるはずもないのに。
 どちらからともなく、二人は手を伸ばし、抱き締め合った。互いの温もりをもう一度確認するように。そして相手の姿が夢や幻などではない、現実のものだと確かめるかのように。


「戻ろうか」
「ええ」
 涙はすっかり乾いて、ニュクスは差し出されたレオンの手を取り立ち上がった。
 その時、湖の向こうから、無数の花びらが流れてくるのが見えた。ニュクスはふと足を止め、歩き出そうとしていたレオンも少し遅れて立ち止まり、彼女の視線の先を追った。
「花びら?」
「こんなにたくさん……一体、どうして」
 ニュクスは花びらが流れてきた方向を目で追い、そこに見えたものに驚いて息を呑んだ。それは隣に立つレオンも同じようだった。
「フォレオ?」
 ニュクスたちがいる場所から少し離れた湖のほとりには、二人の男女が立っていた。そのうちの一人は、息子であるフォレオだった。もう一人の少女はこちらに背を向けていたが、髪型や服装から察するに、レオンの部下であるオーディンの娘だろう。
 二人は籠一杯に集めた花びらを、湖に流していた。とても楽しそうに、笑い合いながら。
 レオンとニュクスの足は、自然と彼らの方に向かっていた。ある程度近づいたところで、向こうもこちらに気付いたらしく、フォレオが驚いたように目を見開くのが分かった。フォレオの方を向いていた少女も、つられてこちらに目を向けた。
「お父様、お母様!」
 フォレオが笑顔で駆け寄ってくる。途端にニュクスは、胸が熱くなるのを自覚した。フォレオとこうしてまともに向き合うのはいつぶりだろう。悲しみに暮れる顔ではなく、明るい笑顔を見るのはいつぶりだろう。また涙が溢れそうになって、ニュクスはその前に目尻を軽く擦った。
「お二人とも、こちらにいらしたのですね」
「ああ。それよりフォレオ、それから君は――」
 レオンが視線を移すと、フォレオの傍らに立つ少女ははい、と笑顔で頷いた。
「オーディンの娘、オフェリアです」
「ああ、オフェリアだったか。二人とも、一体何をしていたんだ?」
 疑問をぶつけると、フォレオよりも先にオフェリアが口を開いた。
「おまじないです。二人の絆を、より強いものにするための」
「おまじない?」
「オフェリアが考えたんです。花びらを湖面に浮かべて、永遠を誓えば、二人の絆はより強固なものになる、って」
 ね、とフォレオがオフェリアの方を振り返り、オフェリアも嬉しそうに頷いた。その様子を見ているだけでも、彼らがただの友人同士ではないことは容易に想像がついた。ニュクスがフォレオを避けている間に、フォレオにも大切に思う相手ができたのだ。子の成長をより実感し、ニュクスは嬉しく思う気持ちと、寂しく思う気持ちが同時にわき上がった。
 オフェリアは湖のほとりにしゃがみこんだ。水面に浮かぶ花びらを嬉しそうに見つめた後、三人の方を振り返った。
「この湖には、言い伝えがあるんですよ。ね、フォレオ?」
「あ、はい。そう、なんです」
 一瞬、フォレオの言葉が少し歯切れ悪くなったのを、ニュクスは聞き逃さなかった。レオンがへえ、と驚いたように言う。
「言い伝えなんて、聞いたこともなかったけど」
「ええ、私も」
 一体どんな、と尋ねる前に、オフェリアが立ち上がり、誇らしげにその内容を告げる。
「この湖で永遠を誓った恋人達は、一生仲良く笑って暮らせるんですって。フォレオが教えてくれたんです」
 レオンとニュクスは思わず顔を見合わせた。そんな言い伝えがあるなど、聞いたこともなかった。本当にそのような言い伝えがあるなら、街や軍の中でもある程度噂になっているはずだが、と。
 その後ろで、フォレオが決まり悪そうな顔でもじもじとしているのを、ニュクスは見咎めた。何か隠し事をしているようだ。
「フォレオ?」
 ニュクスが問いかけを込めて名を呼ぶと、フォレオは観念したように、小さく溜息をついた。
「オフェリア……ごめんなさい。言い伝えがあるというのは、本当は、嘘で」
「えっ? 嘘、なの?」
 オフェリアが長い髪を翻し、驚いたように振り返る。フォレオはかすかに頷いて肯定した。
「本当は……そんなものはないんです。でも、ここは、僕にとっては特別な場所だから……」
 フォレオは一瞬、ニュクスとレオンに向かって目配せをした。それから、オフェリアを真っ直ぐに見つめた。
「オフェリア、ここはね、僕の両親が愛を誓い合った場所なんです」
 オフェリアは軽く目を瞠り、そして、レオンとニュクスを交互に見つめた。視線を向けられた二人は気恥ずかしさに襲われ、それをごまかすように、互いの顔を見合わせた。確かに以前フォレオにその話をしたことはあったが、まさかこんなところで暴露されるとは思いもしなかった。
 その反応を見て、オフェリアは全てを察してくれたようだった。フォレオが嘘をついていたという事実を咎めることもなく、微笑みを浮かべて、フォレオの肩にすり寄った。
「そういうことだったのね。それなら、納得したわ」
「ごめんなさい……オフェリア」
「いいの。それに、その方が、このおまじないは強い効果を発揮してくれそうだわ」
 オフェリアは笑って、湖に広がる花びらを見やった。
