ワンサイドゲーム

 設楽の自宅に招かれるのは、もうこれで三度目となっていた。やっぱりお前が来ると勝手が違うな、と苦笑する設楽に、わたしも未だにどきどきします、と言いながら、設楽邸の門をくぐった。
 部屋に通されて、使用人が紅茶と菓子類を運んできた後、設楽はさて、と言いながら部屋の中央に置かれたピアノを見た。
「今日はどうするか……とりあえず、何か一曲弾こうか?」
 家に招かれるのが三度目ともなると、部屋の中にだいたい何が置いてあって、設楽が普段どう使っているのかなどもだいたい分かってくる。設楽の側からも改めて紹介することはこれ以上ないだろうし、部屋に二人きりで何をすればいいか、随分迷っている様子だった。結局のところ彼の思考の行き着く先はピアノしかなかったらしいが、彼女は思わずあの、と発言していた。
「わたしにかまってください」
 そう言った途端、設楽の表情がみるみるうちに変化した。瞳は大きく見開かれ、それに従って口までもが呆然と縦に垂れ下がる。何か余計なことを言ってしまっただろうか、そう思って思わず口を覆うと、設楽は微かに頬を赤らめながら、気まずそうに視線を逸らした。
「かまってくださいって……何をすればいいんだ」
「ええと、あの、そこまでは……」
「考えてないのに言ったのか?」
「す、すみません……」
 赤面しつつ俯く。自分に構って欲しいと言ったものの、その先は何も考えていなかった。ただ今日は、大人しくピアノを聴く気分ではなかったのだ。せっかく休みに会ったのだから、その間だけはせめて自分だけを見ていて欲しかった。
「分かった、かまえばいいんだろ」
「はい、どうぞ」
 何気なく言った言葉が、まさか引き金を引くことになろうとは夢にも思わなかった。設楽は再び目を瞠った後、やや睨み付けるようにこちらを見る。
「どうぞってお前……本当にいいのか?」
「え、あ、はい」
 何も考えずに頷くと、設楽は少し俯いて考える仕草をした。僅かに顔を上げて彼の様子を窺っていると、次第に設楽の唇の端が歪み始めるのが見えた。普段あまり見たことのない表情に、胸がざわめく。
「よし、ゲームをするぞ」
「ゲーム?」
 彼の得意なチェスか何かだろうか、と一瞬考えがよぎったが、設楽はそんな考えをばっさりと切り捨てるかのように彼女を鋭い視線で射貫いた。
「おまえ、男の家に来ておいてさっきのあの言い草……覚悟しているんだろうな?」
「え? あ、あの、覚悟って」
「もう言った後だからな、後戻りは禁止だぞ」
 勝ち誇ったような笑みを浮かべる設楽に、動揺を隠せない。少し身を引きながら設楽の次の行動を窺っていると、設楽はピアノの椅子に座り、こちらへ来いと手招きした。おそるおそるといった様子で隣に立つと、設楽は微かに顔を赤らめながら、自分の股間を指差した。
「おまえがそんなことを言うから、こうなったんだ。責任取れ」
「え……」
 顔を赤らめながら彼の股間へ視線を落とすと、その部分だけ明らかに膨らんでいた。周りから天然、と言われる自分でも、一通りの性知識はある。その膨らみは、確かに設楽の男性器のものであるとはっきり分かった。
「俺が一曲弾き終わるまでにイカせられたら、お前の勝ちな」
 一方的に言い渡されるゲームのルール。
 彼女はあまりに予想外の展開に固まったが、もう後戻りはできなかった。


