058.時間「変わったもの、変わらないもの」

 三年ぶりにアイクと再会した時、その変わりように思わず目を瞠った。
 三年前共に戦った時のアイクは、精悍な顔つきながらも所々に少年の面影が残っていた。
 だが今、その少年の面影は完全に消え失せていた。鋭く光る目は戦況、その行く末を見透かし、盛り上がった腕の筋肉は、普通のものよりも大きなその剣をがっしりと支えていた。彼が動くだけで、その場の空気が大きく動く雰囲気さえあった。三年前もその片鱗を見せてはいたが、ここまであからさまに空気が動くのを見たのは初めてだった。
 そんなアイクは、レテを見ると、一言こう言った。
「変わらないな」
 当然と言えば、当然の反応であった。ラグズであるレテは、ベオクよりも成長が遅く、寿命が長い。育ち盛りの子供ならばまだしも、二、三年経ったところで、そうそう容姿が変化することはない。
 だがその反応を、レテは僅かに寂しく思った。この男はまた二、三年も経てば、また大きくなるのだろう。そして、レテよりも先に老いて、地に還ってゆく――。
 そこまで考えて、レテは思わず首を振った。
 ――何を考えているんだ! 私は……
 アイクが老いる姿など、想像もしたくない。幸い、その姿を見るまでにはまだ猶予がある。レテはもう一度首を振ってその想像を完全に追い出した。


 ある日のことだった。
 いつものようにレテが戦場へ向かおうとすると、アイクが無言で肩を並べてきた。それに気づいたレテは、アイクの顔を見上げた。
「アイク、どうした」
「俺もあんたと同行してもいいか」
 レテは目を丸くした。
「何故だ? お前はこの軍の長だ、先頭へ行くべきではないのか」
「関係ない。あんたさえ良ければ、同行させてもらいたい」
 アイクのきっぱりした口調に、レテは内心驚いていたが、拒む理由もない。頷いて、アイクの申し出を受け入れた。
 こうして並び立つと、アイクが成長したことをいっそう強く感じさせられる。三年前同じくらいだったはずのアイクの背は、もうとっくにレテのそれを飛び越えていた。
「ベオクの成長は、早いんだな」
 レテがぽつりと漏らすと、アイクが微かに首をかしげた。
「そうか? 実感はないんだがな」
「いや、早い。正直、お前がこんなに変わるとは、想像もしていなかった」
「そうだろうか」
「ああ」
 頷いた後、レテはまた、切ない思いに胸を苦しめられる。
 隔たれていた三年という年月は、二人とも同じ長さであるはずなのに――アイクの方が何倍も早く、時を消費したように思える。それが生まれ持った種族のさだめであると頭では理解しながら、レテはどうにもならぬ苦しい思いに悩まされるのだった。
 やがて、戦が始まった。
 間近で大剣を振るアイクを、レテは時折盗み見た。大きな振りながらも決して遅くはなく、空を裂くほど勢いで敵の兵士を容赦なく切り刻んでいく姿は、鬼神にも似ていた。
 そのレテも力を溜め、その姿を獣の姿へと変化させた。レテは猫だ。その速さと身軽さにかけては、他の獣牙のものたちを卓越している。アイクにばかりさせてはおけまいと、自身も素早く動いて敵を惑わし、爪を振るった。
 レテが力を使い果たして元の姿に戻った頃、アイクが声をかけてきた。
「三年前より、あんたの動きが素早くなったような気がする。俺の目では、追えない」
 レテは微かに笑みを洩らした。この軍の将たるアイクに褒められて、素直に嬉しく思えた。
「お前こそ、また剣の腕を上げたようだ。一度手合わせ願いたいところだな」
「ああ、俺もそうしたいと思っていた。この戦いが終わったら、是非受けてくれ」
「もちろんだ」
 言葉を交わし合った後、それまで比較的穏やかだった二人の表情が一変する。敵の気配。森に隠れて、あるいは向こうの平地から、いくつもいくつもやってくる。レテは気を引き締めた。今は感傷に浸っている時ではないのだと。
「あそこだ――!」
 敵の姿を見つけたレテは、声を上げた。アイクがそちらを振り向いて動き出すのと、レテが化身し終わって飛び出すのと、同時だった。


