Veementeに波立てて

 キッチンに立って夕飯の支度をしていた春歌の耳に、突然激しい雨音が飛び込んできた。
 包丁を置いて顔を上げ、慌てて窓に駆け寄ると、明るかったはずの空はどんよりとした灰色の雲に覆われ、大粒の涙を洪水のように流していた。レースのカーテンの隙間からその様子を見ながら、不安げな表情になる。
「音也くん、大丈夫でしょうか……」
 この部屋の主であり、春歌の恋人でもある彼は、今朝撮影のために出掛けたきり、まだ戻っていなかった。朝は爽やかな晴れ模様だったから、当然傘など持って出ているはずがない。どこかで雨宿りしていればいいのだけど――そう思って、再びキッチンに戻ろうとしたその時だった。
 玄関のドアが開く音が聞こえ、春歌はその足で急いで玄関に向かった。この部屋の鍵を開けて入ってこられるのは、合鍵を渡された春歌と、この部屋の主である音也しかいない。
「ただいまー、っと……」
「音也くん!」
 おかえりを言う前に、春歌は音也の姿を見て思わず口を手で覆ってしまった。白いTシャツと紺色のジーンズはすっかり濃い色になって音也の皮膚に張り付き、裾からぽたぽたと雫を垂らしている。髪の先からも雫が零れ落ち、音也が先程の土砂降りの雨をまともに受けてしまったことは、一目瞭然だった。
「大変です! すぐにお風呂の準備、しますね」
「うん、ごめん、ありがとう」
 春歌は風呂場からバスタオルを一枚取ってきて、音也に手渡し、すぐに風呂場に戻った。浴槽に栓をして、風呂を入れる準備をしてから、もう一枚タオルを持って音也のいる玄関に戻る。音也の髪を拭くのを手伝いながら、春歌は音也と一緒に脱衣所に向かった。
「そのうちお湯が溜まると思うので、あの、わたし、外に出てますね」
「うん。あ、悪いんだけど、俺の部屋から着替え、取ってきてもらってもいい? 全部タンスの中に入ってると思うから」
「はい、分かりました」
 春歌は脱衣所の扉を静かに閉めてリビングに戻り、音也の部屋に通じる階段を駆け上がった。


 着替え一式を持って戻ると、風呂場から音也の鼻歌が聞こえてきた。先日春歌が作って音也に聞かせたばかりの新曲だ。まだ歌詞はできていないのかメロディーしか聞こえないが、もう覚えてくれたのかと思うと、自然と温かい気持ちになった。
 春歌は頬を緩ませつつ脱衣所の扉を開けて、その向こうの浴室にいる音也に声を掛けた。
「音也くん、着替え、ここに置いておきますね」
「あ、ありがと!」
 そのまま脱衣所を出ようとする春歌に、音也から更に声が掛かる。
「あっ春歌、待って! 実は石鹸なくなりかけでさ、洗面台の下の棚に置いてあると思うんだけど、取ってもらってもいい?」
「はいっ、ちょっと待ってくださいね」
 膝をついて洗面台の下の棚を開け、新品の石鹸を取り出す。
 袋を開けて取り出し、そのまま音也に渡そうとして、春歌ははっとした。やはりこの扉を開けねばならないのだろうか。想像しただけで、春歌の顔は真っ赤になってしまった。音也の裸を見るのは初めてではない、けれども、どうしても未だに気恥ずかしさが残る。
 躊躇う気持ちでその場から動けなくなってしまった春歌に、浴室から音也の声が響いた。
「春歌? 石鹸あった?」
「あっ、はは、はい! ありました!」
「じゃあ、貸して」
 はい、と返事をしようとして、その声を呑み込む。どうやって音也に手渡せば良いのだろう。方法など一つしかないと分かっているのに、どうしても自分から踏み込むことができない。自分も夕飯の支度をしなければならないのに、脱衣所で正座して拳を膝の上に置いたまま、春歌はきゅ、と唇を噛んだ。
「春歌?」
 その時、何の躊躇いもなく浴室の扉ががらりと音を立てて開いた。タオルで隠すこともないまま扉の前に立ちはだかった音也に一瞬目を向け、春歌は小さな悲鳴を上げる。
「き、きゃあっ……!」
 慌てたようにくるりと後ろを向いてしまった春歌に、音也は一拍置いてから弾けたように笑い出した。
