寒いから手を繋ごうと提案してきたのは、彼女の方だった。
小さくて柔らかな手を取り、自分のごつごつした大きな手ですっぽり包み込む。そうしてやると、海野は嬉しそうに、志波に向かってにこりと笑った。
「志波くんの手、大きくて温かいね」
参ったな、と志波は内心溜息をついた。これだから困るのだ。普通、異性同士で手を繋ぐという行為の中には、躊躇いや戸惑いが存在してしかるべきではないのか。少なくとも志波はそうだった。何のためらいもないかのように手を差し出されて、どれほど戸惑いを覚えたのか、彼女は知っているのだろうか。
「お前の手も、……柔らかいな」
呟くように言葉を発すると、彼女は小さく首を傾げた。
「え、何か言った?」
「……なんでもない」
聞こえないふりなのか、それとも。その区別すら、志波にはつかない。志波は彼女の手を引いて、少し歩く足を速めた。彼女は一歩遅れたものの、すぐに志波に追いついてきた。
コートの隙間から、外にさらしたままの首周りから、冷気が襲ってくる。それでも、彼女と繋いだ場所にだけは、決して消えぬ確かな熱があった。志波が少しでも力を入れればくしゃりと壊れてしまいそうな彼女の手の中にも、ぬくもりは存在していた。
「なあ」
志波は足を動かしたまま、隣の彼女に問いかけた。
「えっ、なに?」
「他の男にも、こういうこと、するのか。平気で」
白い息とともに、問いを吐き出す。彼女はえっ、と戸惑った声を上げた後、首をぶんぶんと横に振った。
「そんなこと、しないよ。他の人になんて」
「じゃあ、何故オレにはできるんだ」
先程の問いの中に隠された本当の問いを、志波は彼女にぶつけた。
彼女は黙った。当然だろうと思った。予測し得たはずだが、あまり起こってほしくない出来事だった。沈黙が志波の広い肩全体にのしかかる。そのうえ、何故かますます、触れている場所が熱を帯びる。
「それは……志波くん、だからだよ」
そうした沈黙を経て、彼女の口から導き出された答えは、要領を得ないものだった。
一体それをどういう意味でとれば良いのか分からず、志波は困惑した。果たして、自分に都合のいいように捉えてしまっていいのか。志波は知らず知らずのうちにため息をついていた。
「どうしたの、志波くん?」
「いや、なんでも」
適当にごまかし、志波は前を向き、目的地が見えてきたことを確認して指し示す。
「ほら、見えてきたぞ。植物園」
彼女はつられてそちらを見、うん、と微笑みながら頷いた。嬉しそうな彼女の横顔を見ながら、志波の心は安らいでいくような気がした。
同時に、思わず繋いだ手に力を込めていた。いつもそうだ、彼女といると耐えがたい衝動が志波を襲う。彼女と一部分でも触れてしまうと、そのぬくもりがきっかけとなって、志波の体は燃えるように熱くなり出すのだ。
だが、こらえなければならない。志波はぐっと奥歯を噛んで衝動を殺した後、それを隠すように、彼女に尋ねた。
「しかし、何故この時期に植物園なんだ?」
「え、だめ、かな?」
「いや、別に。ただ疑問に思っただけだ」
「うん、なんかね、急に花が見たくなったの」
「花? この季節にか?」
「うん。この季節でも、デイジーは咲いているからって。姫子先輩が」
志波はあの、やたらと華やかな雰囲気を纏った少女を思い出した。花椿姫子。海野のことを目にかけているらしく、時折彼女のファッションに口出ししているのを見かける。
デイジーとは、姫子が彼女を指して呼ぶ名前だ。そこにどんな意味が含まれているのか、花に詳しくない志波は知らないが、その花を思い浮かべることはできた。まるで太陽のように、外へ向かって細い花弁を広げている花だ。
太陽のようだという意味では、この海野に似ているところもあるのかもしれないと、志波は思った。
植物園の入口に来たところで、海野が再び志波の方を向いた。
「志波くん、他に何か見たいものある?」
「いや、お前に任せる。オレは花に詳しくないから」
「そう? わかった」
彼女はにっこりと笑うと、志波の手を引いて、入場ゲートのところへ歩いて行った。
彼女に手をひかれながら、志波はその手を自分の唇の下に引き寄せたい衝動を、またしてもこらえねばならなかった。