 戦いを終わらせ、次の進軍に備えて戦士たちは休息をとっていた。
 戦場で約束した手合わせを実現させようと、レテはアイクを探していた。めいめいに体を休めたり、談笑して絆を深めたりしている戦士たちの間を縫うように歩きながら、やがてレテはアイクの蒼髪を見つけた。レテは嬉しくなって、素早くその場に向かって駆けた。
 アイクに近づいた時、レテは目の前に広がる光景を見て驚いた。ラグズの戦士たちが、アイクに何やら教えを乞うていたからだ。対するアイクも面倒がらず、一人一人の話を聞いてアドバイスをしてやっているようだった。
 レテが更に近づいていくと、アイクがレテを見つけたようだ。
「ああ、レテか」
 そう言うと、獣牙族の戦士たちが一斉にレテの方を振り返った。突然注目されて戸惑いながら、レテはアイクに言った。
「信じられんな。お前が人に何かを教えているとは」
 その後で、戦士たちを見る。
「お前たちまで、アイクに教えを乞うなんて。一体どうしたんだ?」
「ベオクの戦い方を教えてもらっていたんですよ」
 戦士のうちの一人が言った。
「俺たちはずっとガリアにいて、ベオクのことをよく知らないから」
「何よりレテ、お前も彼にベオクの戦い方を教わっていたんだろう?」
「その話を聞いていたから、俺たちもこうして来たんだから」
 レテは思わず顔を赤くした。確かに三年前、戦を終えて故郷に帰ってから、アイクの話をよくしていたように思う。そのことをアイクの前でばらされてしまって、レテは恥ずかしくてたまらなくなった。
「あ、ああ、そんなこともあったな」
 曖昧に認めながら、レテはアイクに言った。
「それよりアイク、今いいか? お前と手合わせをしようかと思って」
「ああ、そうだったな」
 アイクは思い出したように言い、群がっていた戦士たちに謝った。
「悪い、また後にしてくれ」
 戦士たちは頷き、アイクとレテの二人が近くの広場へ向かうのを、じっと見つめていた。


「お前には、驚かされるばかりだ」
 歩きながらレテがぽつりと呟くと、アイクが怪訝そうな顔をした。
「何故だ?」
「お前の成長っぷりに、だ。体はもちろんだが、剣の腕も……あと、さっきのことも」
「俺にとっては普通のことだとしか思えんのだが、レテにとっては驚くことなのか」
「ああ。私は……少し、寂しくなっていたんだ」
 レテは本当の気持ちを吐露しながら、続けた。
「三年という月日は、人をこんなにも変えるのかとな」
 ずっと考えていたことだった。それを何故アイクの前でこうためらいもなく曝け出せるのか、自分でも分からなかったが、レテはそうしていた。
 対するアイクは微かに驚いたような表情を見せながらも、黙っていた。何かを考えているのか、それとも沈黙が答えなのか――量りかねたレテは、アイクが反応してくれるのを待った。
 沈黙が少し重たく感じ始めた頃、アイクは突然立ち止まった。驚いたようにレテも足を止めると、アイクは口を開いて沈黙を破った。
「だが、変わらないこともある」
 予想外の言葉に、レテは目を丸くしてアイクを見つめた。アイクの方もレテの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「それは、俺たちの関係だ」
「私と、お前の?」
「そうだ」
 アイクは頷いて、微かに笑みを浮かべた。
「三年経っても、あんたは以前と同じように俺と接してくれる。俺も、そうする。そうだろう?」
「ああ……それは、そうだな」
 アイクからの新たな視点の提示には驚いたが、レテは確かにそうだと同意した。
「それだけ変わらなければ、十分だと俺は思う」
 アイクはそう言って、再び歩を進め始めた。
 レテも慌ててそれに追いつきながら、一方で別の考えも生まれていた。三年後でも、アイクに対するレテの対応は変わらなかった。以前のように、親しくなったまま、そのままだ。だが――
 ――私にも、変わったことがあるのかもしれない。
 アイクと肩を並べて歩きながら、レテはそっとアイクの横顔を見た。三年前の戦を終えてから新たに湧いたものの、ずっと下火だったその感情が、今になって再び蘇ってくるのを感じた。
 その感情にどのような名前を付けるべきか迷いながら、今はその感情に従って、アイクの勇ましくなったその横顔を、ずっと見つめていた。
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