「そうだ、兄さん。テレポートのラピス、まだ持ってる?」
「ああ、部屋に置いてあると思うが……何に使うんだ?」
「ちょっとカレイまで……ね」
ジャスミンはガルシアに意味ありげな視線を送り、ガルシアが訝る様子を嬉しそうに眺めていた。
兄とともにジェラルドの“理由”を知ることを決意した、次の日の話である。
カレイといえば、同じアンガラ大陸にある街の名前である。『商人の集う街』とも呼ばれ、この街を治めているのは大商人のハメットという男性だ。
そんな商人の街にジャスミンが行こうと思ったのは、ある考えがあってのこと。
まだ首を傾げながら、部屋からラピスを持って出てきたガルシア。ジャスミンは軽くお礼を言うと、ガルシアの手からラピスを受け取り、早速手のひらの上に置く。みなぎる力を感じ、ジャスミンは外へ出た。
精神を集中させ、ゆっくりと片方の手をラピスの上にのせる。
「テレポート!」
光が煌めき、ジャスミンの体はラピスの中に吸い込まれ、そのラピスもともに姿を消した。
「ジャスミン! ジャスミンじゃないですか!」
「久しぶりね、イワン。突然押し掛けちゃってごめんなさい」
カレイを治めるハメットの宮殿前にて。
そう、ジャスミンはイワンに会いにここまで来たのだ。
イワンとは八英雄の一人で、風の力を操ったり未来を予知したりする風のエナジストである。整った金髪の中に年相応の顔が覗いているが、唇はきゅっと引き締められており、しっかりした少年という印象を受ける。
旅をしていた頃はあまり会話を交わしたことのなかった二人だが、イワンは快くジャスミンを迎え入れてくれた。
イワンの部屋だという広い部屋に通され、ジャスミンはソファに座るようすすめられた。ジャスミンが座ると、イワンはその向かいに座った。
そして、ジャスミンは早速話を切り出す。
「イワンって、ウェイアードの歴史とかに詳しいわよね?」
「ええ。興味を持って何度か調べたことがありますよ。それがどうかしたんですか?」
「実は、いろいろと調べたいことがあって。協力してくれるかしら?」
「あ、はい。構わないですよ」
イワンはあっさりと承諾してくれたので、ジャスミンはほっと胸をなで下ろした。
それからイワンが部屋の本棚から何冊か本を選び、テーブルの上に置いた。どれも分厚く細かい字で難しいことが書いてある。こんな本に触れることなんて滅多にないので、ジャスミンは目をしょぼしょぼさせながら本をめくった。
「歴史といってもたくさんありますが……ジャスミンは何を調べたいんです?」
ジャスミンが本とにらめっこしていると、突然イワンがそう問いかけてきた。
答えようとして、咄嗟に答えに詰まる。何を答えればいいのかではなく、どう答えればいいのか迷った。
ジェラルドがいないという辺りから話した方がいいだろうか。いや、たとえ気の許せる相手であっても、あまりそのことは話したくない。そう思ったジャスミンは、一切の理由を省いて調べたいことだけを言った。
「その……村長の仕事って、昔から何かあったの?」
「村長の仕事、ですか?」
「そう。村を治めるとか、そういうこと以外に」
「そうですね……」
イワンは自分が持っていた本を脇に置き、テーブルの上に置いてあった本から一冊抜き取った。そして目次を調べ、ページを器用な手つきですらすらとめくっていく。
そのイワンの慎重そうな手と真剣な眼差しに、ジャスミンは思わず唾を飲んだ。
ふと、イワンは目的のページにたどり着いたらしい。そのページをじっくりと見据え、無言で文字を追っているようだ。ジャスミンはますます緊張した。
これで自分の求めている答えがでるかどうかは分からないが、やはり出た時のことを考えると緊張してしまう。
ジャスミンがイワンの発言を待っていると、やがてイワンが字を目で追いながら話し出した。
「灯台から光が失われてしまう前の、錬金術時代と呼ばれた頃のことが、ここに書いてあるんですが……」
「錬金術時代?」
咄嗟に聞き返したジャスミンに、イワンは本をジャスミンの方に向け、ページの上を指で丸くなぞった。
「ここなんですが……。かつて、僕たちが旅に出るまでの世界――灯台に光がなくて、地上からエレメンタルの力が失われていた時代があったじゃないですか。錬金術時代というのは、その前の、つまり今のように灯台に光が満ち、大地にエレメンタルの力があふれている時代のことを指すんです」
「なるほどね……。それで、そのことが何か村長の仕事と関係があるの?」
「村長の仕事だと書いてあるわけではないのですが、ここに僕が以前から気になっていた記述があります」
イワンはそう言うと、字の下に指を沿わせ、その部分を読みだした。
