陶酔境

 荒く息をついて、ロベリアはカウンターに伏した。頭がくらくらする。まるで巨大な重石を載せられたかのようで、首を動かすのも億劫だった。
 今にも発火するのではないかと思うくらい熱い頬に、突然冷たいグラスを押し当てられ、ロベリアは小さく悲鳴を洩らす。
「何を……するの」
 頬を押さえて隣に座る男を睨む。男――マリクも強い酒を何杯も飲んだ後だったはずなのだが、倒れ伏すまではいかないらしく、涼しい顔でグラスを持ち上げながらロベリアを見下ろしていた。
「無理をするからだ。やめておけと言っただろう?」
「何を言うの。貴方は私の何倍も多く飲んでいるくせに」
「だが、俺は酒に強いからな……お前はそうじゃないだろう」
 ロベリアは悔しさに唇を噛み、重い身体を無理矢理起こす。首とカウンターが垂直になったと思った瞬間、くらりと視界が揺れ、ロベリアは身体を支えきれずに倒れ込んだ。――隣にいる、マリクの膝の上に。
 彼の太股に手をついて起き上がろうとすると、マリクの腕が伸びてきて、ロベリアの身体を後ろから抱きかかえた。抵抗することもできないまま、彼の胸へ身体を預ける格好になる。
「マスター、部屋を空けておいてくれ。彼女を寝かせて帰るから」
「かしこまりました」
 淡々としたマスターの声を聞いた後で、ロベリアは驚いたように顔を上げる。
「な……マリク、何を……」
「このままでは帰れないだろう。一晩ここの宿屋に世話になっておけ」
「だ、大丈夫よ、帰れ――」
「無茶言うな」
 一蹴され、ロベリアはついに反撃の言葉を失う。悔しさに唇を噛み締める他、なかった。
 一つだけ空いているという部屋の鍵を受け取ると、マリクはマスターに礼を言い、ロベリアを抱えて歩き出した。


 おぼつかない足取りながらもマリクに支えられて階段を上り、二人は空いている二階の部屋に入った。
 そのままベッドの上に横たえられ、ロベリアはぼんやりと天井を見つめた。煇石の力で輝く灯りがまぶしい。部屋は暖まっているが、今の自分には熱すぎるようにも感じられた。
 目を細めていると、突然その視界に黒い影が入り込んだ。驚く間もなく、その影はロベリアの身体の上に覆い被さる。強かに酔って熱くなった身体の上に、もう一つ、熱い身体。
「マリ……ク……?」
 黒い影はマリクだった。マリクはおもむろに身体を起こそうとし、ロベリアの真上で止まる。まぶしい灯りが彼の頭に隠れて見えなくなり、ロベリアは目を大きく開いてマリクを見つめた。マリクが苦しそうな顔をしている。先程まで、あんなに涼しそうな顔をしていたのに。
「悪い、すぐに、退く」
 荒い息を唇の間から漏らしながら、マリクは必死に身体を起こそうとしていた。だが直後肘がくにゃりと折れ、再びロベリアに覆い被さる格好となる。大きな身体を受け止めながら、ロベリアの心臓は先程から暴れ出していた。酒のせいもあるだろう、だがそれだけではないように、ロベリアには思えた。
「貴方も飲み過ぎたのね」
 呟くように言うと、マリクは悔しそうに顔を歪めた。
「……そうらしいな、身体が動かん……」
「なら、貴方がここに寝ればいいわ。私が退くから――」
「いや、この部屋はお前のものだ。もう一度下へ行って、部屋が取れないか頼んでみる」
 再び動こうとするマリク。だが、その試みもあっさりと無に還る。ロベリアは一度身体を横たえたせいか、幾分か意識がはっきりしてきたような気がした。胸の辺りでうずくまるマリクを見つめながら、首を横に振る。
「無茶だわ。それにもう、一つしか部屋は空いていないとマスターが言っていたでしょう」
 マリクの口から、く、と悔しさ混じりの声が洩れる。ロベリアは身体を横へ動かそうと試みながら、マリクに言った。
「いいから、貴方はここで寝て。私はなんとかするから」
 あては何もなかったが、少し意識がはっきりしたせいでどうにでもなるような気分になっていた。
 少しずつマリクから身体をずらしていると、突然マリクがロベリアの顔の両側に手をついた。
「待て……」
