束の間のdolcemente

 一月が過ぎ去り、二月が始まろうとしていたある日のこと。
 春歌はレコーディングルームで一人で譜面と向き合っていた。卒業オーディション間近なのでなかなか予約が取れなかったのだが、幸いにも急用ができたとかで練習のできなくなったペアに、部屋を譲ってもらうことができたのだ。
 今書いているのは、パートナーである音也と共に想いを重ね、音也と共に作り上げてきた、卒業オーディション用の曲だった。それを書いている時は、より一層音也と強く繋がっていられる感覚があった。いつも、二人の心の中には同じ音楽がある。この譜面と向き合う度にそれを強く実感できて、少しくらいなら寂しさは紛れた。
 音也は今日も、早乙女学園長の試練で外国に行ってしまっている。心配そうに見つめる春歌に向かって、安堵させるように笑いながら行ってくるよ、と言い残して手を振り去っていった音也の後ろ姿を思い出し、思わず春歌の手が止まった。自分が何も思わずに書いていた五線譜の上の音符がどこか空回り気味に連なっているように見えて、寂しげなメロディが頭の中に一瞬流れた。
 音也に会いたい。会って抱き締めて欲しい。そうして――不意に、春歌の身体の芯がきゅうと熱を持ち始めた。春歌の顔に、血が集まっていく。一瞬でも変なことを考えてしまって、春歌はぶんぶんと首を横に振った。
「続き、考えないと……」
 そう言って再び譜面と向き合ってみるも、先程まで頭の中で流れていたはずのメロディが全く聞こえなくなってしまった。譜面に起こせない。それどころか先程の想像が頭を巡って、もうそれ以外何も考えられなくなった。春歌は顔を赤らめて、小さく溜息をつく。
「音也くん……」
 音也に最後に触れられたのは、確か一週間前のこと――明日にはまた行かなきゃいけないから、と、音也が春歌の頬を手で包み込み、唇を重ねてきた。それだけだったはずなのに、音也の手は、だんだんと首筋から胸、お腹から下半身へと下りてきて――
 きゅう、とまた身体の芯が熱くなった。心臓の音が大きくなっていく。春歌は熱っぽい息を吐いた。スカートへと視線が落ちる。春歌は持っていたシャーペンを机の上に転がして、そのままその手を、スカートの中へと潜り込ませていた。
「……んっ、はぁ……っ」
 布越しに敏感な花弁に触れる。あの時音也に触れられた感覚が戻ってきて、春歌の身体は一層熱くなった。するりと下着の中に指を潜り込ませる。直接その部分を指の腹で撫でると、ぞくぞくとした快感が伝わってきて、春歌は大きく息を吐いた。
「はぁ……ん……だめ……」
 このままでは、自分が止められなくなってしまう。そう思うのに、何故か指は動きを止めてくれなかった。寂しい。寂しい。もっと欲しい。欲望が泉のように溢れ出して、春歌の指はその欲望を満たすために動く。
 擦る度に胸の奥がきゅん、と切なく縮んだ。これがどんなに虚しい行為か知っている。音也がしてくれた時と違って、終わった後には何も残らない。それでも、寂しくて、もっと音也が欲しくて。音也がこうしてくれた時のことを思い出しながら、春歌は何度も何度も、秘めたる部分に指を往復させた。
「音也、くん……っ」
 叶うならば、もっとずっと一緒にいたい。二十四時間、片時も離れずに側にいたい――けれどそれは叶わない。この関係を存続させるために、音也と愛し合うために、今音也は試練を受けている。その間感じる寂しさは、きっと春歌に課せられた試練。そう思って、今まで気丈に頑張ってきた。けれど、一度溢れ出したら止まらなかった。音也が欲しくて欲しくてたまらない。もっと自分に触れて欲しい。口付けて欲しい。そう思う気持ちばかりが、胸をいっぱいにして――
「ぁ、あ……音也、くん……音也くん……」
 ひときわ強い快感に、身を震わせた、その時だった。

「俺はここだよ」

 後ろからぎゅっと抱き締められて、ぞくん、と春歌の身体に強い震えが走った。微かに顔を傾けると、そこには愛しい人の顔があった。
「音也……くん……?」
「ただいま、春歌」
 優しく笑うその顔に、春歌は安堵を覚えて脱力する。音也は後ろから春歌をしっかりと抱き締めてくれた。音也の心臓の音が背から伝わってくる。
「ね、春歌……俺がいなくて、寂しかった?」
「……うん」
「寂しかったから、こんなこと、してたの?」
「え……あっ」
 そこで春歌ははっとする。自分の指はまだ、スカートの中に入れたままだったのだ。一人でしていたことを、音也に気付かれてしまったのだろうか。春歌の顔が、再びかあっと熱くなった。それを見て、音也は優しく笑った。
「赤くなってる春歌、可愛いよ。可愛くて、仕方ない」
