炎の絆
#1 ジェラルド、去る

「――俺、旅に出ることにしたんだ。『仕事』のために」
 ジェラルドが朝家族に伝えたのは、昨日の祖父に告げられた話の全貌だった。


「……そうか、ジェラルド。気をつけて行ってきなさい」
「体には気をつけて……ちゃんと三食食べるのよ」
「また寂しくなるのう、ジェラルドがいないと……」
 ジェラルドの両親、そして祖母は話を聞かされてから頷き、そう言ってくれた。ジェラルドは一人一人の方を向いて、「うん、行ってくるよ」と答えた。
 何も言及せずに見送ろうという三人の姿勢から見るに、両親と祖母も全てを知っていたのだろう。それもそうかもしれないな、とジェラルドは心の中で納得していた。
 その後で弾かれたように椅子から立ち上がったのは、ジェラルドの姉と弟である。
 二人はジェラルドと同様に、そんなことは聞かされていなかったのだろう。まずは弟が口を開き、叫んだ。
「そんなの聞いてないよ! なんでいきなり!?」
「そ、そうよ! ジェラルドが、そんなこと――!」
 続けて、姉も戸惑いながら大声を出した。
 しかし彼らの必死の言及もむなしく、誰も何も答えなかった。否、答えられなかった。姉と弟が納得してくれるような答えを出せるとは正直思っていなかったし、そんな答えはジェラルドが仕事をやり遂げると決意した以上、ないものだとも思っていたからだ。
 沈み込んだ空気の中、そのことをまだ問いつめようと弟がジェラルドに向かって口を開いた時、見ていた父が静かに言った。
「もうやめなさい。これは変えられないことだ」
「…………っ」
 弟はそれを受けてなおも何かを言いたそうにしていたが、口をつぐんで椅子に座り込んだ。姉の方もそれに従い、こちらはうなだれて椅子に座った。
 家族全員が黙り込んでしまったところで、ジェラルドは立ち上がってもう一度言った。
「今日、行くよ。支度はもう終わってるんだ。じゃ、――行ってきます」
 家族が全員、ジェラルドの方を向いた。
「行ってらっしゃい」
 同時に声を発した家族は、それぞれの思いを込めた視線でジェラルドを見た。
 無言で何かを語りかけてくるような視線、自分を心配してくれている視線、ただ本当に悲しそうな視線、様々だったが、ジェラルドにとってはどれも辛いものだった。自分の中での決意は全く揺らがないが、家族の心の揺らぎまで直すことはできない。心配にせよ、悲しみにせよ、このことが家族にマイナスの感情を与えているということは、誰が見ても明らかだった。
 そんな家族の見送りを受け、ジェラルドは出発した。
――仕事を、やり遂げるために。




 その日の朝、ジェラルドの幼なじみの一人・ジャスミンは、母親の家事を手伝っていた。
 両親と兄を失った嵐の日から、ジャスミンは村の人々の支援を受けながらずっと生活していた。その間に一通りの家事はこなせるようになったので、両親や兄と再会を果たし、こうして村で再び暮らすようになってからは、母に「ずいぶん上手くなったのね」と感心されるほどだった。
 今日も朝食の後片づけをするのはジャスミンの役目である。ジャスミンの母はその間、いつも洗濯物を干しに外へ出る。こうして家事を分担することで、いつも早く仕事を済ませられるようになった。
 朝食で使った皿を丁寧に洗いながら、ジャスミンはふとジェラルドのことを考えた。
 幼なじみで、いつも一緒にいる時には空回りばかりしてて、少しドジな一面もあったジェラルド。
 だがその後離れ、再会してからのジェラルドは、以前とは似ても似つかぬほど変わっていた。
 ジャスミンの感想をそのまま言えば、「格好良くなっていた」のである。
 そんなジェラルドを、ジャスミンは少しずつ『一人の男』として意識していった。
 今でもその気持ちは全く変わっていない。ずっとそれを胸に秘めたまま、こうして時間は過ぎていった。
 そして、昨日の新村長の発表。
 ジャスミンは自分のことのように嬉しくて、今にもジェラルドに飛びつかんばかりの勢いだった。
 彼への想いを口にしたことは一度もないが、それでも村のために頑張る彼を陰で支えていくことができればと、ジャスミンは考えていた。
 家事も一通り終わってから、ジャスミンは外へ出た。斜めから自分を照らす陽が暖かく、ジャスミンはうんと伸びをした。いつも思うことだが、やはり朝はすがすがしくて気持ちがいい。いつもより早起きできた日などはなおさらだ。
「今日も頑張らなくっちゃね!」
 一人でガッツポーズを決め、拳を天に振りかざす。
 その後で人目がないことを一応確認してから、ジャスミンは一人でクスクス笑った。
 と、その時だった。
 視界の端に、ある人物が横切ったのは。