 至近距離にある唇から洩れる声。急に身動きが取れなくなり、ロベリアは驚いてマリクを見つめた。マリクは先程よりも辛そうな、切なげな感情を瞳に浮かべ、懇願するような口調で言った。
「逃げないでくれ、ロベリア」
 思いもかけない言葉がマリクの口から飛び出し、ロベリアは思わずえっ、と声を洩らしていた。自分がベッドを退く行為を逃げると表現されたこと、そして何より普段は見せないようなマリクの瞳の色が、随分と気にかかった。
 マリクの次の行動が読めず身体を硬くしていると、マリクは酒臭い息を吐き、ロベリアの身体へ徐々に体重をかけてきた。熱い身体同士が密着し、更に熱い何かが、その間に生まれる。
「どこにも、行かないでくれ、ロベリア」
「マ、マリク……?」
 驚きの声を発するロベリアの口を塞ぐように、マリクが顔を近づけてきた。
 二人はそのまま、口づけを交わす。ロベリアは目を閉じるどころか、ますます大きく見開いた。今、唇に当たるものの感触が一体何なのか、アルコールに冒された脳では咄嗟に判断できなかった。
 全てを理解したその時、ロベリアの胸に襲ったのは信じられないという気持ちだった。自分とマリクが、唇を重ねている。宿屋の部屋の、ベッドの上で――
「んんっ……」
 そのあまりの長さに耐えられなくなり、ロベリアは苦しそうな声を洩らす。するとマリクはそれを素早く聞き取ったらしく、ゆっくりと顔を上げてロベリアを見つめた。再び交わされる視線。ロベリアは何が何だか分からず、ただぼんやりとマリクの顔を見つめるしかなかった。
「帰したくない、君を」
 閉じていた手のひらを強引に開けられ、二人の指が絡み合う。
「カーツに奪われるなんて……まっぴらだ」
 力を込めて握られた後、もう一度、口づけ。強かに酔っているはずなのに、マリクは驚くほど正確にロベリアの唇の場所を捉えてみせた。何度も、何度も、マリクは口づけを落とした。その度にロベリアの心臓は跳ね上がり、唇を濡らされ、息苦しさに悶えた。それに応じて、体温がますます上がっていくような気がした。これ以上上がれば燃え尽きてしまうのではないかと思うほどに。
 有り得ないことだった。自分たちは今まで口づけどころか、互いの想いを伝える言葉すら交わしたことのない関係なのだ。それなのにマリクは、ロベリアの深い部分まであっという間に辿り着き、全てを露わにしようとさえ、している。
 彼がロベリアの軍服のボタンを全て外し終えた後、強烈な羞恥心が襲った。ロベリアは重い腕を動かして、マリクの腕を払いのけようとした。
「駄目よ……マリク」
 マリクが我に返ったように目を見開き、ロベリアを見下ろす。強い力でロベリアを押さえつけていた彼のもう片方の手から、急激に力が失われていった。マリクは申し訳なさそうに目を逸らす。
「すまん、俺は……」
 だがロベリアの側は、払いのけようとした腕を止めていた。彼の体重を感じられなくなった途端、急に不安な気持ちになったのだ。彼の手を払いのけて、まだその段階ではないと諫めるつもりだった。だが、彼が離れた途端、もっと密着していたいのにと思う気持ちが胸にせり上がってきた。
 ロベリアは力を込めてマリクの手を握ると、首を横に振った。
「違う、そうじゃないの……」
 マリクの視線が、再びこちらへ向く。
「そうじゃないの……もっと、貴方と……」
 続く言葉が見つからない。だが、マリクには伝わったようだった。真摯な瞳を向け、問うてくる。
「いいのか、ロベリア……俺で。賭けに負けた、俺で」
 賭けというのは、昼間マリクとカーツが手合わせした際に行ったことだった。勝敗にロベリアを賭ける。二人はそういう約束をして、手合わせを行ったらしい。ロベリアは人づてに聞いた事ゆえ、詳しいことは知らなかったが、勝敗の結果だけは耳にしていた。マリクが、カーツに負けたのだ。彼が今日珍しく自棄酒を飲んでいたのも、そのせいだった。
 だが、ロベリアの答えは決まり切っていた。ロベリア自身が想いを寄せていたのは、他でもない彼――マリクだったからだ。
