最悪で最高の日曜日

 ある日曜日の午後のことだった。
 ベッドに寝転がり、携帯電話を睨み続けること、約一時間。一向にメールも電話も来る気配がなく、鈴鹿和馬はがばりと起き上がった。はあ、と大きなため息をついて、呟く。
「何気にしてんだ、俺……」
 女から、たかが遊びの誘いがなかったというだけで、こうも心が締め付けられるのはどうしてなのだろう。自分でも自分の心情が理解できず、ため息をつくばかりだ。
 以前は日曜日、毎回のように彼女から電話がかかってきた。まずは温水プール、次は水族館、次はボーリング場――大して断る理由もなかった鈴鹿は、誘われるままに彼女と様々な場所へ行った。そうしているうちに、彼女に特別な感情が芽生えた。もっと彼女と親しくなりたい、と望むようになってしまったのだ。
 そうなってからは、鈴鹿自身も彼女を遊びに誘うようになったが、やはり彼女が誘ってくる頻度の方が高かった。それで満足していたし、それが当たり前のようにも思っていた。
 それなのに、だ。今日は、いつまで経っても電話がない。
 自分からかけた方が良いのかとも思うが、もし断られたらと思うと怖くてためらってしまう。こんな自分が情けないと思うけれど、どうしようもない。
「あーっ、くそっ」
 鈴鹿は髪を掻きむしった後、ベッドに携帯電話を放った。その後部屋に置いてあるバスケットボールを手にすると、勢いよく扉を閉めて部屋を出た。
 こんな日は、やはり大好きなバスケをして発散するに限る。和馬は森林公園に向かった。


 日曜日ということもあって、公園は多くの人で賑わっていた。それでも練習するスペースがないわけではない。人に当てないよう気をつけながら、鈴鹿は手慣らしするようにドリブルを続け、バスケットゴールが設置してある広場に向かった。
 広場にも人々がいるにはいたが、幸いバスケットゴールは空いているようだった。チャンスとばかりに、鈴鹿は足を速める。
 激しい勢いでドリブルしたせいで、ボールは地面を打って強い音を響かせた。周囲にいた数人がその音に気づいて振り返ったが、鈴鹿は気にしなかった。
 視線を上げ、バスケットゴールを見つめる。狙うは、あのネットの中。動きは既に、自分の体に染みついている。
 はっ、と鋭く息を吐き出し、鈴鹿は跳躍した。同時にボールを指先ではじき出す。ボールは弧を描き、バスケットゴールの板に当たると、くるくるとリングを回って、ネットの中へ吸い込まれた。
「すげえ……」
 周囲にいた男の口から、感嘆のため息が洩れるのが聞こえた。
 鈴鹿はボールを拾い、再びドリブルする。今度は少し離れて、また、跳躍。力加減を調節しながら、先程よりも強くボールを押し出す。ボールはゆるやかな線を描いて、また、ネットの中へ収まった。
「わあ……!」
「すごいな、アイツ」
「かっこいい!」
 先程よりも多くの声と、ぱちぱち、という拍手の音が聞こえ、鈴鹿は多くの人々の視線を浴びていることに気づいた。その視線のどれもが、賞賛の意を含んでいた。
 こうして目立つことは嫌いではなかったが、照れくさくなって、鈴鹿はドリブルしながらその場から離れた。残念そうに鈴鹿を見送る視線もあったが、照れくささの方が勝った。


 その後、今度はいつも練習している近所の小さい公園へ向かった。そこなら、森林公園よりは人も少ないはずだ。そう思って行ったが、当たりだった。
 ドリブルを続けつつ、鈴鹿はあちこちを素速く走り回る。ボールはすっかり手に馴染んで、まるで体の一部分のように鈴鹿に付いて離れない。コーチからはよく、ボールを自分の一部分にしてしまうことだ、と指導を受けたが、その通りだと鈴鹿も思っていた。
 ある程度、体を動かしたところで、鈴鹿は思い切り力を込めてボールを叩き、高く跳ねさせた。そのまま落ちてきたボールを受け止めると、鈴鹿はそれを持ったまま、ブランコの方へ向かった。休日だったが、幸い、人の目はなかった。
 ブランコに座って考え事をするのが、鈴鹿は好きだった。考え事は好きでも得意でもないが、何かに迷った時、つまずいた時、そうするとよく考えがまとまるのだ。ふう、と息を吐いて、鈴鹿はブランコの板に腰掛けた。
 真っ先に浮かんだのが、彼女の顔だった。ボールを持つ手に力を込め、思わずもう一度、深いため息をつく。
「何なんだよ、ったく……」
 イライラして、地面の砂を蹴る。彼女が悪いわけではないのに、何故か怒りの矛先は彼女に向いた。
 アイツはどうして電話してこないのだろう、今日に限って。
「俺、なんかしたか?」
 先週の自分の行動を思い返す。眠りながら授業を受けて、放課後はバスケに打ち込んで、家に帰って寝て――当たり前の毎日を繰り返しただけだ。彼女が自分に電話してこない理由が、そこにあるとは思えない。
「ああーっ、何なんだよ!」
 もう一度、ブランコに乗ったまま、地面を強く蹴り上げた時だった。
「うわあっ!?」
 あまりにも強く蹴り上げたために、体のバランスが崩れた。のけぞりそうになって、思わずチェーンを掴む。それでも勢いは止まらなくて、鈴鹿の体は板から飛び出し、地面に叩き付けられた。
「ってぇ……最悪じゃねえか……」
 人がいなかったから良かったとはいえ、自分の無様な姿に、鈴鹿はため息をついた。