「『四大元素の力が満ちあふれていた時代に、錬金術師と呼ばれる者たちは存在した。その者たちは四大元素の力を自在に操ることができ、その力故に人々から尊敬されながらも、一方では恐怖を抱かれる存在であった。』 ……つまり、ここでいう錬金術師っていうのは、僕たちみたいなエナジストだと思うんですよ」
四大元素とは、地、火、風、水をまとめて指す言葉である。
その四大元素を自在に操れるのが、この記述にあるような“錬金術師”であり、ジャスミンたちがいうところの“エナジスト”である。
例えば、ジャスミンは火のエナジスト、イワンは風のエナジストといったように、エナジストと呼ばれる者は、四つの元素のうちの一つを自在に操る力を持った者なのである。
イワンはジャスミンが理解して頷くのを確認してから、続きを読んだ。
「『やがて、その力を悪用する錬金術師が出現し始めた。このままでは世界の平和や秩序が壊されてしまうことを危惧した錬金術師たちは、地上から四大元素の力のほとんどを奪うことに成功した。四大元素の力を封印した宝玉はエレメンタルスターと呼ばれ、錬金術師たちの手で、世界のどこかに隠されたといわれている。』 ……このどこかっていうのは、アルファ山のふもとにあったソル神殿ですよね」
「そういうことになるわね。知らなかったわ……」
ジャスミンは自分の周りにあったことなので、妙に感心しつつ頷いた。
イワンも頷いて、ジャスミンの方に向けていた本を机の上に置いた。
「この続きにもたくさん興味深いことが書いてあるのですが、ジャスミンの話とは関係がないのでここまでにして、あとは僕ができる限り簡単に説明します。それでもいいですか?」
「いいわよ。本は読まないわけじゃないけど、そういう難しいのは少し苦手だから」
ジャスミンが苦笑してそう言うと、イワンはそうですか、と少し笑って話を続けた。
「とにかく、その四大元素の力の大半が失われたことで、大陸に満ちあふれていた力もなくなったわけです。だからその時代にあった文明は、ほとんどが滅びてしまった。大陸の平和を守ろうとしてしたことが、逆に世界を破滅させてしまうという危機に陥った、というわけなんです」
部屋は、イワンの話す声だけが響いている。物音一つしないその空間にイワンの重い話も重なって、ジャスミンはこれまでにないほど心臓が高鳴っていた。次に何を言われるのだろうという緊張と、真実を知りたいという思い。ジャスミンはいつの間にか、膝の上で手を握りしめていた。
「当時存在していた村や町は、内側から腐っていく大木のようにじわじわと崩壊していきました。誰が壊すわけでもないのに、毎日ゆっくりとその破壊は進んでいったのです」
「ちょっと想像しにくいわね。勝手に村が破壊されるって、どういう感じなの?」
ジャスミンが首を傾げながら、イワンの話に口を挟んだ。ジャスミンの行動にイワンは怒りもせず頷いて、その内容を説明した。
たとえて言えば、だんだんと果実が腐っていくような現象が村で起こるらしい。
何もしていないのに建物が崩れ、室内にはクモの巣があちこちに張り巡らされ、ついにはその村は廃墟となってしまう。何度人々が建て直しても同じことの繰り返し。そんな場所に住めるわけもなく、人々は別の場所に移るしかないという。
そこまで聞いて、ジャスミンは納得したように手を打った。
「そういうこと……。そんな恐ろしいことが起こっていたの?」
「はい。この現象は、大地にエレメンタルの力が不足しているために起こる現象なんです。現在残っている遺跡と呼ばれているものは、ほとんどがその現象で遺跡となった場所です」
「そんな……」
ジャスミンは絶句した。イワンは重苦しい顔でジャスミンを見据えた。
歴史上にそんな事実があったなど、想像もしなかった。大地からエレメンタルの力が消え失せたことで、ウェイアードの大地がガイアフォールに飲み込まれる、という話はレムリアで聞いたことがあるが、エレメンタルスターが封印されたばかりの頃はそこまで深刻な事態になっていたのか。初めて知った事実に、ジャスミンは驚きを隠しきれない。
今までのイワンの話はジャスミンの聞きたかったことから外れてはいるが、ジャスミンは真剣に話に聞き入っていた。
ようやくその事実を飲み込めた後で、ずっと頭に引っかかっていた疑問をイワンにぶつける。
「――それじゃ、私たちが灯台で力を解放するまで村を保てていたのは、どういうわけなの?」
「それが、ジャスミンの最初の問いに対する答えの部分なんです」
イワンはそう言ってから続けた。
「これでは人々の存亡も危ういと感じた者たちは、錬金術師に頼みにいきました。せめて、村を存続させる力だけでも残しておいてはくれないかと……。錬金術師たちは了承し、四大元素の力を自分に受けた後、それを大地に注ぎ込む、という作業をしたのです。次第にその作業は各地に広がりました。今残っている村や町は、必ずこうした歴史があるんです」
「力を大地に注ぎ込む……?」
また、ピンとこない話である。