「関係、ないわ」
 ロベリアはゆるりと微笑んでみせる。
「私は、マリクとなら……それで、いいの」
「ロベリア……」
 愛しげに名を呼ばれ、何度目かの口づけを落とされる。甘い痺れが、全身に走った。


 生まれたままの状態で、二人は向かい合っていた。互いの胸へと視線を向け、ロベリアは羞恥に耐えられず腕を動かす。だが、隠そうとして動きかけた腕は、マリクの逞しい手によって止められた。ロベリアの心拍数が、ますます速くなる。
「マリク……あまり、見ないで」
 視線に耐えかねて顔を逸らすと、マリクの顔がぐっと近づいて、唇が肌色の双丘に添えられる。突起を銜え込まれた時、ロベリアは新たな刺激に身をよじらせた。
「ひぁ……!」
 視線がロベリアの表情を眺め回し、マリクは微笑みを浮かべる。
「綺麗だ、ロベリア」
 足の付け根に添えられた太い指がそわそわと動く。と思ったその時、茂みをかき分けるようにして、指がロベリアの花園へと侵入した。他人に触れられたことのない場所。ロベリアは無意識のうちに腹部に力を入れていたのだが、その力があっという間に抜けてしまうくらいの快感が、身体を突き抜けた。
「あぁっ……!」
 胸の突起に舌を当てながら、マリクの指が何かを探り当てるかのようにして花弁を行ったり来たりする。その度にロベリアの切ない感情を刺激し、口から声が洩れてしまう。指が蜜壷に到達した時、ロベリアのそこは自分でもはっきりと分かるほど、水分を含んでいた。
「感じているのか」
「言わ……ないで……ああっ!」
 ロベリアの花弁がマリクの指を銜え込む。更にマリクが指を動かすと、蜜壷からとろとろと液体が溢れ出た。マリクはなおも指で責め続ける。強い刺激に慣れていないロベリアは、その度に切なく啼き、身をよじらせるのだ。箱入り娘として育ったロベリアは、こうして深く男性と密着することなど、初めてのことであった。
 だが、とロベリアは我に返る。マリクは、自分とは違って経験があるのだろうか――カーツが以前、彼を天然タラシと皮肉めいた口調で呼んでいたことを思い出す。事実、彼は女性から熱い視線を浴びることも多々あるらしく、帝国に住まう様々な女性たちと話し込んでいる姿を目撃したことも一度や二度ではなかった。高ぶったロベリアの感情が、急に冷めていくのを感じた。先程よりも喘ぎ声を上げないのに気付いたのか、マリクが顔を上げてロベリアの表情を窺った。
「どうした。……嫌か」
 そうじゃない、と言おうとして言葉が出てこず、ロベリアは無言で顔を逸らす。マリクは首を伸ばして、ロベリアの顔に自分のそれを近づけてきた。
「言ってくれなければ分からない。ロベリア、どうしたんだ」
「あ、貴方は……経験があるの? こういうことは……」
 羞恥に耐えながら発言すると、マリクは何だそんなことかと言いたげにくつくつと笑った。笑い事ではないのに、とロベリアが睨むと、マリクは小さく謝った後、言葉を続けた。
「ないと言ったら、君は幻滅するだろうか」
「え……で、でも、あんなに多くの女性たちと……」
「あれは、向こうが勝手に惚れているだけだ。俺が好きになった女性は、ロベリア、君だけだ」
 口づけを落とされたら、ロベリアはもうどうでもよくなってしまった。麻薬のような感覚を味わいながら、再び、快楽の海へと戻ってゆく。些細なことだとロベリアは思った。彼に経験があろうがなかろうが、彼が今捧げている想いは自分に向けられているはずだ。そう、信じたい。
 濡れそぼった場所に再び指を咥えさせられて、ロベリアは喘いだ。花弁をなぞるようにして動くたび、どうしようもなく身体をよじらせ、マリクを求めてしまう。
「あっ、あぁっ、マリク――!」
 快楽が頂点に達し、ロベリアは力なくベッドに四肢を放り出した。
 ぼんやりとしたままマリクを見上げると、彼は満足そうな笑みを浮かべてロベリアを見下ろしていた。
「君のそんな顔は、初めて見た」
「あ、貴方が……貴方のせいでしょう……」
 急激に気恥ずかしさが襲い、ロベリアは視線を逸らした。