 だから、と、音也が抱き締めていた腕を伸ばし、春歌のスカートをまさぐる。
「あ……」
「聞かせて、春歌。俺がいなかった間の、君のこと」
 スカートの中に入っている春歌の手に、音也のそれが重なる。そうして再び、敏感な割れ目に指を押し当てられた。今度は春歌のものだけではない、音也の感触もある。春歌の背はまるで電流が走ったようにびくびくと震えた。
「さっき……何を考えながら、してたの?」
「ぁ……あの、べつに……その……」
「ちゃんと言ってみ? 俺のこと、考えながらしてたの?」
 春歌の体温が急上昇する。頭が沸騰して、何も考えられなくなった。真っ赤になった春歌を見て、音也がくすくすと笑いながら促す。
「教えて、春歌」
 音也の指が動いて、茂みをかき分け、自分のものよりも少し太いそれが花弁に押しつけられる。
「ぁっ……」
 きゅ、と身体を縮めると同時に、春歌はこくこくと頷いた。それだけで精一杯だった。音也は満足そうに笑って、ゆっくりと指の動きを再開させる。
「そっか。俺のこと、思ってしてくれてたんだ。嬉しいな」
 音也の指の動きが僅かに速くなる。それに合わせて、春歌の身体は弓なりに反った。次第にぐちゅ、という卑猥な水音まで聞こえてきて、春歌は思わず耳を塞ぎたくなる。恥ずかしくてたまらない。一人でしていたということを知られるだけでも恥ずかしいのに、こんな体勢で、また――
「ねえ、春歌の想像の中の俺って、どんな感じだった?」
 ちゅぷん、と蜜壷に中指を沈めながら、音也が再び囁く。一瞬言っている意味が分からず、春歌はえっ、と声を上げた。
「だからさ、こうしてる時……春歌はどんな想像をしてたの? 俺にこうされる想像してた? それとも――」
 音也の中指が蠢いて、とろりと蜜が溢れ出す。快感の波に襲われて、春歌は耐えるように唇を噛み締めた。
「もっと、別のこと?」
「……ぁっ」
 中の指が二本に増やされる。背を駆け上がる快感に耐えられず、春歌は熱っぽい息を洩らした。
 考えていたのは、一週間前のこと――レコーディングルームで音也と練習していた時、椅子に座っていた音也が、立って譜面を見つめていた春歌の腕を引いた。誘われるままに音也の膝の上に座り、キスをされた。もう、明日には行かなきゃいけないから。そう言って切なそうに細める音也の瞳を、この上なく愛しいと感じた。ああ、わたしは心からこの人が好きなんだ――そう思って幸福に身を震わせたその時、音也の手が、春歌の全身を駆け下りて行った。甘い痺れに身を溶かし、口付けを交わし合い、そのまま音也と一つになって――
 きゅん、とあの時の甘い感覚が襲ってくる。身体を縮こまらせると、ん、と音也が顔を近づけてくる。それは背けようとしても、背けようのない距離で。
「……教えてよ、春歌」
「や……ん、音也、く……」
「教えてくれないなら、俺、もっと激しくしちゃおっかな」
 言うなり、音也の指の動きが急に激しくなる。
「あぁっ……ふぁ、だ、め……音也、くん……やぁ……」
「じゃあ教えて、春歌」
 中からとろりと蜜の溢れる感覚に意識を集中させてしまいそうになるのをこらえて、春歌は口を開いた。
「……こ、この前の、こと」
「この前? いつのこと?」
「一週間、前……音也くんが、レコーディングルームで……」
 ああ、と思い当たったように、音也が声を洩らす。直後、微かな笑い声が春歌の首筋をくすぐった。
「あの時、そんなに気持ち良かったんだ?」
「……き、かないで……音也くんの意地悪……」
「ごめん、でもさ……俺、そんなこと言われたら、もっと春歌に意地悪したくなっちゃう」
 音也の手が止まり、するりとスカートの中から引き抜かれる。音也は一度腕の絡みを解いて正面に回り、足を開いたまま呆然と座っている春歌を見下ろした。
「じゃあさ、また……しても、いい?」
 音也が身体をかがめて、春歌を掬い上げるように抱き締める。そうして今度は自分が春歌の座っていた椅子に腰を下ろし、春歌を抱きかかえるようにして、その膝の上に向かい合う形で座らせた。この間と、全く同じ。春歌の胸の鼓動が一段と大きく高鳴る。
 音也にスカートと下着を下ろされ、濡れた秘所が顕わになる。恥ずかしくなって反射的に隠そうとする春歌の手を、音也はやんわりと掴んだ。
「ダメだよ。春歌のここ、ちゃんと見せて」
「や……恥ずかしい……から……」
 顔を真っ赤にしながらそう言うと、音也は笑った。
「そうやって恥ずかしがってる春歌も、可愛い」
 音也は既に大きくなっている自身を取り出して、どこかから出してきた避妊具を取り付けると、春歌の秘所に宛がった。そうしてゆっくりと挿入する。この間ほどではないが、下半身を圧迫される窮屈な感覚と痛みに、春歌の表情が歪んだ。
