「んじゃ行ってくるな、夕飯までには帰ってくるからさ!」
「はい、いってらっしゃい!」
靴を履きつつ、手を振って玄関から出て行く翔を、春歌は笑顔で見送った。
翔はこれから雑誌のインタビューと撮影の仕事があるらしい。デビューしたばかりでまださほど名は売れていないが、小さくてもこうして仕事があるのは良いことだ。春歌は一人でしみじみと嬉しさを噛み締めた。
キッチンに戻り、先程一緒に食べた昼ご飯の片付けを再開する。恋人同士になった今、少しでも一緒にいる時間を作りたいからと、時間が合えば必ず二人で食事を取るようにしていた。
汚れた皿を一つ一つ丁寧に洗った後、テーブルを拭いて、春歌は一息ついた。ここは翔の部屋だ。合鍵をお互いに交換しているから、互いの部屋は自由に行き来できる。このまま自室に帰って作曲の続きをしても良かったが、なんとなくもう少しここにいたい、と感じた。
「そういえば……」
先程昼食を食べながら、翔が言っていた言葉を思い出す。最近は色々とやることが多く、掃除がまともにできていない、と。寝室周りなどは特に散らかったままだと言っていた。春歌はキッチンを出て、寝室に続く階段を上がった。
「お邪魔、します」
誰もいないのにそっと呟くように言って、春歌は静かに寝室へ足を踏み入れた。
まず目に入ったのは、ベッドの上に置かれたピヨちゃんの人形だった。那月辺りからもらったものだろうか。乱れた白いシーツの上にはそれ以外にも、翔の大好きなケン王のフィギュアやカードなどが散乱している。
何故こんなことになっているのかまるで想像がつかないが、とりあえず片付けてシーツを直しておくだけでも随分見栄えはよくなるだろう。本来なら隅々まで掃除しておきたいところだが、翔の許可を得ていない以上、たとえ意図せずとも本人のいないところで部屋を探るような真似をするのは気が引ける。
カードはチェストの上にまとめ、ぬいぐるみはベッド脇のスペースに置いた。フィギュアは迷った末、カードの横に置いておくことに決める。後はシーツを直しておくだけだ――そう思ってシーツの端をばさりと持ち上げた、その時だった。
ベッドの下に、雑誌が積まれているのが目に入った。シーツを持ち上げたときにベッドが動き、少しばかりベッドからはみ出てしまったようだ。シーツから手を離し、その雑誌を奥へと押し込もうと、春歌はしゃがみ込んだ。
――一瞬、心臓が止まるかと思うような衝撃が、春歌の全身を駆け抜けた。
「これ、って……」
翔の私物に勝手に触れるのはいけないことだと思いつつも、どうしてもそれを確認せずにはいられなかった。雑誌を引っ張り出して、膝の上に広げる。春歌の顔が、みるみるうちに真っ赤になった。唾を呑み込んで、視線を逸らす。動悸が速くなっていくのが自分でも分かった。胸を締め付ける感情が一体何なのか、春歌には分からない。
「女の人、の……」
言いかけて、首をぶんぶんと横に振った。それ以上言ったら、あまりの恥ずかしさに死んでしまいそうだった。
雑誌に載っていたのは、生まれたままの姿であられもないポーズを取る女性達の姿だった。写真の合間合間には、ありとあらゆる卑猥な言葉が並べ立てられている。
衝撃を受けて呆然としていた春歌は我に返り、慌てて雑誌を閉じてベッドの奥へと押し込んだ。胸に手を当てると、これ以上ないくらいの大きな鼓動が伝わってくる。こんなにもドキドキしたのは、卒業オーディションの時以来だった。
翔だって一人の男だ。男性がこういうものに興味を示し好んで見るものだということは、春歌も承知している。だから大したことではない、これは普通のことなんだ――そう自分を納得させようとしながらも、心のどこかに小さな棘のような引っかかりがあるのを感じて、春歌は微かに首を傾げた。この痛みは一体何だろう。小さいのに、ちくちくとしつこく心に痛みを与えるこの棘は、一体何だろう。