「あ、ごめんごめん。でもそんな、今更恥ずかしがることないのに」
「で、でも……わたし……」
 おろおろしていると、音也はそのまま脱衣所に上がってきたらしく、恥ずかしくてどうにかなってしまいそうな春歌の肩を、濡れた温かい手でぽんと叩いた。
「春歌、ほんと可愛い。抱き締めちゃいたい――って、このままじゃ春歌が濡れちゃうから、無理だけど」
 あーあ、という残念そうな音也の声が背後で聞こえる。
「いっそ、春歌も一緒に入っちゃえばいいのに」
 春歌の心臓が高く跳ね上がった。そのまま口から出て行ってしまうのではないかと思うくらいだった。
「そ、そそそんな、あの、わたし……!」
「いいじゃん。脱ぐんなら、俺が手伝ってあげる」
 冗談めいた声でからからと笑う音也。こんなふうに笑う時の音也が、わりと真剣な表情でいることは、背を向けている春歌にも分かっていた。
「ほら……ね?」
 後ろから身体を密着させられ、伸びてきた手でカーディガンのボタンを外される。
「ひゃっ……!」
 肩にのせられた音也の顔が近くて、春歌はそのまま固まったように動けなくなった。声を出すことすらままならない。ただ、音也の身体から滴った雫で、服の背中部分がじっとりと濡れていくのを感じるだけだ。
 ただそれだけなのに、身体の芯が一瞬だけ熱くなった。春歌の心臓が一層高く跳ねる。
「あーあ、春歌の服濡らしちゃった……ごめん。でもさ、春歌が可愛すぎるからだよ。抵抗もしないしさ」
 音也の声のトーンからは、ちっとも悪びれた様子が窺えない。それを少し咎めたくなる気持ちと、そのまま音也に身を委ねたいという気持ちがせめぎ合い、後者が勝ってしまった。
「……ほんとに抵抗しないの? 春歌、嫌ならちゃんと言って」
 カーディガンをするりと脱がされた後、下に着ていた花柄のワンピースに手を掛けられる。その体勢のまま、春歌は少し躊躇った後、やがて小さく首を振った。
「嫌じゃ……ないです……」
 音也の笑い声が、鼓膜をこそばゆく震わせる。
「じゃ、一緒に入ろっか」
 後ろからぐいと身体を乗り出してきた音也に応えるようにして、二人はついばむようなキスを交わした。


 ちゃぽん、と水の跳ねる音が聞こえる。
 音也に後ろから抱き締められるようにして浴槽に腰を下ろした春歌は、すぐにお尻に当たる硬いものに気が付いた。真っ赤になりながら後ろを振り返ると、それを誤魔化すためなのかそれとももっと強く感じさせるためなのか、ますます音也が強く抱き締めてきた。
「お、音也くん……」
「しょうがないよ。だって俺、男だし……春歌のこと、こんなに大好きなんだもん」
 春歌の前に回した音也の手が、お腹の辺りをつ、と撫でたかと思うと、その人差し指はいつの間にか茂みの中に潜り込んでいた。潤んだ部分はすぐに探り当てられてしまい、春歌は恥ずかしさで何もできなくなってしまう。
「あ……もう濡れてる……春歌、もしかして興奮してた?」
「や……ち、違、違います……っ」
「じゃあなんでこんなに濡れてるの? 春歌も分かるでしょ、ここ、すごく熱いの」
 花芽を指の腹でぐりぐりと強く撫でられて、春歌は思わず声を上げてしまう。
「ひゃっ……! ぁ、んぅっ……」
 声を出すまいと唇を噛んでみてももう遅かった。音也の意地悪な唇が、春歌の耳元で言葉を紡ぐ。
「気持ちいいんでしょ? ここ、だよね」
「ぁ、あぁぁっ、そこ、んっ……!」
 硬くなった豆のような部分を指先でつまみ上げられ、春歌の意識が遙か彼方へと飛びそうになる。湯船に浸かっているということもあって、もう既に意識が夢と現の狭間で混濁してきたような気さえした。
 音也の指は止まる気配がない。熱い蜜でとろとろになった中をかき混ぜられ、時折思い出したように花芽をつまみ上げられ、春歌は無意識に身体を上下させた。
「や、音也く、っ、そこ、だめぇっ、ぁああっ……」