「あれは……ジェラルド?」
 ジャスミンの家は以前と同じく川のへりに建っているのだが、その川の向こうにジェラルドがいるのが見えた。こんな時間に外へ出ているなんて、珍しいこともあるものだ。
 そう思ったジャスミンは、ジェラルドに声をかけようとして口を開いたものの、彼の様子を見てやめた。
 ジェラルドはいつもと違い、どこかそわそわした感じで落ち着きがなかったのである。
 顔もなんだか深刻そうに見えるし、ますますジェラルドらしくない。
「どうしたのかしら?」
 ジェラルドを見ていると、彼はそのまま村の入り口へと向かっていった。
 ジャスミンは首を傾げるばかりだったが、心で決めてジェラルドを追いかけることにした。
「何かあったんだわ。聞かなくっちゃ!」




「ジェラルド! ジェラルドってば!」
 大声を発して追いかけるも、彼はなかなか気づいてくれない。
 しかし、ジェラルドよりも少し足の速かったジャスミン。やっと村の入り口のところで追いつき、彼の肩を勢いよく叩いてもう一度叫んだ。
「ジェラルド! 聞いてるの!?」
「!」
 ジェラルドはビクッとして振り返る。ジャスミンもブレーキをかけ、その場に立ち止まった。
 ジェラルドはジャスミンを改めて見回すと、口を開いて呆けたような声を出した。
「ジャスミン……?」
「もう! ジェラルドらしくないわね。どうしてそんなにぼーっとしてるのよ?」
 荒く息をつき、口を尖らせてジャスミンはそう言った。だがその言葉に、ジェラルドは何も言わずに俯いた。
 いつもならそんなジャスミンに食ってかかるのに、今日はその勢いが全く感じられないのだ。
 いよいよ何も言わなくなってしまったジェラルドを前に、ジャスミンはうろたえるしかなかった。
「え、な、何よ? どうしたの、ジェラルド?」
 返事は、ない。
「ジェラルド……?」
 ジャスミンが心配になって彼の顔を覗き込むと、彼は酷い顔をしていた。絶望に打ちのめされている、と形容すればぴったりくるだろうか。ずっと何も言わない様子なので、ジャスミンは彼の顔を覗き込むのをやめた。
 そうして、しばらく経った後。
 このやりにくい沈黙を破ったのは、ジャスミンではなくジェラルドだった。
 彼は伏せた顔を上げ、ジャスミンを見つめた。
「……ごめん、ジャスミン。俺、何もお前に言えないんだ……」
「なに、どういうこと……?」
 ジャスミンが首を傾げて追求したが、ジェラルドは首を横に振った。
 それ以上の追求はしないでくれ、ということなのだろう。
 ジャスミンはそれを感じ取ったのか、頷いて何も言わなくなった。
 ジェラルドはジャスミンの肩に手を乗せ、少しだけ辛そうな声で言った。
「俺、これから旅に出るつもりなんだ。昨日村長の『仕事』をじいちゃんから任されたから……。だから、しばらくこの村には帰ってこなくなるよ」
 ジャスミンはその言葉に驚いたように大きく目を見開き、叫んだ。
「ええ!? と、突然すぎるわよ! それに、そんな『仕事』って――」
「ごめん。俺は本当に……お前にはそれ以上何も言えない」
 ジャスミンがまたも追求しようとしてしまったところを、ジェラルドは遮った。本当に辛そうな声を出すので、ジャスミンはもう何も言うまいと決め、頷いた。
「…………ええ」
 ジェラルドは本当にすまない、といった顔をした後、口元に微笑を浮かべた。
「でも、また帰ってくるからさ。いくらかかっても、この村には必ず帰ってくる。約束するよ」
「な……なんで私と、そんな約束するの?」
 半ば泣きそうになっていたジャスミンは、涙声を必死に隠していたがジェラルドにはお見通しだった。
 ジェラルドはふっと笑って、ジャスミンを優しい目で見つめた。
「ジャスミンに待っていて欲しいから」
「バ、バカ! 私がアンタなんか待つわけないでしょ! 女を待たせるなんて、最低の男がやることなんだから! 分かってる!?」
「ああ。それでも待っていて欲しい」
 精一杯憎まれ口を叩いてみても、ジェラルドは言い返してこずに受け止めてくれた。その優しさがジャスミンにとってはくすぐったいような感覚で、変な気持ちがした。
 ジャスミンはもう憎まれ口を叩く気力もなく、涙をぬぐって、ジェラルドに身を寄せた。
「……うん、待ってるから……絶対に帰ってくるのよ、約束だからね……?」
「約束するよ」
 ジェラルドはジャスミンの体を受け止めた。そしてそっと小指を出す。それを見たジャスミンはジェラルドのしようとしていることに気づき、自分も小指を出した。
 そして、それを絡める。
 子供の頃によくやっていた、『指切り』だった。




 ジャスミンは指切りの後、ジェラルドの体から離れた。
 ジェラルドはそのまま、微かに笑ってジャスミンに背を向けた。
 そして、村の入り口の方へゆっくりと歩き出す。


 ――その日その時間、ジェラルドはハイディアを去った。
Page Top