02.僕を待つ灯火

 ギルドで引き受けた護衛の仕事を終え戻ってきた時、既に夜は更けていた。
 ここベネトナーシュから少し離れた半月の宿まで依頼主を無事送り届けるという仕事を引き受け、出発したのが昼過ぎのこと。飛光艇で行くならひとっ飛びだが、歩いて行くのは時間が掛かる。次々に襲いかかってくる魔獣に向かって大剣を振るいつつ、ラルクは自分の腕が五百年経った今も衰えていないことを確認していた。これならば、これからもギルドの仕事を引き受けてやっていけそうだ、と確信しつつ、同時に安堵の気持ちを抱いていた。
 帰り道を歩きながらふと、家で待っているはずの彼女のことを思い浮かべた。もう夜も更け、人気のない時間となってしまったから、既に床に入って眠っているかもしれない。
 疲れからふう、と息をつきつつ、ラルクは角を曲がった。
 その時、ラルクは思わず目を瞠った。自分の家の窓から、ほのかな灯りが洩れていたのだ。リフィアはまだ起きているのだろうか、そう考えるといてもたってもいられなくなって、ラルクは走り出していた。
 やや乱暴に扉を開け、居間に入る。台所の手前に設置されたダイニングテーブルの上に突っ伏して、リフィアが静かに寝息を立てていた。真ん中に灯された蝋燭の炎が、じりじりと蝋を焼きながら光を振りまいている。彼女を起こすべきか迷っていると、物音に気付いたのか、リフィアがゆっくりと目を開いた。
「ん……ラル、ク?」
「リフィア……」
 リフィアは小さく目を擦り、ゆっくりと瞼を開きながら微笑んだ。
「おかえりなさい、ラルク」
「俺を待っていてくれたのか」
「ええ。心配だったから、ラルクが帰ってくるまで待っていようと思って」
 でも、と言いながら、椅子から立ち上がる。
「結局眠ってしまって、ごめんなさい。ラルクが無事に帰ってきてくれて良かった」
「ああ……」
 リフィアは夕食の皿に覆い被せていた布を取り、シチューを温めてくるわね、と言って台所の方に行ってしまった。礼を言わねばと思いながら、結局言い損ねてしまい、ラルクは思いを持て余したまま椅子に座る。この蝋燭の炎のようにほのかに灯る、嬉しいような気恥ずかしいような思いにとらわれながら、ラルクは鍋の中をかき回しているリフィアの背を見つめていた。
 湯気の立ち上るシチューをよそって、リフィアは再びこちらにやって来た。ラルクの前に静かにシチューを置いて、微笑む。
「どうぞ。今日、茸をもらってきたから、シチューに入れてみたの」
 ラルクは匙を持って、白い海から焦げ茶の頭を覗かせる茸をすくい取り、口に運んだ。
「――ああ、うまいな」
「良かった」
 リフィアはラルクの向かいに座り、にこにこと笑いながらラルクの顔を見つめた。気恥ずかしい思いに襲われながら、ラルクはリフィアに謝った。
「遅くなって悪かった。けど、先に寝ていても良かったんだぞ」
 ううん、とリフィアは首を振る。
「ラルクを待っていたかったの」
 純粋な言葉で自分の思いを表現するところは、出会った頃から変わっていない。その率直な思いに戸惑いながら、同時に嬉しく感じていたのは否定できなかった。彼女の物言いには思わず赤面してしまうことも多いが、それも耐えれば済むことだ。
「その……ありがとな」
 頬を掻き、僅かに照れつつも礼を言うと、リフィアは心底嬉しそうな表情をした。
「いいの。ラルクが無事に帰ってきてくれたことの方が、何よりも嬉しいもの」
 胸に手を当てて、リフィアは少し目を伏せる。
「とても、心配だったの。ラルクは少し前に起きたばかりだから、身体が本調子でなかったらどうしようって」
「俺の剣の腕が衰えてないかって心配してたのか? なんだ、俺も甘く見られたもんだな」
 冗談めかして笑うと、それを本気で受け取ったのか、リフィアが真剣な表情で首を振った。
「そうじゃないわ。けれど――」
「――分かってる。心配かけて悪かったな」
「ラルク……」
「けど、俺は大丈夫だ。今日、確信した。またこの剣で、うまくやっていけそうだってな」
 壁に立てかけた大剣を撫でつつ、ラルクは笑みを滲ませる。
「お前にはまた心配かけるかもしれないけど、俺は傭兵の仕事をもう一度やりたいと思ってる。俺にはこれくらいしか、できることがなさそうだからな」
 リフィアはしばらく複雑そうな表情で俯いていたが、やがて顔を上げ頷いた。
「ラルクがそう言うのなら、私は止めないわ。確かに心配だけど……それよりも」
「それよりも?」
 リフィアは胸の前に手を置き、微かに頬を赤らめた。
「傭兵の仕事をしている時のラルクは、一番素敵な顔をしているから……それを見ていたいの」
 はっと息を呑んで、ラルクは思わず肩を上下させた。じわじわと顔中に熱が広がっていくのを感じる。赤面しつつ視線を逸らして、ぼそりと呟くように言った。
「あ、あんまり、そういうことは言わないでくれ……リフィア」
「あっ……ごめんなさい」
「いや、謝らなくていいんだ。ただ、俺が、その、照れちまうから……」
 言いながら頬を掻くと、リフィアは顔を上げて表情を緩めた。
「分かったわ。――ラルク、無理はしないでね」
「ああ。お前を心配させるようなことはしない」
 強い決意を込めて頷くと、リフィアは安堵してくれたようだった。
 そうして再び、食事を再開する。先程の茸のシチュー、緑の葉の敷き詰められたサラダ、固めに焼き上げられたパンをそれぞれ口にしながら、ラルクは幸せを噛み締めていた。五百年前、彼女と初めて出会った頃は、このような生活など想像もできなかった。あれから五百年――かつての仲間や知人、友人たちは皆既に大地に還ってしまったけれど、彼女が隣にいてくれるおかげで、自分は一人ではないと実感できる。
「お前も、食べるか」
 シチューをすくった匙を向けると、リフィアはこくりと頷いて、頬を染めながら小さく口を開いた。いつしか気恥ずかしさは吹き飛んで、ラルクはその小さな口に匙を入れてやる。
 リフィアが心底嬉しそうに食べる顔を見つめながら、ラルクは僅かに頬を緩めた。
拍手ありがとうございました!(2010.7.12)
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