「ほんとにだめ? じゃあ、やめちゃおっか?」
 精力的に動いていた音也の手が、突然スイッチを切ったようにぴたりと止まる。途端に春歌の身体は先程の刺激をひたすらに求め始めた。足りない。欲しい。そんな直接的な願望が浮かんできた自分に驚きながら、春歌は思わず両足を擦り合わせる。
「や……音也くん、意地悪ですっ……」
「なんで? 俺、春歌が嫌なこと、したくないから」
 一見相手を気遣っているような発言だが、それが今の春歌にとってはただの意地悪にしかならないということを、音也も知っているはずなのだ。何もされていない普通の状態ならまだしも、こんなに音也に解されて潤みきってしまった秘所を放置されてしまうことほど辛いことはない。
「おねがい……音也くん、続けてっ、ください……!」
「あ、今の、可愛い……ね、春歌、『おねがい音也くん』って、もっかい言って?」
「……お、……お願いですっ、おと、音也くん……!」
 それで終わると思ったのに、音也は更に声のトーンを落として尋ねてくる。
「何がお願い、なの? 俺にどうして欲しいの?」
「も、もっと、さ……触って、ください……」
「どこ?」
「その……熱い、ところ……っ」
 真っ赤になりながら言い切ると、音也はよくできましたと満足げに言い放って、再び人差し指を春歌の中につぷんと埋め込んだ。身体中を貫くような快感が戻ってきて、春歌は肩を波立たせる。
「ひゃあっ……! ぁっ……お、音也くん、意地悪ですっ……言わせないで……」
「でも、さっきよりここ、すごくとろとろだよ? 春歌、やらしいこと言わされると興奮しちゃうのかなぁ」
「や、そんな、の、ぁあっ、だめえっ――」
 揺さぶるように激しくかき混ぜられて、春歌も呼応するように腰を揺らした。もう我慢ができない。浴槽から立ち上る湯気のせいで、もう既にのぼせてしまいそうだ。音也に触れられる度、身体が火照ってどうしようもなくなってしまう。
 コンロの火を消してきたから、せっかく音也のために作った甘口カレーが既に冷め切ってしまっているかもしれない。サラダのために用意したキャベツの千切りとレタスも氷水の中にさらされたまま、ゆるゆると泳ぎ続けていることだろう。
 夕飯の支度を中途半端にしてきてしまったことに対して先程まで感じていた躊躇いも、今はすっかり春歌の中から消え去ってしまっていた。
 今の春歌が欲しいのは、ただ一人――一十木音也、その人だけだ。


 十分すぎるくらいに解された後、春歌は湯船の中で音也と向かい合う格好になった。ゆっくりと腰を浮かせ、音也を受け入れる体勢を作ると、手で湯船の縁を掴んで顔を上げる。湯気を纏った音也の顔が、視界の向こうでぼんやりと見えた。
「春歌、っ大好きっ……!」
「ひぁっ、あっあっ、音也くん……!」
 火照りきった春歌の身体は、音也を驚くほどすんなりと受け入れてしまった。すぐに音也のものが奥に当たって、春歌は腰を大げさなくらいに揺らしてしまう。
「やっ……あ、そこっ……」
「すご……なんか、あったかくて不思議な感じ。春歌、腰、つらくない?」
「ん……だ、大丈夫、です……」
 湯のおかげか浮力が生じ、この体勢を維持するのは思ったほど辛くはなかった。それでも音也にじっと上から見下ろされてしまうと、繋がっている部分が全て見えているとわかってたまらない気持ちになってしまう。
「じゃ、動くよ」
「ん……やっ、あっ、あ――」
 音也が腰を動かすたびに、浴槽に張った湯が大きな波を立てる。音也のものと一緒に湯が中まで入り込んでくる感覚がして、春歌の下腹部は不思議な温かさに満たされた。
 先程まで十分すぎるくらい解されていたせいで、少しの快感も残らず拾い集めてしまう身体になっていて、春歌は声が出るのを止められないでいた。
「あっあ、音也くん、だめっ、も、わたし――!」
「イキそう? 俺もかも……もう、我慢できない」