不意に、先日久しぶりにカフェで話をした時の、親友の友千香の言葉が蘇る。
「春歌って、もうしたの?」
「し、したって……?」
春歌が聞き返すと、友千香はにやりと笑って身を乗り出し、春歌の耳元に囁いた。
「またまたぁ、分かってるくせにぃ。翔に抱かれたの? ってコト」
春歌は顔からつま先まで真っ赤になった。友千香をはじめ他人から天然で鈍感だとさんざん言われる春歌でも、その言葉の意味くらいは理解している。愛し合う男女がいずれ行き着く場所――けれど翔とそういう雰囲気になったことは、今まで一度もなかった。春歌が慌ててぶんぶんと首を振ると、友千香は弾けたように笑った。
「そっか。ま、あの翔くんが相手だし、しょうがないっか。あの子、全然そんなふうに見えないもんねぇ」
からからと笑う友千香の笑い声が、脳内に響き渡る。その残響が刃のように春歌の心を切り裂いた。痛みの原因に、春歌はようやく気付く。
その時は赤面して何も返せなかったものの、翔はそんなふうに見えないという友千香の言葉に、自分は無意識に安心感を覚えていた。翔は自分を大切にしてくれている。だからこそ安易に触れたりしない、そう言葉で誓ってくれたこともあったから、尚更のことだ。
けれど。春歌の不安の種が大きくなる。あんな雑誌を持っているということは、やはり少なからず興味はあるということだ。興味はあるのに、その誓いのせいで、ずっと我慢を強いてきたのだとしたら。そしてそれ以上に、春歌を抱かないのは、春歌自身に魅力がないせいだとしたら――
嫌な想像はどんどん膨らんでいく。先程見た雑誌の写真を思い返し、春歌は無意識に自分の胸に手を当てていた。写真の女性の膨らみに比べたら、自分のなんて全くないように思えてくる。全身のプロポーションも遠く及ばない。化粧も普段はほとんどしないから、自分は他から見て、全く色気のない女なのではないだろうか。翔もそう思っていて、自分に手を出してこないのだとしたら。
のしかかる重い痛みに耐えるように、春歌は胸を押さえた。襲われた軽い吐き気がおさまるまで、春歌はその場に座り込んだまま動けなかった。
約束通り、翔は夕飯の時間までには帰ってきてくれた。土産にケーキを買ってきた、と言われて、普段なら満面の笑顔を浮かべて喜ぶところなのに、春歌は小さく微笑むことしかできなかった。一緒に夕飯を食べている最中も上の空で、翔に何度も呼びかけられ、それから慌ててもう一度話を聞くという有様だった。
「お前、さっきからどうしたんだ? 元気ないぞ」
「……ううん、なんでもない、です」
翔の怪訝そうな問いにも、ぎこちない笑みを返すことしかできない。翔は何か言いかけたが言葉にはせず、春歌の作った味噌汁に口を付けた。
食卓に重い沈黙が流れる。春歌にとっても辛い時間だった。翔に対する疑念がどんどん膨らんで、何かを吐き出してしまいたくなった。けれどもそんなことはできない。面と向かって自分に魅力を感じているか、と問うなんて、恥ずかしくてできるわけがない。
夕飯を食べ終え、食器を片付けようと立ち上がると、翔が素早く立ち上がって春歌を制した。
「片付けは俺がやる。お前はちょっと休んどけ」
「え、でも……」
「疲れてんだろ、お前。大人しく俺様の言うこと聞いとけって」
翔は優しく笑ってぽんぽんと春歌の頭を軽く叩くと、手際よくテーブルの上の食器を片付け始めた。どうやら翔は、疲れたせいで春歌はこんなにも元気がないのだと解釈したようだ。翔の優しさを嬉しく思いつつも、騙しているような罪悪感に苛まれ、春歌の心はますます苦しくなった。
