知らないことは罪だ。そう言ったのは、傍らの少女――リフィアである。与えられた知識だけを丸呑みして、それに従い、結果多くの人間を傷付けた。それは全て自分の罪である。知らなかったということが、言い訳になどならないのだと。
飛光艇を器用に操縦するセシルの後ろ姿を見つめながら、ラルクは壁にもたれかかり、物思いにふけっていた。これから向かうは、聖地ノワーレ。歌う石イーサ神が眠る場所であり、同時にこれからラルクが眠りに就くはずの場所でもある。そのことは、まだ誰にも話してはいない。話すことなど、できなかった。言ってしまえば、きっと彼女が悲しむだろうから。自分の重荷を、彼女にまで背負わせるわけにはいかなかった。
知らぬ事は、罪。再びその言葉を反芻する。その罪について、彼女は何度も自分に謝罪した。ラルクを巻き込んでしまってごめんなさい。罪悪感に苛まれながら、悲しげに目を伏せる少女に対し、しかしラルクは怒ってはいなかった。全ては必然。自分はこうなるべくして運命づけられた存在なのだと、既に自分の中で整理はついていたからだ。それを伝えてもなお、彼女はその透き通った瞳に悲しみを宿す瞬間があった。彼女は自分なりの償いをするまで、その悲しみを抱え続けながら生きるのだろう――そう、他人事のように考えていた時期もあった。
だが、先刻ディアマントにて、ラルクは自分の罪深さを思い知った。知らぬ事は、罪。その言葉を思い出した時、俺もリフィアと同じじゃないか、と一瞬考えて、ラルクはすぐにそれを打ち消した。否、リフィアよりも、もっと罪深い。自分は知っていたはず、そして知ることはできたはずなのに、自分に都合が悪いからといって、目を逸らし続けてきたのだから。
自分を取り巻く感情の交差。ラルクは複雑に絡み合うそれらの中から、自分に都合の良いものばかり選び取ってきた。そうして、彼女たちが伝えたかった真実の思いから、ずっと目を逸らし続けてきた。その思いを受け止めるには自分は幼すぎて、どうしようもなかったのだ。だが、どうしようもなかったからといって、対処する策を何も講じなかったのは、全て自分の罪だ。自分がリフィアを責める資格など、これっぽっちもありはしない。
――私のものにならないラルクなんか、死んじゃえばいい!
ラルクが目を逸らし続けてきたが故、凄まじいまでの嫉妬に狂い荒れていった幼馴染み。彼女は一心にラルクを求め続け、しかしそれが実現しないと知ると、手の平を返したようにラルクに冷たく当たるようになった。だがそれも一つのラルクを求める手段であったのだと、今ならラルクにも理解できる。当時はただ、今まで自分を慕ってくれていた幼馴染みの変貌を受け入れることができず、ラルクは戸惑うことしかできなかったのだ。
傍らの少女、リフィアもそうだ。彼女は先程、ラルクに想いを寄せていることを告げた。ラルクは最後まで目を逸らしたくて、イーサの子だから自分を好きなのだろう、と彼女に尋ねた。彼女の答えは、果たして否だった。ラルクの胸に込み上げたのは、彼女への愛しさと、同時に――恐れ。突き付けられて、否が応でも目を逸らすことはできなくなった。もう、後戻りできなくなったのだ。
――私、あなたが好き
彼女の言葉は穢れなき純粋なものであるがゆえに、ラルクの心に真っ直ぐに届いて落ち、楔のように埋め込まれる。その楔から浮かび上がる様々な感情に翻弄され、ラルクは息苦しくなって胸を押さえた。だが、こうなったのは決して彼女のせいなどではない。今まで考えることを放棄してきたつけが回ってきただけの話だ。
少女へと、そっと視線を送る。その華奢な身体は、強く抱き締めれば壊れてしまいそうなくらい儚いものに見えた。ラルクは少女への愛しさをはっきりと自覚しながら、少女がラルクの返事を心待ちにしていることを知っていながら、それを言葉にすることはできなかった。無論、飛光艇の中では人目が気になるという理由もある。だがそれだけではない。これから眠る運命を背負わされたラルクが、彼女に思いだけを告げて別れることは、決して許されぬ罪だから。
――リフィア……ごめんな。
泣きたくなって、ラルクは唇を噛み締める。すがれるものなどない。自分がすがれるとしたら、それは自分自身のみ。今までもそうやって生きてきたし、これからもそうするつもりだ。だが――彼女にすがりたいと一瞬でも思ってしまったことに、自分の脆さを見た気がした。
やがてラルクの視線に気付いたのか、リフィアがこちらを振り返る。
「ラルク……」
ぽつりと洩れた彼女の声は、震えていた。気丈に振る舞おうとしながら、そうできていなかった。
「リフィア……」
ラルクは自然と、彼女の肩に手を伸ばしていた。そして、抱き寄せる。彼女の震えが止まり、ラルクの横顔に視線が注がれた。いつもなら気恥ずかしくなって離してしまうところだが、ラルクの手は何故だか、リフィアの肩から離れようとしないのだった。
「……相変わらずだねぇ、山猿傭兵くん?」
気配を感じて二人の方を振り返ったサージュが、面白がっているような、呆れたような声を出す。
「……うるせぇ」
ラルクは視線を外し、リフィアの肩からそっと手を離す。直後、レスリーの意味ありげな視線が飛んできたが、無視することにした。
サージュのからかいはいつも鬱陶しいものだと思っていたが、今回ばかりはありがたかった。――このままリフィアの肩を抱いていたら、一生離れられなくなりそうだから。拠り所を見つけて、安住してしまいそうだったから。
「ラルク」
再び、彼女の声。だが、ラルクは目を逸らすことにした。これも、あと少しの辛抱だ。あと少し辛抱すれば、もう、彼女の辛そうな顔を見ずに済む。
「……行くぞ」
力強さを込めてそう言うと、傍らの彼女はこくりと頷いた。
ラルクはポケットに入れたホゾン浄化プログラムの欠片に触れながら、それを胸に抱く想像を、頭の中にこっそりと描いた。
――これが、俺の罪に対する罰か。
飛光艇のモニターに映り始めた聖地ノワーレを見ながら、ラルクは小さく溜息を吐いた。