「ジャスミン!!」
テレポートで自分の家の前に着くなり、ガルシアの叫び声が飛んできた。
手に持ったラピスを握ったまま声のする方を見ると、ちょうどガルシアがドアを開いて外に出てくるところだった。
ジャスミンはいつもと違う兄の様子に訝りつつも、笑顔で応えた。
「どうしたのよ、兄さん。そんなに大声出して」
「それがな……メアリィが来たんだ」
「え? メアリィが?」
真剣な顔をして言うガルシアの後ろから、メアリィが出てきた。彼女もガルシア同様切羽詰まったような表情をしていて、事情の分からないジャスミンはただ首を傾げるしかない。
言葉に迷ってジャスミンが黙っていると、メアリィがジャスミンの方を向き、ほとんど叫ぶように言った。
「ジャスミン、ジェラルドが……ジェラルドが、イミルの方に来たんですの!」
その発言には仰天し、ジャスミンは目を丸くする。
「イミルに!? ということは、マーキュリー灯台に……」
「え、ええ……私がジャスミンとロビンに会って、イミルに帰った後に聞いたんですの。だから直接会ったわけではないのですが、なんだか心配で……」
「そう……やっぱり」
だんだんと冷静になったジャスミンは、イワンに聞かされたことを思い出して納得する。妙に落ち着いているジャスミンを見て、ガルシアとメアリィは首を傾げた。
ジャスミンが落ち着いていられるのは、当然そのジェラルドの行動がイワンの話通りだったからである。イワンは、ジェラルドが四大元素の力を受けるために、各灯台を回っているところではないかと言っていた。昔のように灯っている灯台の光の力は、エレメンタルスターが根本にあることで随分と強くなっているはず。きっとその力を受けに行ったのだろう、とジャスミンは思っていた。
「ジャスミン、何故落ち着いていられるんだ?」
ジャスミンの落ち着きを疑問に思ったガルシアが、ジャスミンに問うた。メアリィもガルシアの後ろで頷き、同じ事を訊きたがっている様子である。
ジャスミンは笑みまで浮かべながら答えた。
「イワンに聞いた通りだったからよ。ジェラルドがマーキュリー灯台に行ったっていう話がね」
「イワンに? お前、まさかカレイに行くために……」
「そう。だから兄さんにこれを借りたの。返すわ」
ジャスミンはそう言うと、握っていたラピスをガルシアの手のひらに置いた。ガルシアはきょとんとしつつもラピスを受け取り、ポケットの中にそれをしまった。何も知らないメアリィは、口を少し開けたまま二人のやりとりを見ている。
ガルシアは再び、ジャスミンに問うてきた。
「でも……何故灯台に? ジャスミン、イワンに聞いたんだろう?」
「うん。兄さんもメアリィも、私が説明するわ。少し長くなっちゃうけどね……」
ジャスミンはそう言うと、イワンから聞かされた話を全て二人に明かした。
「なるほど。そんなことがあったのか……」
ジャスミンが一部始終を語った後、ガルシアは一応納得したように頷いたが、眉根を寄せて何か考え込んでいるようだった。
メアリィはやはりイミル村の神官といったところか、そのような話は何度か聞いたことがあるらしい。その後で、イミルは灯台の下にあるので心配はいらないと思う、と付け加えた。
三人とも納得した後で、ジャスミンは再び口を開いた。
「どうしてジェラルドが話してくれなかったのかは分からないけれど……きっと、村の人に余計な心配をさせたくなかったんじゃないかしら。村を再建してすぐなのに、いきなりこのままじゃ壊れるなんて言ったら、混乱するだろうしね」
「そうだな……」
「そうですわね。村の人たちにとったら、村というのは唯一の帰る場所なんですもの。せっかく建て直したばかりなのに、そんな宣告は残酷ですわ」
ジャスミンは一応自分の考えを述べたし、二人もそれに頷いて納得してくれた様子だ。だが、何故かまだ頭に引っかかっていることがあった。
理由を問い詰めた時の、ジェラルドの思い詰めた表情。影が差しているかのような、あの去っていく時の後ろ姿。全てが不吉な何かを感じさせるものだった。ジャスミンは心にちくりと刺さる棘の存在を感じて、思わず胸の辺りの服を握りしめていた。
二人はちらりとジャスミンの顔色を窺い、顔を見合わせる。
少しの間沈黙があったが、メアリィが思い出したように口を開いた。
「そうですわ。私、神官の仕事があるからもう帰らないと……」
「ああ、そうか。今、忙しいのか?」
ガルシアはメアリィの声に反応してそう訊いた。ジャスミンだけは無反応だった。
メアリィは、何も言わずに考え込んでいる様子のジャスミンに再び視線を送り、すぐにガルシアの方に視線を戻した。