皿洗いをしている音を聞きながら、春歌は決心を固めていた。このままではいけない。このままでは翔を不安にさせるばかりだし、自分もきちんと翔と向かい合うことはできない。春歌は座ったまま、翔のいるキッチンの方に振り返った。翔は鼻歌を歌いながら皿洗いをしている。卒業オーディションに向けて、共に作り上げてきたあの歌だ。
「逃げているだけじゃ、何も掴めない……」
サビを聴いてはっとする。本当にその歌詞の言う通りだ、と。
「あのね、翔くん……」
「ん? なんだー?」
躊躇いがちに呼びかけると、翔がきゅ、と蛇口をひねって水を止め、顔を上げた。春歌は俯き加減に言葉を続ける。
「今晩……一緒にいちゃ、だめですか?」
「んなっ!?」
危うく持っていた皿を落としかけたのか、直後にセーフ、と言う翔の小さな声が聞こえた。春歌もはらはらとしながら、翔の言葉を待つ。
「今晩って……え、つまり、俺の部屋で?」
「うん……だ、だめかな」
「べ、別にダメってことねーけど……どうしたんだ? 何かあったのか?」
「あ、あのね」
何も考えていなかったのに、咄嗟に言い訳が口から飛び出した。
「昨日、寝てたら、どこかからがたがたって音がして、こ……怖くて」
でたらめだったのに、そう口にした途端、翔が皿を置いて春歌のところに向かってきた。至近距離で心配そうに顔を覗き込まれて、春歌の心臓が跳ねる。
「なんだそれ……まさか強盗とかじゃねえよな?」
「ひ、人じゃない、と思うけど……でも、怖くて、多分一人では眠れないと思うから……」
嘘を吐いているという後ろめたい気持ちで翔から視線を逸らしたのを、翔は恐怖で逸らしたものと勘違いしたようだ。がっしりと春歌の肩を掴み、力強く言った。
「大丈夫だ、今日はここにいろ。俺が一晩中一緒についててやるから、心配すんな!」
「う……うん。ありがとう」
春歌がぎこちなく笑うと、翔も表情を緩めて、ぽんぽんと肩を叩き、皿洗いに戻っていった。嘘を吐いたことは申し訳なく思いつつも、これで翔の部屋に留まる口実ができた。
本番はこれからだ。もう後戻りできなくなった春歌は、再び心の中で決意を固めた。
「ベッドはお前が使えよ。俺、下で布団敷いて寝るから」
お互い交代で風呂に入った後、寝室に続く階段を上がりながら、翔がそう言った。上りきったところで寝室の扉を開ける。と、片付けられた部屋の中を見て、翔の足が止まった。春歌の方を振り返った翔の目は、驚きに見開かれている。
「もしかして、お前……掃除、してくれたのか?」
「あ、はい。散らかったままだって言ってたから、片付けだけしておこうかなって」
「そっか、サンキュ」
翔は満面の笑みを浮かべて礼を言った。部屋に勝手に入ったというのに、こうも翔の態度が堂々としていると、昼間見たあれは幻だったのではないかという思いが首をもたげてくる。だが、ここまできて後には引けない。これからも翔と一緒にいたいと思うからこそ、訊いておかねばならないことがある。
「翔くん、あの……」
「ん? なんだ?」
春歌がまとめてチェストの上に置いていたケン王グッズを拾い集めながら、翔が振り返る。春歌は見つめられて急に恥ずかしくなり、俯いてしまった。
「い……一緒に、その……」
「一緒に?」
「わ、わたしと一緒に、寝て……くれませんか?」
「なっ!?」
ばらばらと、何かが落ちる音がした。翔の手からこぼれ落ちたケン王のフィギュアが、再びチェストの上に転がっていた。翔は口をあんぐり開けたまま、こちらを見て固まっている。
「俺も一緒の部屋で寝てやるから、とか、そういうことじゃなく……?」
確認するようにおそるおそる尋ねてきた翔に、春歌は真っ赤になりながら頷いた。翔は金魚のように、ぱくぱくと口を動かしている。