「んんぅっ……や……っ!」
「ごめん、春歌。ちょっと我慢して」
 その痛みを和らげようとするかのように、音也が優しく額に、頬に、唇に口付けてくれる。甘い痺れが音也の唇から伝わって全身を溶かす。
「はる、か……っ、力、抜ける……?」
「ん……っう……ご、ごめん、ごめんなさい……」
「謝らないで、ゆっくりでいいから……」
 先程まで少し意地悪だった音也が、最大限の気遣いを見せてくれる。それが春歌にはたまらなく嬉しくて、そして申し訳ない気分になった。
 音也も少し苦しそうな顔をしている。音也が挿入を進めようとするたびに、春歌の身体がきゅっと自然に縮こまって締め付ける。きっと音也にはそれが苦痛なのだろう。そうなってしまう自分の身体が、ただただ申し訳なかった。
「ごめんなさい……音也くん、苦しそう……」
「俺は大丈夫だから。春歌、痛くない? 優しく、なるべく優しくするから……」
 まるで自分に言い聞かせるかのような口調だった。音也も様々なものに耐えているのかもしれない。春歌はほとんど知識がないからわからないが、こういうことはもっとスムーズにいくものなのだろうか。春歌のケースが特殊なのだろうか。そう考えると恐ろしくて、春歌の目から涙が溢れていた。
 それに気付いた音也が、あっ、と声を出して申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんっ、春歌、辛いならもう、」
「う……ううん! そうじゃないの、そうじゃなくて……」
 少し身体を離そうとする音也に、春歌は慌てて腕を回し縋っていた。音也が驚いたように目を丸くする。
「春歌……?」
「わたし、音也くんに迷惑をかけているのが申し訳なくて……もっと、音也くんと繋がりたいのに……繋がって、いたいのに……」
 だって、また次、音也はきっと試練を受けて旅立ってしまうだろうから。春歌が涙を浮かべて音也の背に手を回す。きゅ、と密着させると、音也が愛おしそうに、春歌の背を撫でてくれた。
「春歌……ごめん。俺、もっと君のこと大事にしてあげたいのに、君が好きな気持ちが止められなくて、我慢できなくて……今だって、目の前で春歌が泣いてるのに……めちゃくちゃにしてやりたいなんて、思ってる」
 きゅん、と胸の奥が疼いた。その疼きには、確かに甘い感覚が伴っていて。
「音也、くん……いいの」
 ぎゅ、と身体を密着させて、小さな声で言う。
「……もっと、して」
 音也が鋭く息を呑む気配があった。とくん、とくん。密着した胸から、音也の大きな鼓動が伝わってくる。
「……そんなこと言われたら俺、歯止めがきかなくなっちゃうよ」
「……うん」
 いいの、ともう一度念を押されて、春歌は頷いた。そうすることが、音也にとっても、何より自分にとっても幸せなことだと、心の中で確信していたから。
 音也が腰を動かし始める。思い切りぎゅっと抱き締めた後、甘いキスをたくさん降らせながら。
「あっ、あ、音也、くん、ぁっ」
「春歌、好きだよ……君が、世界で一番好き」
「わ、わたしも……わたしも、音也くんのことが……だいすき……あ、ぁ――!」
 全身が甘い痺れに包まれて、春歌は絶頂に達していた。音也もそれは同じだったようで、どくどくと波打つような感覚が、春歌の身体に響いていた。


 どちらからともなく、キスを交わす。唇が急激に熱を持ち始めた。吐息さえも逃したくないというかのように、少し息継ぎをしながら、何度も何度も唇を交わす。
「んっ、ん……」
 自分を抱き締めてくれる存在が愛おしくてならなかった。その逞しい腕で守ってくれる存在が、とてつもなく眩しかった。少し離れて、こちらを向く笑顔。どくん、と心臓の音が高鳴る。
「……ただいま、春歌」
 再度の言葉。春歌は微笑みを浮かべて、うん、と頷いた。
「おかえりなさい」
 音也が微かに切なげな色を瞳に宿す。
「会えなくて、寂しかった」
「わたしも……」
 でも、と音也は再び春歌の身体をめいっぱい抱き締めた。
「今日は、ずっと一緒だよ。ずっと俺だけを感じていて」
 春歌は微笑みを浮かべて、もう一度頷いた。
 こんな時間は長く続かないかも知れない。それでも、今だけは。今だけは愛しい人を感じていたい。束の間の甘やかな時間に、身を委ねていたい。
 音也のキスを受け止める春歌の瞳に、きらりと水の粒が光った。
(2011.9.15)
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