Gravitation

 心を許した今であっても時折、自分の手を引く彼の力強さに驚くことがある。彼の手を握ることを決めたのは自分自身なのに、驚き戸惑い、結局彼まで戸惑わせてしまうこともしばしばだ。冬海はそれを申し訳ないと思いながらも、同時に幸せを感じていた。
「こういうのは、あんまり好きじゃないんだがな」
 苦笑しながら、土浦は向かいの席に座った。閉めますね、と言って、係員が観覧車の扉を閉めると、空間は完全な密室となった。
 冬海はどぎまぎして、なかなか顔が上げられなかった。土浦の足下を見つめ、その上にある彼の表情を想像するだけで、全身がかあっと熱くなった。
 日曜日デートで遊園地を訪れ、一通り定番のアトラクションを回った後、じゃあ最後に、と乗ったのがこれだった。小さい頃は両親と一緒に乗り、高いところから街全体を見下ろすのが楽しくて仕方の無かった観覧車。だが今は違う。この状況で外の景色を楽しむ余裕など、これっぽっちも残されていなかった。
「なんだ、緊張してるのか?」
 はっ、と反射的に上げてしまった視線の先には、笑っている土浦の顔。冬海はますます顔が赤くなるのを感じたが、視線を下げることが出来なかった。思ったより土浦と距離が近いことに気付いた途端、冬海の心臓は高鳴った。
「真っ赤だぞ、顔」
「あ、す、すみません……」
 俯きかけた冬海を、土浦の言葉が止めた。
「謝るなよ。それより――今日、楽しかったか?」
「え……」
 予想外の質問に、冬海は思わず目を見開いた。
「は、はい。とても……」
 慌てて頷くと、土浦は探るような視線を向けてきた。
「本当か?」
「は、はい」
「無理してないんだな?」
「そ、そんなこと、ありません」
 小さく首を横に振ると、土浦は真剣な眼差しで冬海を見つめた。
「冬海」
 どくん、と冬海の心臓が跳ねる。土浦の真っ直ぐな視線に捉えられると、自分は決して逃げられなくなる。怖くても、恥ずかしくてもだ。土浦の視線には、それだけの強さが込められていた。
 突然、土浦は冬海に向かって手を差し出した。それに気付いた冬海は、一瞬怪訝な表情を浮かべた。土浦の意図が分からなかったのだ。だが戸惑う冬海を後押しするように、土浦は再び名を呼んだ。
「冬海」
「あ……」
 自分は決断しなければならない、と悟った。土浦の手を取るか取らないか――冬海は視線を彷徨わせていたが、おそるおそる、土浦に向かって手を伸ばした。
 土浦の手のひらに指が触れた瞬間、土浦の腕がさっと伸びてきて、冬海の背をさらった。戸惑って声を出す間もなく、冬海は土浦の胸に抱き寄せられていた。まるで磁石の一方の極が、もう一方の異なる極を引き寄せるかのように。
 動こうにも、土浦の力強い腕に抱き締められていて、身動きが取れない。ぴたりと体を密着させると、土浦のやや荒い息づかいが間近で感じられ、冬海はどぎまぎした。
「せ、先輩……」
「何だ?」
「は……恥ずか、しいです……」
 完全な密室とはいえ、外から自分たちの様子が見えていないわけではない。ガラスを通して自分たちの姿が人に見られていたら、そう思うと恥ずかしさで全身が熱くなったが、土浦は決して、腕を緩めようとしなかった。
 恥ずかしさで死にそうになっていた冬海だが、土浦と体を密着させることに心地よさを感じていたのも事実だった。まるで一体になったような感覚。互いの心臓の音が鮮明に聞こえ、それぞれがリズムを刻む。逃れられないくらい強く抱き締められて初めて、冬海は土浦の心臓が刻む音楽を感じ取った。
 言葉など必要なかった。自分や土浦の心臓や息遣いが作り出す、一種の音楽。そして、自分を引き寄せる土浦の腕の力強さ。それを感じていられるだけで幸せだということに、冬海は初めて気が付いた。
 柔らかくて優しいものにばかり囲まれて育った冬海にとって、その力強さは強烈に冬海の心を引きつけた。最初は後戻りできなくなるような気がして、怖かった。だが今は違う。後戻りできなくなるようなところまで、土浦と共に行ってみたいとさえ思えた。
 夕日と土浦の暖かみを同時に感じながら、冬海は彼の服を強く握りしめた。
(2009.11.15)
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