「それってつまり、俺がお前と、ベッドで一緒に寝る、とか」
再び春歌がこくりと頷くと、翔はぶんぶんと首を横に振った。
「いやいやいやいや、それはぜーったいダメだ! だって」
「だ、だって?」
「そんなもん、お……俺が、ドキドキしすぎて死ぬっつーの」
「え?」
ぼそりと呟かれた言葉が聞き取れなくて首を傾げると、翔はごまかすように手を振った。
「とにかく! お、お前の傍にいてやりたいのはやまやまだけどよ、まだ早いっつーか、なんつーか……」
翔は先に続く言葉に迷ったらしく、頬を掻いた。
春歌の心に、また小さな傷ができる。じわじわと血が溢れ出して、心を悲しみの色に変えていく。翔が本当に自分を大切にしてくれているということを、頭では理解していた。けれど、感情の部分では割り切れないものがあった。自分たちは恋人同士なのだから、添い寝くらい普通にできるのではないか。普段の自分なら恥ずかしすぎて言えないお願いを、羞恥を心の奥底に押し込めてまでこうして頼んでいるのに、それでもできないということは、やはり自分には魅力がないのだろうか。自分は翔の恋人にふさわしくないのだろうか。一度落ち込んだ想像は、決して良い方には向かわない。
ふと、先日友千香に会った時、別れ間際に言われた言葉を思い出す。
「春歌は奥手だし、そこがあんたのいいとこだけど、たまには押してみてもいいんじゃない? 自分のしたいこと、して欲しいこと、素直に相手にぶつけてみるっての、やってみたら?」
ごくん、と唾の呑み込む音がした。
「翔くん!」
「な、なんだよ、急に大声出して……」
思った以上の声が出てしまって、春歌は慌てて口を押さえる。
「ご、ごめんなさい。あの……翔くん」
すう、と息を吸った。
「わたし……どうやったら、翔くんにふさわしい彼女になれますか?」
「……え?」
予想外の言葉だったらしい。翔は一瞬きょとんとした表情になった。春歌は目を伏せ、きゅ、と小さく拳を握った。
「わたし、今のままじゃ、翔くんにはふさわしくないんじゃないかって思って」
「おいおい、いきなりどうしたんだよ。今日のお前、なんかおかしいぞ?」
そう言いながら春歌の顔を覗き込んだ翔の動きが止まり、直後ぎょっとした顔になる。春歌はそこで、自分の目から涙がこぼれていたことに気付いた。頬を温かいものが伝って、床に落ちていく。泣くつもりなどなかったのに、次から次から溢れて止まらない。
「お、おい、どうしたんだよ春歌……なんで泣くんだよ、何があったんだよ」
「ごめ、んなさい、でもわたし……っ」
しゃくりあげる春歌の背を、翔は優しく撫でてくれる。
「落ち着けって、何があった? 俺、なんかお前に、気に障ること言ったか?」
心配そうに尋ねる翔に罪悪感を抱きつつ、首を横に振る。翔はほっ、と溜息をついてから、改めて尋ねてきた。
「じゃあ、何があったんだ? 落ち着いて言ってみろよ、聞いてやるから」
春歌は嗚咽を抑えながら、言葉を紡いだ。
「わたし……今日、翔くんの部屋を掃除してる時、シーツを直そうとして、ベッドの下にあるもの……見てしまって」
そこまで言うと、翔の顔がみるみるうちに青ざめていった。再び金魚のように、口をぱくぱくさせる。
「お、お前、あれ、見て……ちっ違う、あれは違う! あれはこないだ音也が勝手に――」
「いいんですっ! 男の子はああいうの読むものだって、トモちゃんが言ってたから……」
「っ、渋谷、余計なこと言ってんじゃねーよ……」
翔は顔を赤らめて、呟くように言った。春歌はひくり、と嗚咽を洩らす。
「そこに載ってた女の人、すごくスタイルが良くて……胸も大きくて、翔くんも、ああいう女の人が好きなのかなって……思って」