「今ここで生きている人たちの思いの方が、何かの言い伝えなんかよりもずっとずっと強いの。だから、私とフォレオ、フォレオのご両親が、思いを込めて花びらを浮かべれば――」
 言葉の途中から、オフェリアの視線は再びレオンとニュクスに向けられた。
 オフェリアの求めることをなんとなく理解し、二人は顔を見合わせた。躊躇いが飛び交った後、ふ、と笑ったのはレオンだった。
「仕方がないね。僕たちも、そのおまじないとやらに乗るとしようか」
「レオン……」
「一生仲良く笑って暮らせるんだろう? 願ってもない話だと、僕は思うけど」
 レオンはそう言って、花びらの入った籠の側に腰を下ろした。続けてフォレオとオフェリアも同じようにしゃがみ込む。
 ニュクスは立ったまま、躊躇うように唇を噛んだ。子ども達の戯れに付き合うべきなのかどうか、未だにニュクスは迷っていた。そう、これは戯れに過ぎないと、きっとレオンも理解している。それでも彼らと同調したのは、先程ニュクスと愛を確かめ合った、あの出来事があったからかもしれない。
 戯れとはいえ、オフェリアの言うことにも一理ある。人の思いは、あらゆるものを動かす。占いを生業としてきたニュクスにとって、その言葉は強く実感できるものだった。
 ニュクスはレオンの隣に行き、ゆっくりと腰を下ろした。
「分かったわ。私も……乗りましょう」
「お母様……!」
 一際嬉しそうな声を上げたのはフォレオだった。それを聞いただけで、ニュクスの胸はまた熱くなるのだった。
 オフェリアが指示する通り、四人はそれぞれ湖に花びらを浮かべた。赤、黄、紫、ピンク。様々な色の花びらが浮かぶ光景は、水面の上にできた花畑のようで、思わず溜息が出るほど美しいものとなった。
 ひとまず籠にあった花びらを全て浮かべたところで、オフェリアは意外にも、ニュクスに声を掛けてきた。
「ねえ、ニュクス様。ニュクス様は占い師をされていたって聞きました」
「ええ、そうだけど」
「だったら、このおまじないの仕上げをして欲しいんです!」
「仕上げ?」
 ニュクスが疑問符を浮かべると、オフェリアは満面の笑みで頷いた。
「はい。もっと、私たちの絆が強くなるように」
「でも、これは、あなたのおまじないでしょう」
 オフェリアの考えたまじないに、自分が介入するのも変ではないか。そう思って言ったのだが、オフェリアは首を横に振った。
「ニュクス様だから、是非、お願いしたいんです。私、ニュクス様にずっと憧れていたから」
 オフェリアはそう言って、微かに頬を染めた。
 ニュクスは驚いた。自分に憧れる人間がいるなんて、思ってもみなかったのだ。
 これまでずっと、人目を避けるようにして生きてきた。自分の占いを頼りに必死にすがってくる人間はいたけれど、ニュクスの占いは問題を解決する過程の一つに過ぎず、ニュクス自身に関心を向けてくる人間は一人もいなかった。それなのに、これまで言葉を交わしたこともなかった少女が自分のことを知っていて、しかも憧れていたなんて。驚きのあまり、しばらく言葉が出なかった。
「ニュクス様の占いはよく当たるって聞きました。色んなおまじないもたくさんご存知だって。だから、私、いつかお話ししてみたいと思っていたの」
 もじもじしながらそう告げたオフェリアは、恋する乙女の顔をしていた。ニュクスはこの顔に弱い。普段は人を避けているくせに、職業病と言うべきなのか――この顔をされると、何か助言をしてやりたくなる。
 ニュクスはその場に立ち上がった。三人の視線が、一斉にこちらを向く。
「皆で、湖の前に立ちましょう。花びらを浮かべた水面に、自分たちの姿を映すの」
 三人はその言葉に従い、立ち上がった。
 オフェリア、フォレオ、レオン、ニュクスの順に、四人が湖のほとりに並び立つ。この中でニュクスの背は一番小さかったけれど、ニュクスはもう、そんなことは気にならなかった。
 水面は揺らめいて、花びらの間から四人の表情を映し出していた。まるで未来を見通すかのような、他の三人の明るい表情につられて、ニュクスも自然と微笑みを浮かべていた。
 レオンがニュクスの肩を抱き、自分の方へと引き寄せる。
「なんだか……いいな。僕たちの結びつきが次に繋がって、また新しい結びつきを生んでいく……」
 フォレオとオフェリアのことを指しているのだと、ニュクスは理解した。
「ええ。本当に」
 ニュクスは心からその言葉を口にした。フォレオの成長と恋を寂しく思う気持ちはこの時、それ以上の喜びをもって、完全に吹き飛んだ。
 二人の隣で、オフェリアがフォレオに寄り添うのが見えた。幾重にも巻かれた髪やレースのついた服など、一見すれば少女のように見えるフォレオの肩が思いの外逞しいことを、きっと彼女は知っている。
「フォレオ。大好きよ」
「僕も。オフェリア、愛しています」
 恥ずかしげもなく交わされた息子達の愛の言葉を、ニュクスは清々しい思いで聞いていた。
 その頬に一筋の雫が伝ったことに気付いたのは、それから数秒後のことだった。
(2017.02.13)
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