それにその話の、どこが答えだというのだろう。
続けざまに浮かんだ質問を口にしようとした時、イワンが説明を始めたので、ジャスミンは口をつぐんだ。
「別に、特別な儀式は必要としないんです。ただ頭の中で『手から大地に力が注ぎ込まれている』というイメージを描きながら、大地に手をあてればいい。僕たちがエナジーを操るのが手であるように、手は力を解放したり、体内に溜める時の管の役目を果たしたりするんです」
「それが、ジェラルドの話とどう関係が……」
思わず再び口を挟んでしまったジャスミンだが、イワンは頷いて続けた。
「先ほど、その行為を行ったのが錬金術師だったと言いましたよね。つまりこの行為は、エナジストにしか、それも特別力を持っているエナジストにしかできないのです」
「……どういうこと……?」
疑問と不安の混じった声をもらしたジャスミンを再び見据え、イワンは静かに言った。
「僕が思うに、その役目に選ばれたのだと思うのですよ。ジェラルドは」
ジャスミンは突然にして繋がった話に、目を丸くした。口が無意識のうちに開ききってしまい、唇は震えだした。
「だからジェラルドは旅に出た、っていうこと?」
「そうです。おそらく力を受けに……。今は各灯台を回っている、というところではないでしょうか?」
ジャスミンは驚きもしたし、また、動揺していた。
自分にも言えなかった事情というのは、こういうことだったのか。こんなことなら、何も隠すようなことではないのに――と、少々引っかかる部分もあったが、ジャスミンには頷ける事情だった。
納得する回答が得られたことで、ジャスミンはイワンに感謝の気持ちでいっぱいだった。驚きの色が差していた顔は徐々に笑顔になり、ジャスミンは口を開いた。
「ありがとう、イワン……。まさかこんなに長い話だとは思ってもみなかったけど、本当のことが知れて、ほっとしてる。ありがとう」
「いいえ、お役に立てて幸いです」
そこでイワンも笑顔を見せ、首を横に振った。ジャスミンはもう一度笑ってから、ソファから立ち上がった。
「じゃ、私そろそろ帰るわね。兄さんにテレポートのラピスを借りたままだから」
「外まで送りましょうか?」
「ううん、いいわ。本当にありがとう。じゃあね、イワン」
「はい。また良かったら来てくださいね」
イワンはジャスミンを部屋から見送った。ジャスミンはイワンの部屋を後にし、外に出てから、テレポートを使ってハイディアに帰った。
「……あれ? まだ続きがあったんですね」
イワンはジャスミンに見せていた本を見て、そう呟いてから手に取った。
何気なく読み始め、字を目で追い続けるイワンの表情が、だんだんと変わり始めた。目は次第に開き、唇が震えた。
数秒の後、何を思ったか、イワンはがばっと立ち上がっていた。
「……そんな……ジャスミン、ジェラルドは……!」
彼の声は、その手と唇と同じくらい、震えていた。
ギアナ村で風を操れるという少年の助けをかり、ジェラルドはジュピター灯台に登ってきた。今は降りてきたばかりで、ジュピター灯台のふもとに足をつけている。
いつもとは違う彼の真剣な、そして少々悲しみを含んだ目で、ジェラルドはジュピター灯台を見上げた。
「……これで、あとは一つだけだな」
静かに呟き、傍らにいる少年を見下ろす。少年はジェラルドの様子を興味深そうに眺めていた。ジェラルドは微かに笑い、少年に礼を言った。少年はその言葉を聞いて顔をほころばせ、元気良く頷いた。
そうして少年をギアナ村に送り届け、ジェラルドは静かにその村を去った。
港から船に乗って操縦している間、ジェラルドの頭にふと少女の顔が浮かんだ。
自分が村を去る時、自分のことを心配そうな目で見つめていた少女。強がるくせに、涙もろい少女。ジェラルドとはいつも口喧嘩ばかりしていたが、心の奥では信頼していた少女。
「ジャスミン……」
きっと、自分のことを心配しているだろう。
心配するあまり、自分のために涙も流したことだろう。
心配ばかりかけている上に、彼女に嘘をついているという罪悪感が、ジェラルドの心に突き刺さって消えなかった。今でも彼女のことを思い出すと、時々傷が疼く。ジェラルドは無意識のうちに胸の上の服を手で握りしめていた。
こんなに情けない男が、世界中のどこにいるというのか。
ジェラルドは握っていた手を離し、腕を下ろした。そして悲しそうな表情を浮かべて、そっと言う。
「ジャスミン、ごめんな。俺、お前との約束……守れないかもしれない――」
その言葉のあと、ふっと息を吐き、嘲るような笑みを浮かべる。
「俺は最低の男だ、ってお前なら言うんだろうな……」
その方が、どんなに楽なことだろう。
ジェラルドは自嘲気味に呟くと、それ以降は一切表情を見せなくなった。
そうしてジェラルドの船は、北へ北へと進んでいく。
――行き先は、マーズ灯台。