目を伏せたまま、今日何度目か分からない寝返りを打つ。シーツを引き寄せて、唇を噛んだ。
目の前には、隣のベッドで背を向けて眠っている設楽の姿がある。枕の上に散らされた彼のくせ毛が、呼吸に合わせて微かに揺れた。
考えれば考えるほど、眠れなくなる。設楽の留学のこと、そして自分のこれからのこと。設楽と思いを通わせ合い、こうして恋人同士となったばかりだというのに、神様はとても残酷だ、と指を握りしめる。誰が悪いのでもないし、これは必然の流れだ。そう頭では理解していても、割り切れぬものがある。どうしてこのままではいられないのか。いっそ時が止まればいい、そう願うのはもう何度目になるだろう。
設楽の背に指が伸びそうになって、慌てて引っ込める。恋人同士になる前は、彼の身体に触れることに全く抵抗がなかったのに、今はどうしてだか胸がどきどきして、躊躇いを覚えてしまう。手を下ろして、はあ、と小さく溜息を吐いた。
その時、設楽が急に寝返りを打った。心臓が止まりそうになる。はっ、と息を呑むと、彼はゆっくりと目を開けてこちらを見た。真っ直ぐに自分を射貫く視線に、鼓動の数が増えていく。
「なんだ、眠れないのか」
「あ、あの……」
息が上がってきたせいで、上手く言葉が紡げない。設楽は唇の端に笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「さっきから寝返りばかり打ってるだろ。どうした。寝る前にコーヒーでも飲み過ぎたか」
「い、いえ、そうじゃないんです……そうじゃなくて……」
これ以上視線を合わせることに耐えられず、彼女は目を伏せた。すると設楽は少し身体を奥へと移動させ、がばりと掛け布団を広げた。
「ほら、こっち来いよ。眠れないんなら付き合ってやる」
えっ、と口から思わず声が洩れた。きゅうと胸が締め付けられ、顔に血が集まり始める。それは、もっと設楽と密着する、ということ。意識した途端、急激に恥ずかしさに襲われた。躊躇って動けないでいると、設楽はじれったいとでもいうように、上げたままの布団をばさり、と揺らした。
「早く来いよ。俺の手が疲れるだろ」
「あ……は、はい」
彼女は促されるまま頷いて、ゆっくりと身体を起こした。そうしてベッドから降り、設楽のベッドの隣に立つ。設楽が下から見上げて、小さく笑いを洩らした。
「ほら」
誘われるままに膝を折り、設楽の領域へと踏み込んでいく。その間も動悸が収まらない。ゆっくりと頭を下げて横たわると、設楽との距離がこの上なく縮まった。微かに視線を上げて設楽の顔と出会った瞬間、息が止まる思いをした。これでは眠るどころか、苦しくてますます眠れない。身体は緊張したまま固まって、ただただ設楽の次の行動を待つことしかできなかった。
設楽は布団を下ろした後、もう片方の腕を立てて自分の顔を支えながら、彼女を見下ろした。直後、おかしそうにぷっ、と吹き出す。
「なんだよ、その顔。トマトみたいに真っ赤だぞ」
「だ、だって。聖司さんとすごく近い……から」
そう言うと、設楽は意地悪そうな笑みを浮かべて、彼女の額を人差し指で優しく突いた。
「今更なんだよ。付き合う前は、あんなにおまえの方がベタベタくっついてきてたのに」
「あ、あの時は……! あの時は、無意識だったから……」
「ふーん……無意識、か。だからこそたちが悪い。俺が何度おまえのせいで、今のおまえみたいに眠れない夜を過ごしたか、知らないだろ?」
「……ごめんなさい」
俯いて謝ると、設楽の手が優しく髪を撫でた。
「別に責めてるわけじゃない。今はこうして、俺も遠慮無くお前に触れるわけだしな」
「聖司さん」
相変わらず心臓の鼓動は収まらないけれど、設楽に触れてもらえるのが嬉しくて、彼女は目を閉じた。幸せな気分で満たされていく。
「もう眠れそうか?」
髪を撫でられながらそう訊かれて、彼女は目を閉じたままふるふると首を振る。
「たぶん、無理、かも……」
「なんでだよ」
「だって、どきどきして……目が冴えちゃった、から」
「ふうん……」
意味ありげに呟いて、設楽の手が止まる。その後で、彼女は思い切って尋ねた。
「聖司さんは?」
「俺が、なんだ」
「いえ、眠くないのかなって。もし眠いんなら、先に寝てください。わたし、いいですから」
そう言うと、突然背に手を回され、ぎゅうと抱き締められた。彼の胸板に頬を押しつける格好となり、緊張のあまり身体が動かなくなる。
「おまえな、そういうとこが鈍いんだよ、ああもう」
押しつけられた頬から、彼の心臓の鼓動までもが、こちらに伝わってくるような気がした。
「好きな女が隣で寝てて、平常心で眠れるわけ、ないだろ」
「せ、聖司、さん……」
そういえば、と思い当たる。先程は自分も相当な回数寝返りを打っていたけれど、その隣で設楽ももぞもぞと動いたり、何度か寝返りを打っている様子であった。もしかしたら自分と同じように、最初から設楽も眠れなかったのではないか――そう思うと、鼓動が高まると同時に、少しばかりほっとした。
「聖司さんも、一緒だったんだ……」
「ん、何か言ったか」
「ううん、何も」
さらりとかわすと、設楽は再び意地悪そうな笑みを浮かべながら、つんと額を小突いた。
「ほら、早く寝ろよ。おまえがだらしなく口開けて、涎垂らしながら寝てるとこ、見てやる」
「あっ、ひどい! じゃあ聖司さんが寝るまで、絶対寝ません」
「ふーん……じゃ、どっちが遅くまで起きてるか、競争だな」
目を開いて、見つめ合う。直後、おかしくなって同時に吹き出した。あまりにくだらない競争で、でもそうしていられるのがこの上なく幸せで、無上の喜びを感じる。
少し鼓動が落ち着いて、設楽の腕に頬を寄せながら、彼女はそっと目を閉じた。設楽の腕の中という暖かい海に身体を委ね、たゆたうシーツの上で、ゆっくりと眠りに落ちていった。