 そういえば、と今更ながらに思い出す。自分は軍人ゆえ、香水も付けていなければ化粧も薄いままだ。総統の娘として生きていた頃は欠かさなかったその二つを、今はしていない――急に、鎧も着けずに戦場に立った兵士のような気持ちになった。一帝国軍の兵士とはいえ、好きな男の前でくらい、綺麗でありたいと思うのは全女性の願望であろうに。
「君は本当に綺麗だ……ロベリア」
 落ち込みかけた心を掬い上げるように、マリクの言葉が部屋に響く。
「私、香水も……化粧も付けてないのに」
「そんなもの、必要ない。君が君でいてくれるだけで充分だ」
 言い訳するように発した言葉は、直後ばっさりと切られる。だが、それが今のロベリアには救いだった。彼にすがるようにして、腕を伸ばす。交わす視線が、互いを求め合っていた。
「ロベリア、いいか」
 マリクからの、短い問いかけ。ロベリアはすぐに頷いた。
 大仰な愛の言葉は必要なかった。そこにマリクがいて、自分を求めてくれるのならば。


 ゆっくりとロベリアの脚を開かせ、マリクはいきり立ったものをその花弁に咥えさせた。これ以上ないくらいの熱が、触れるだけで発生しているのが分かる。ロベリアはややその部分に視線を走らせながら、か細い声で問うた。
「貴方なの、マリク……」
「そうだ……ロベリア、行くぞ」
 ぬめった襞と襞の間へと、マリクの物が侵入していく。途端に襲う、強烈な痛み。誰も入ったことのないそこに、マリクは初めて侵入するのだ。慣らしたとはいえ、痛みが生ずるのは当然ともいえた。
 ロベリアが顔を歪めていると、マリクが気遣ってそれ以上入るのをやめてくれた。
「大丈夫か、ロベリア、痛いか」
「平気よ……大丈夫、だから」
「君はこんな時でさえ、強がるんだな」
 苦笑が洩れる。ロベリアはマリクの背に回す腕の力を強めた。確かに、下腹部を襲う鈍痛は消えない。だが、不思議と不快ではなかった。その鈍痛が、そして後にしみわたる甘い痺れが、マリクと繋がっていることの証だと分かっているからかもしれない。
「君の中は……熱いな。溶けてしまいそうだ」
 マリクがゆっくりと腰を動かすと、襞に擦れる感覚がして、ロベリアの下腹部に快感が満ちた。幸せだった。それまでお互い、好きとも愛しているとも言ったことのなかった相手なのに、これほどまで深く繋がりを持てるとは。
 ロベリアの目に涙が浮かんだ。それに素早く気付いたマリクが、はっとして腰を引こうとする。
「すまん、ロベリア、痛くしすぎたか――」
「違うの。違うの、マリク」
 ロベリアは腕に更に力を込め、マリクを必死で繋ぎ止めようとした。
「違うの。嬉しいのよ……貴方と、こんなふうに繋がれて」
 微笑みをこぼすと、マリクは心底安堵したような表情になり、次に嬉しそうな笑みを唇に滲ませた。
「俺もだ。ロベリア、愛している……」
 囁かれた後、彼の身体がもっと奥深くへ侵入する。
「うっ、あぁぁっ……!」
 鋭い痛み、後に快楽。相反するはずの二種の感覚が同時に襲う。襞をかき分けて昇って行ったかと思えば、引っ込められる。その繰り返しだった。
「あぁっ、だめ、マリク……!」
「ロベリア……!」
 マリクが顔を赤くして、荒い息を吐きながら腰を動かしている。その様子を冷静に見られぬまま、ロベリアは彼のなすがままにされた。息と共に発せられる快楽、そして僅かに残る発散されない快楽が、少しずつ蓄積されてゆく。
 やがてそれが許容量を超えた時、ロベリアは身体を思い切り仰け反らせた。
「あぁぁっ……! マリク、マリク――!」
「ロベリア――!」
 マリクから熱いものが吐き出された途端、ロベリアの頭の中は真っ白になった。
 自分の中でマリク自身がのたうち回るように動いているのをぼんやりと感じながら、ロベリアの目から、つうっと涙がこぼれ落ちた。
 その薄い紅の唇に、幸せな微笑みを伴いながら。
(2010.3.4)
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