髪は美し恋せよ乙女

 理事長主催の、毎年恒例のクリスマスパーティ。
 そこで彼女の姿を見つけた設楽は、一瞬目を見開いた。桜色の上品なドレスを身に纏い、艶やかな髪を同じ色のリボンで結っている彼女の姿は、大勢のはば学生の中でもかなり目を引いた。彼女が人混みの中を通るたび周囲の人間が話を止めて一斉に彼女を見ていたが、それは男子も女子も例外ではなかった。
「あっ、設楽先輩!」
 設楽の姿を見つけて、彼女がこちらに駆けてくる。彼女に集まった視線は、自然と設楽の方にも向いた。設楽は大きく溜息をついて、自分の方に近づいてきた彼女の手を取ってぐいと引っ張った。
「おい、何のつもりだ、お前」
「えっ、何が、ですか?」
 と、何も分かっていないように首を傾げるものだから、設楽はやれやれと首を振るしかできない。
「何がってお前、気付いてないのか。これだけ人の注目を浴びておきながら……ああもう」
「えっ……あ、ちょっと、先輩!」
「ここじゃ人が多すぎる。向こうに行くぞ」
 そう言いながら、設楽は彼女の手を引いてバルコニーに向かった。彼女は最初驚いたような声を出していたものの、最終的には大人しく設楽に従った。相変わらず背後から視線が突き刺さるのを感じたが、他人の視線を浴びること自体には慣れている。自分が手を引いているのが彼女だということだけは異質な状況だったが、ある程度は平常心で無視することができた。
 十二月の夜というだけあって、さすがにバルコニーに出ると寒い。設楽は彼女の手を離し、微かに身震いした。外に出てきたことを少しばかり後悔したが、あそこに戻る気にはなれなかった。
 バルコニーの手すりに身体を預け、天之橋邸から見えるクリスマスの風景を眺めていると、隣に彼女が立った。何気なく彼女に視線を戻した時、設楽は異変に気付いた。髪に結ばれていたはずのリボンが、緩んでほどけている。
「お前、リボンほどけてるぞ」
「えっ? あ、本当だ……」
 彼女はすぐに髪に触れ、ほどけたリボンをするすると抜き取った。そうして手を後頭部に回し、再びリボンを結ぼうとする。だが鏡もない上、一人で結ばねばならないので、なかなか上手くいかない様子だった。
「ちょっと貸せ」
 たまらず設楽が手を出すと、彼女が驚いたように目を見開いた。
「え、先輩、あの……」
「貸せって言ってる。俺が結んでやるから」
「え、せ、先輩……!」
 彼女が驚いてる間に手からするりとリボンを奪うと、設楽は彼女の背後に立った。
 結おうとして何気なく彼女の髪に触れた時、そのあまりのさらさらとした感触に驚いて手を止めた。自分のものとは、当然だが明らかに違う感触である。手の中で自然と流れていきそうな、しかしそれに抗っていつまでも握っていたくなるような、不思議な魅力を持っていた。
 はっと我に返った設楽は、頬が熱くなるのを感じながら手を動かした。一本の桜色のリボンを、くるくると髪に巻き付けていく。
 先程の彼女の髪型を思い出しながら、なんとか同じような形に結ぶことが出来た。ほっ、と溜息をついて手を離す。だがその途端、手が無性に寂しくなるのを感じた。広げた大きな手に、視線を落とす。自分の手は、何よりも先程触っていた心地よい物――彼女の髪の感触を欲していた。
「あの、設楽先輩、できましたか……?」
 おそるおそると言った様子で尋ねてくる彼女に、慌てたようにもう一度リボンをほどく。
「まだだ、動くな」
「は、はい」
 彼女の髪を再びぎゅっと握って、設楽はしばし考えを巡らす。なるべく、ゆっくりと作業を終えねばならないと思った――無論それは設楽の理屈だが。
 いっそこの髪に口付けたくなる衝動に襲われるが、そんなことをすればただの変態になってしまう。設楽はゆっくりとリボンを髪に沿わせた。ぐ、と握った髪にリボンを巻き付けながら、あまりの心地よさに溜息をつく。もっと長く触れていたい。できればこのパーティがお開きになるまで、いや、叶うことならばずっと――