 だがその時、もう一つの最悪な出来事が起こった。
「鈴鹿くん!」
 声に驚いて鈴鹿が体勢を整え直すと、そこには大きな紙袋を持ったゆかりがいた。鈴鹿は心臓が止まるかと思うくらい驚き、思わず大声を出してしまった。
「うわぁっ! お、お前かよ……き、急に大声出すなよな!」
「ご、ごめん。それより、さっきの……あの、大丈夫だった?」
「ゲッ!? み、見てたのかよ?」
「う、うん」
「ハァ……最悪だ……」
 鈴鹿は大きなため息をついた。あんな無様な姿を、よりにもよって彼女に見られるなど、最悪以外の何者でもない。
「ご、ごめんね、あの、声をかけようと思ったら、たまたま……」
「いや、いいんだ。お前のせいじゃねぇから……」
 落ち込んだ声のまま、鈴鹿はそう言った。彼女はまだ申し訳なさそうな顔をしていたが、話題を変えるようにして、言った。
「あの、鈴鹿くん。今日、ずっと外にいたの?」
「いや、さっき出てきたばかりだけど……」
「そっか、タイミング悪かったのかもしれないね。実は電話かけたんだけど、出なかったから、出かけてるのかなって思って」
「へ!?」
 鈴鹿は驚いて変な声を出してしまった。あんなに待っていた彼女からの電話が、自分が外出した直後にかけられたのだとしたら、自分は何と運が悪いのだろう。鈴鹿はまた、ため息をついた。
「そっか……悪ィな……」
「ううん、わたしこそごめんなさい。いつも電話するより、遅くなっちゃったから」
 彼女も申し訳なさそうに謝った。
 その後、鈴鹿はゆかりの持っている紙袋に目がいった。それを指差し、彼女に尋ねた。
「ところで、それ。一体何なんだよ?」
「あ、これ? さっき商店街で買い物してきたの。服が欲しいなって、前から思ってたから」
 ゆかりは紙袋を置くと、中に手を入れて何かを探し始めた。あったあった、とゆかりは言って、迷彩柄のスカートを取り出した。
「これ、買ったの。どうかな? 鈴鹿くん、こういうの好きそうだなって思って」
 一瞬これを来た彼女の姿を想像し、鈴鹿は慌てて首を振る。
「あ、あぁ! いや、お前に似合うと思うぜ?」
「そう? 良かった。じゃ、今度一緒に出かける時、着ていくね」
 ゆかりは嬉しそうに笑って、スカートを丁寧にたたみ、再び紙袋の中に入れた。
 その様子に、鈴鹿はずっと見とれていた。心臓の鼓動が速くなる。彼女は鈴鹿が好きそうだからといって、あのスカートを選んだのだ。それが嬉しいやら照れくさいやら、鈴鹿の心に妙な感情を生む。
 今度、出かける時。彼女は確かにそう言った。また、自分を誘ってくれるつもりなのだろうか。鈴鹿は思わず、ごくりと唾を呑んだ。
 何も、彼女から誘われるのを待つことはない。せっかく今日、こうして彼女と会えたのだ。今誘わなくてどうするのだ。
 言うべきかどうかためらう前に、鈴鹿の口から、言葉が飛び出していた。
「なあ、清水!」
「ん? なあに?」
 深雪は顔を上げ、小さく首を傾げる。
「あ、あのよ……次の日曜日、俺と遊園地、行かねえか?」
 鈴鹿は何度も言葉を呑み込みそうになりながら、なんとか言い切った。それを聞いて、ゆかりは驚いたように目を丸くした。
 一瞬彼女の返答を恐れた鈴鹿だったが、彼女はにっこりと笑って、うん、と頷いてくれた。
「いいよ。ふふ、嬉しい。鈴鹿くんから誘ってくれるなんて」
「あ、ああ……じゃ、次の日曜日、バス亭前な?」
「うん! 楽しみにしてるね!」
 心底嬉しそうにしている彼女を見て、鈴鹿の緊張で強張った顔は、自然と緩んでいた。
 照れくさくて、とても言葉には出せなかったけれど、俺も楽しみにしてっから、と鈴鹿は心の中で呟いた。
Page Top