「お前が足りない」
五日間の渡欧から帰国した夜、設楽は何度も彼女の耳元でそう囁いた。
ぴたりと肌をくっつけても、唇で愛を確かめ合っても、初めて直接的な繋がりを求めた後でさえ、設楽の気持ちが完全に満たされることはなかった。設楽の腕の中で喘ぎながら、彼女は潤んだ目で自分を見つめてきたが、そのサインに気付く余裕もないまま、設楽はただただ彼女を一心に求め続けた。
絡めた指の間でさらりと流れてゆく髪、きめ細やかな肌、自分の名を紡ぐ桃色の唇、それら全てが愛しくて仕方がなかった。あと何日かで、これらのものに完全に触れられなくなることを考えるたび、設楽は胸が詰まるような思いをした。フランスと日本。同じ日本の、同じホテルの一室にいる時でさえ満たされないのに、その距離はあまりにも遠く切なかった。
「俺のこと、好きって言ってみろ」
既にその日何度も口にした言葉を発すると、彼女の瞳の奥が揺らいだ。
「聖司さん……意地悪しないでください……」
「なんで」
ただお前が欲しいだけなのに。耳元で呟くと、彼女の耳朶が赤く染まった。小さく俯いて、観念したとでも言うように、やはり彼女は自分の欲しい言葉を呟いてくれる。
「好きです。聖司さん」
褒美のつもりで唇に軽くキスをしてやると、彼女は恥ずかしそうに視線を落とした。その仕草すら愛しくて、設楽は更に彼女の奥深くへと侵入する。
欲望の塊を吐き出した後はだいぶ落ち着いて、設楽は静かに彼女をベッドに横たえた。彼女は火照った身体を自分の中で受け止めるようにしばらく放心していたが、やがて設楽へと視線を向け、そっと微笑んだ。
「夢じゃ……ないんですよね」
「何が」
「聖司さんがここにいて、わたしを抱き締めてくれたこと」
設楽はわざとらしく溜息をついて、彼女の上に覆いかぶさるような体勢で顔を近づけた。
「ほら。お前の瞳の中に映ってるのは誰だ?」
彼女は急に近づいてきた設楽に驚きの表情を見せつつも、目を逸らそうとはしなかった。
「……聖司、さん」
「正解。お前にしては上出来だな」
「どういう意味ですか、もう」
「くだらないことを先に言ったのはお前の方だろ。ここにいるのが俺でなくて何なんだ。幽霊か?」
鼻で笑って皮肉を言うと、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「そう、じゃなくて。なんだか、聖司さんと随分会っていなかったような気がして……今が夢みたいで、幸せで」
その現実を確認するかのように伸ばされた彼女の手を受け止めて、そっと自分の指を絡めてやる。繋がった部分がすぐに熱を持ち始め、互いの温もりが確かにそこにあるのを否が応でも認めざるを得なくなる。
「……俺もだ。たった五日って分かってたのに、お前が恋しくて仕方がなかった」
再び口づけを落とす。幼い頃より欧米の文化に触れてきた設楽にとって、口付けは特別な意味を持たないただの挨拶でしかなかったが、彼女の前ではまるで違っていた。どうして唇同士が触れ合うだけでこんなにも愛しくて切なくなるのだろうと、設楽は胸の奥で不思議に揺らめく思いに溜息をついた。
「もう、眠いか」
絡めた指の腹で彼女の手の甲を撫でながら尋ねると、彼女は頬を微かに赤らめて首を振った。
「なら、――」
設楽の指が離れて、彼女の赤い花弁にそっと触れる。彼女の高い声が一瞬空気を震わせて、ふわりと消えた。
「いつまで、ですか」
再び潤み始めた彼女の瞳を見ながら、設楽は意地悪そうに笑う。
「俺の気が済むまでだ」
艶めかしい水音と度々洩れる高い声が、徐々に心地よい音楽を奏で始める。
設楽は指先を滑らかに動かし、彼女という名の愛しい音楽を絶えず弾き鳴らし続けた。