「な、な、な」
翔は慌てたように首を振った。
「ん、んなわけねーよ! 断じてねえ!! 俺が好きなのは、」
そこで言葉を止め、翔は真っ赤になったまま俯いた。
「俺がお前以外の女、好きになるわけねーだろ……」
「翔くん……」
心の傷口から溢れていた悲しみの血が、その一言で一気に洗い流されていく。春歌は涙を拭いて、じゃあ、と翔を上目遣いに見つめた。
「わたしと、今晩一緒に寝てくれますか?」
「そ、それとこれとは話が別だっつの!」
翔は赤い顔のまま、とんでもないとでも言うように首を振った。
「お、お前な、あんま男に軽々しくそういうこと言うな! どうなっても知らねーぞ?」
「わ、わたし、翔くんになら、何されたって平気です!」
思わずそんな言葉が口から飛び出していた。
刹那とんでもないことを口走ってしまったと気付いて、慌てて口を押さえるがもう遅い。先程注意されたばかりだというのに、また翔に怒られてしまう――
きゅっと目を閉じた春歌に向けられたのは怒声ではなく、翔の温もりだった。翔の手で抱き寄せられて、春歌の心臓がとくん、と高鳴った。
「ばーか」
翔の声が、耳元で響く。
「俺にだって、我慢の限界があるんだぞ? んなこと、お前に言われたら……」
春歌を抱き締める腕の力が、少し強くなる。
春歌を大切にすると誓ってくれた翔。けれどその代わり翔は我慢を強いられているということに、春歌は気付いてしまった。気持ちはとても嬉しいが、そんな我慢はして欲しくない。春歌の心の奥底に眠っていた願望が、静かにむくりと起き上がってくるのを感じた。
「わたし、平気です……だ、だから翔くんと、一緒に」
確固たる自分の決意を示すはずだった声が、何故か震えてしまった。
「ばーか、お前、声震えてるじゃねーか。怖がってるって分かってるのに、なおさらできねーだろ」
「怖くないです! って言ったら、嘘になるけど……」
春歌は自分の心情を、素直に吐露した。
「翔くんとなら、大丈夫だから……翔くんともっと一緒にいたいから、だから」
翔との関係を、もう一つ奥へと進めてみたい。
自分の思いを必死に訴えかけた春歌の耳元で、やがて翔の溜息が聞こえた。
「……しょーがねえなあ」
呆れられたのか、と恐れたも束の間。翔の温かい声が、春歌の心を癒していく。
「好きな女にそこまで言われて、本気にならない男なんていねーっつの」
そこで、腕の力を少し緩められた。
春歌は顔を上げて、翔と改めて向き合った。翔は微笑んでいた。再び身体を引き寄せられたと思うと、そのまま唇を奪われた。重なり合う二つの柔らかな皮膚。いつもならちゅっ、と一度しかキスしないのに、今日は何度も何度も角度を僅かずつ変えて唇を重ねられ続けた。春歌の体温が少しずつ上昇していく。唇から与えられる翔の熱が、まるで全身を覆っていくような感覚がした。
唇が離れた後、春歌はぼんやりと翔を見上げた。翔は横を向いて、独り言を呟いた。
「据え膳食わぬは男の恥、って、確かあの人もいってたしな」
「あの人……?」
「いやいやっ、こっちの話だから」
翔は慌てて手を振った後、再び春歌と向き合った。がっしりと肩を掴み、力強く顔を近づけてきた――と思ったら、すぐに赤くなって、微かに俯く。
「その……っ、本当に、いい、んだな?」
「うん……」
「後悔しても、知らねーぞ」
春歌は首を横に振った。
「翔くんとなら……後悔なんて、しないよ」
「ばーか……」
先程よりも少し余裕のない、“ばーか”。こつん、と額をぶつけられる。
「お前、可愛すぎ、反則」
身体が重力に従って、ゆっくりとベッドに倒れていく。
天井の明かりを遮るように視界を覆った翔の顔を、春歌は心から愛しいと思った。