 設楽はペダルに足を伸ばし、鍵盤に手を置くと、いつも音楽室で弾いている曲を弾き始めた。ショパンのバラード、第一番。彼の得意曲であり、既に彼によって何百回何千回と弾かれている曲。その弾きこなれた指からは熟成された美音が発せられ、周囲の空気をあっという間に彼色へと変化させる。いつもの出だし、いつもの音。この曲をもう、何度聴いたか分からない。
 彼女はミニスカートを押さえながらピアノの下に潜り込み、彼を見上げられる位置にしゃがんだ。おそるおそる彼のズボンへと手を伸ばし、チャックを下ろすと、苦しげにのたうち回るようにして、既に大きく膨らんだそれが下着越しに現れた。初めて見るその姿に思わず戸惑っていると、ペダルに載せていない方の足が、不意に彼女を蹴りつける。
「きゃ!」
「いいから早くしろ。終わってしまうだろ」
 腹にじんわりと残る痛みに僅かに顔をしかめつつ、彼女はおそるおそる彼の下着を下ろした。やっと解放されたと言わんばかりにぴくんと天に向かってそそり立つそれは、彼が指を動かすのに合わせて微かに揺れる。まるで、早くしろと急かさんばかりに。
「っ、ん……」
 根元に手を添え、彼女はゆっくりとその熱いものを呑み込んでいった。彼女の小さな口の中で、それは更に肥大する。先端に舌を走らせると、それまで完璧であったはずの彼の音が、僅かに揺らぐのが分かった。
「……っく……」
 自分の聞き間違いでなければ、今、確かに彼は呻いた。肥大した彼の陰茎のせいで顎が外れそうになりながら、彼女は設楽の聖域を自分の唾液色に染めていく。いやらしい水音が拍を刻み始め、それに伴ってピアノの音が徐々に揺らぎ始める。こらえきれなくなったのか、彼の足が再び飛んできて、胸の膨らみをぐいと突かれた。
「おまっ……、も……」
 ぐい、と足の指で胸を掴まれ、一瞬顔をしかめる。片方の手で宥めるようにその足を下ろさせつつ、彼女は舌を動かしていった。銜え込むのを一度止めて、今度は裏筋に舌を沿わせる。血管の浮き出た箇所をしつこく唾液で濡らすと、彼の身体が波打ち、ピアノの音が二つほど飛んだ。
「……っ、お、お前のせいだ! ああ、ぅくッ、もう……!」
 苛立ったように、設楽の指の動きが一層激しくなる。彼女は舌を離して、設楽の顔を見上げた。
「気持ち、いいですか? 設楽先輩」
「う、うるさい、早くしろ。お前が下手なせいだ……っ、はぁっ……」
 押さえていたはずの設楽の足がいつの間にか逃げ出し、そのままぐり、と胸の膨らみを抉られる。彼の足の親指が胸の突起に触れた途端、微かな快感が電流のように走り抜けた。心が高揚し始め、今までたどたどしい動きだった彼女の舌は、打って変わって積極的に動き始めた。
 力尽きてきたように聞こえるピアノと、一定の律動を刻み続ける水音のいやらしいハーモニー。それすらも音楽と呼べるのならば、音楽という世界はなんと自由なところなのだろうと思う。抗いがたい快感を内包しつつも、己の心の揺れに対する葛藤が常に刺激となって襲い来る。快感と、葛藤。双方の強い刺激がすり合わされて、心は高揚へと向かう。この心の動きを音楽と呼ぶのなら、そして設楽聖司という人間が全ての音楽を愛してくれる人間ならば、今まさに奏でられている自分と設楽の二重奏すらも愛してくれればいいのにと願わずにはいられなかった。
 ピアノは終焉へと向かう。設楽の愛しい身体の一部を再び銜え込み、自分の持てる力全てで愛してやる。
「っ、くぅっ……おまえっ……も……ッ」
 音が飛ぶ。指が震え、リズムが崩れ落ちていく。彼女の口から唾液と混じって、設楽の快感と葛藤の印が滴り落ちる。ついに設楽の一方の手が鍵盤から脱落し、堪えるように彼女の頭を掴むと、髪の毛を思い切り握りしめた。
 そこで彼女は初めて悟る。これが最初から対等なゲームなどではなかったことに。九分というタイムリミット付きの、彼女優位のワンサイド・ゲーム。
「っはぁっ、はあっ……」
 設楽の息が荒くなる。それでも片手だけはなんとか鍵盤に張り付いて、音を鳴らし続けていた。彼女はちゅ、と強く吸い付いた後、剥き出しになった彼の敏感な先端を、舌でぺろりと舐め上げた。
「うッ――あぁっ!!」
 最後の音と共に、室内に響き渡る絶頂の声。
 彼女の口に吐き出された熱の塊がぽたぽたと床に滴り落ち、二重奏曲の最終楽章を奏で続けていた。


「先輩……」
 ピアノの下からゆっくりと身体を出して、椅子の端に膝をかける。顔に微量にかかった白濁液を拭いながら、彼女はキスを求めた。その願いは叶えられ、唇を塞がれると同時に温かい唾液が流れ込む。口内の白濁液の味が、彼の唾液によって中和されていく気がした。
 彼女は我慢ができなくなって、剥き出したままの彼の男性器に自分の熱い部分を当てる。下着越しではあったが、繋がった部分は強い熱を持ち始め、彼女の身体の芯を焦がし始めた。
「おまえ……」
 驚いたように目を見開く彼に、切なくねだる。
「先輩だけ……ずるいです。わたしの気持ちは……どうなりますか?」
 設楽は優しく彼女を抱き寄せ、もう一度切なく揺れる唇に自分のそれを押し当てた。
「じゃあ……もう一回ゲーム、するか?」
 彼女はこくり、と頷く。
「でも、タイムリミットは要りません。優しくしてください……」
 吐息を洩らすと、設楽の唇が自分の唇をなぞり始めた。直後ゆっくりと塞がれて呼吸が出来なくなる。その唇は首筋を、キャミソール一枚の下に隠れた胸を、そうして下半身に到達するまで、丁寧に全身をなぞっていった。
 今度は彼優位のワンサイドゲーム。けれどもそれは、幸せの絶頂に行くための時間。先程の時間も、彼は今の自分のように幸せの絶頂にいたのだろうか――身体中のあらゆる箇所を設楽色に染められながら、彼女はぼんやりとそんなことを思った。
(2010.8.11)
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