 だが、設楽の溜息をどう受け取ったのか、彼女が少しこちらを向きながら、心配そうに言った。
「先輩、あの、慣れてないなら、別に無理しなくても――」
 それは設楽を気遣った発言に間違いなかったが、何か癪に触った。設楽は結ぼうとしていたリボンを乱暴に髪の間から抜き取ると、それを頭に投げて寄越す。突然目の前にリボンが垂れ下がってきたので、彼女は驚いたように設楽を振り返った。
「し、設楽先輩?」
「もういい。文句があるなら自分で結べ。俺は知らないからな」
「えっ? わ、わたし、文句なんか……」
「悪かったな、慣れてなくて。本当にお前は……何も分かってないんだな……」
 彼女の鈍感さにはほとほと呆れる――設楽はわざとらしく大きな溜息をつくと、くるりと身体を翻してパーティ会場に戻ろうとした。
「待ってください、設楽先輩!」
 設楽は一歩パーティ会場に足を踏み入れたところで動きを止め、不機嫌な顔のまま振り返った。彼女は思い詰めた表情で、設楽をじっと見つめていた。まるで必死に自分を繋ぎ止めようとしているようで、なんて顔をするんだと設楽は思った。
「なんだ。俺は向こうに行きたいんだけど?」
「あの……さっきは、ごめんなさい。わたし、そういうつもりじゃなくて……」
「じゃあどういうつもりなんだ。あんな言い方じゃ、“そういうつもり”にしか聞こえない」
「ごめんなさい。そうじゃなくて、わたしのせいで先輩に大変な思いをさせていたら申し訳ないなって……」
 彼女がうつむいている。その目の端に僅かに涙が浮かんでいるのを認め、設楽の心はにわかに動揺し始めた。そこまで追い詰めるつもりなどなかったのに――だが、彼女を追い詰めたのは間違いなく自分自身だ。
「ああもう……」
 小さく呟いて髪を掻き上げた後、彼女の手にゆるゆると握られたリボンを素早く奪い取った。彼女は驚いたように顔を上げ、目を大きく見開いた。
「俺の言い方も……良くなかった。続き、してやる」
「……はい!」
 彼女は嬉しそうに瞳を輝かせ、頷いた。その不意打ちの笑顔に心を射抜かれた設楽は、頬が赤くなるのを自覚しながら彼女を睨み付けた。
「な、なんだ。急に笑うな。驚くだろ」
「だって、嬉しくて……」
「だから、そういうことをいちいち……ああもう、とにかくむこう向いてろ。集中できない」
「はい」
 大人しく従って、彼女はバルコニーに向かって身体を翻し、手すりにもたれかかった。設楽はその艶やかな髪を再び掬い上げるようにして持つと、そっとリボンを沿わせる。
 くるりと手を回し、巻き付けたリボンをほどけないよう強く締める。漆黒の髪に桜色のリボンはよく映えた。綺麗だ、と思わず口に出しかけて、慌てて呑み込む。自分がいかに目立つ存在か、他の男から注目を浴びている存在か、何も分かってない人間にわざわざ教えてやるほど、設楽は優しくない。
「お前、やっぱりこんなリボン付けるのやめろ」
「えっ、どうして? あの、もしかして、似合いませんか?」
「違う、そうじゃない。ああもう……似合うから、言ってるんだろ」
 意味がわからないとでも言うように、彼女が微かに首を傾げる。いつもならそんな彼女の鈍感さに溜息の一つでもつきたくなるところだが、今日ばかりは少し感謝した。
 設楽はこの場所を永久に動きたくないと思った。強い独占欲が込み上げる。このままここにいれば、リボンを付けた彼女の姿を独り占めできるのに――
 設楽は既にきつく結ばれたリボンを、確認するかのように何度も何度も締め直した。大迫の声がパーティ会場に響いて、プレゼント交換会の始まりを告げるまで、何度も。
(2010.8.4)
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