 きゅう、と春歌が一層強く音也を締め付けた。音也が前屈みの姿勢になると同時に伸ばされてきた腕に、春歌は必死に掴まった。肌を重ね合わせ、同じ快感を共有するうちに、心地よさが蒸発して再び二人の肌にまとわりつく。春歌も我を忘れて腰を動かし、音也を激しく求めてしまっていた。音也が奥に打ち付けてくるたびに、痺れるような快感が身体を貫き弾ける。
「あぁんっ、音也くん、あぁ、だめ、もっと、あぁぁっ……!」
「春歌、どっちなの……っ、俺のこと、もっと欲しいの、それとも、」
 音也の意地悪な質問が投げかけられる。けれども音也も春歌も、先程よりもっと余裕がない状態だ。
 答えなんて最初から決まり切っている。それに春歌がここで嫌だと言っても、きっと音也は止まることなんてできないだろう。
「……も、もっと、音也くんが、ほしいですっ……!」
「はぁ、っ……嬉しい、俺も、もっと春歌が、欲しいっ……!」
「はぁんっ、や、あ、あぁぁっ、あぁんっ……!」
「はぁっ、あっ、うっ、くっ……!」
 春歌が絶頂に登り詰めて一瞬意識を失うのと、音也が白濁を吐き出すのが同時だった。
 音也が腰を下ろすのと同時に、春歌はそのまま音也にすがるように身を寄せた。そのまましばらく、呼吸が落ち着くまで、二人は湯船の中で抱き締め合っていた。


「――音也くん、こんな感じ……ですか?」
「うん、もうちょっと強くていいかな。へへ。背中流しっこって、憧れだったんだよねー」
 白い椅子に腰掛けた音也の背を、春歌が丁寧にタオルでこすっていく。火照りきって熱くなった身体に、新しい石鹸の匂いが浸み込んでいった。
 背中を洗い終わった後で、春歌は戸惑ったように手を止めた。音也はそれに気付いて、何もかも分かり切ったような顔で、わざとらしく首を傾げる。
「どうしたの? 俺のこと、全部洗ってくれるんだよね」
「あ、あの……ほ、本当に全部、ですか……?」
「もちろん! だいじょうぶ、春歌のことも後で俺が全部洗ってあげるからっ」
 そういうことではなくて――と春歌は困ったような表情をしたが、そこで立ち止まっていても仕方ない。
「し、失礼……します」
 春歌は躊躇いがちに、音也の胸にタオルを持った手を伸ばした。胸から腹に降りてきて、ついにその場所に行き当たる。少し触れただけで、その部分が再び硬さと熱を持ち始めたのが分かった。春歌は真っ赤になって、反射的に手を引っ込めてしまう。
「しょうがないじゃん。俺は男だし……春歌のこと、だーいすきなんだもん。大好きな女の子に触ってもらって、こうならない方がおかしいって」
 戸惑いがちに俯いた春歌の頬に、音也の指がそっと触れる。顔を上げると音也と目が合った。きらきらな音也の瞳。いつも未来を映し出している、明るい彼の瞳。そんな瞳に吸い込まれるようにして、春歌は首を伸ばしキスをねだっていた。
 唇を触れさせたまま、音也の手が春歌の手を誘導する。音也のものに導いていると分かって、春歌は驚いて軽く抵抗した。音也が唇を離して、しょんぼりした子どものような瞳で、こちらをじっと見つめてくる。
「……イヤ?」
 一瞬言葉に詰まった。けれど――嫌だなんて、言えるわけがないではないか。
「イヤじゃ……ないです……」
 春歌の手が、音也のすっかり大きくなったそれの根元へとゆっくり降りていく。羞恥で真っ赤な春歌に、音也はにっこりと笑いかけた。
「もう一回。ね」
「のぼせちゃいます……二人とも」
「いいよ。のぼせちゃって、お湯の中でとろとろになって、春歌と溶け合いたい」
「……もう、音也くんったら」
 そんな恥ずかしいことを臆面もなく言えてしまう音也がちょっぴり恨めしい。けれど、自分だってそれを心底望んでいるのだということを、誰よりも春歌自身が一番良く知っているのだ。
 始まりの合図をもう一度。音也にさらわれるがまま、春歌は自身の唇を彼に委ねた。
(2012.3.15)
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