「一番忙しくなるのは風邪が流行る冬ですけど、今が暇かというと、そうでもなくて。ムギとヒエイだけでは心配ですし……」
「確かにそうだな。ありがとうメアリィ、わざわざここまで来てくれて」
「いいえ。何度か来ていますし、もう慣れましたもの。では、失礼しますわ」
メアリィは首を振って優しげな微笑をガルシアに向け、ちらりとジャスミンに視線を送ってから、二人に背を向けて村の入り口の方へ歩き出した。ガルシアは黙って彼女の後ろ姿を見つめていたが、ふと空を見上げた。空はいつものような夕焼け空ではなく、すぐそこまで暗雲が迫っていた。ガルシアはそれを見て、ぽつんと呟く。
「……夜、雨になるかもしれんな」
「え?」
やっとジャスミンが反応を示した。今まで何も言わなかったのに、ただの独り言に反応するとはなあ、とガルシアは苦笑する。兄の苦笑の原因を知らないジャスミンは、微かに首を傾げた。ガルシアはふっと笑みをこぼしてから、ジャスミンの背をぽんと押して家の中へと歩き出した。
「もう夕飯の時間だ。戻ろう」
「え、ええ……そうね」
兄に一歩遅れて、ジャスミンも家の中へと入っていった。
ガルシアの独り言は見事に当たった。
夕飯を食べている最中に、外で小さな音が弾けだし、それはだんだん鋭く尖った音に変わっていった。彼女らの母は窓に打ち付けられる雨を見ながら、ため息をつく。
「雨なんてねえ。明日になったら止んでくれればいいんだけど」
その言葉に反応して、ガルシアは手を止め、隣に座って夕飯を食べている妹をちらりと見た。ジャスミンも母の声に反応して、手を止めて窓の外を見ていた。
ガルシアは時折窓に打ち付ける目立った鋭い音に耳を傾けつつ、ジャスミンの横顔を見て気づいたことがあった。その音を聞くたびに、一瞬遅れてジャスミンの目がはっと見開くのだ。まるでその音に呼応しているかのように、ジャスミンの瞼はきゅっと閉じたり、開いたりした。
「こりゃ大雨だな。明日には止まないかもしれんぞ」
同じく窓の外を覗き込んだ父の声を聞いて、二人は同時にはっとし、慌てて食事に戻った。
夜空を暗雲が覆い尽くし、鋭い雨を投げかけてくる。
その音を時折気にかけながら、二人は黙々と食事を続けた。
次の日の朝。
やはり、雨は降り続いていた。
ジャスミンは起きて窓の外を見、まるで雨のせいで遊びに行けなくなった子供のように、少しだけ不満そうに口をとがらせ、ふうとため息をついた。
朝から外で響く雨のノイズだけがジャスミンの耳の中で反芻し、ついには離れなくなってしまう。ジャスミンはその音だけを聞きながら、朝食を食べ終えた。
食べ終えて部屋に戻り、窓をじっと眺めていた、その時だった。
「ジャスミン、お客さんよ。降りていらっしゃい!」
階段下から、母の大きな声が聞こえてきた。こんな時に自分に会いに来た人なんて誰だろう、と訝りながら、ジャスミンはゆっくりと階段を下りていく。
その途中、もしかしたらジェラルドかもしれない、という想像が頭をよぎったが、ジャスミンは首を振って否定した。それなら、母はちゃんと『ジェラルドだ』と言うはずだ。少し悲しくなりながらも、ジャスミンは階段を下りきった。
「ほら、ジャスミン」
母に促されて、玄関まで行ったジャスミン。なんと、玄関にはイワンが立っていた。
――しかも、切羽詰まったような顔をして。
「イワン!」
どうして、という疑問を投げかけようとしたが、喉元で言葉がつかえて、出すことができなかった。イワンの表情を見て、ジャスミンは更に喉が締め付けられるような思いがした。
イワンは息が荒かった。きっと、ここまで走ってきたのだろう。彼はずぶ濡れになっていたが、それを気遣う言葉さえ、今のジャスミンが出すことは困難だった。
「ジャスミン……」
少し経って、イワンは声を発した。ジャスミンはその声に嫌な予感を覚えて、肩をこわばらせた。場に一瞬、緊張が走った。
「なんだ、イワンだったのか」
その時、背後から低い声がして、ジャスミンは振り返った。声の主はガルシアで、母の声を聞きつけてやって来たようだ。イワンもジャスミンも、呆然としたままガルシアを見つめていた。二人の視線が一気に集中したのを受け、ガルシアは顔をしかめた。
「こんなところで立ち話もなんだから、二人とも俺の部屋に来たらいい」
突然の提案に、ジャスミンとイワンは一斉に顔を見合わせた。ガルシアは続けて声を発する。
「イワンは、ジェラルドのことでここに来たんだろう?」
「!」
「えっ! イワン、そうなの?」
ガルシアの発言に、イワンは一気に目を見開いた。彼の反応の後、ジャスミンはイワンに確認する。ガルシアのやや鋭い視線とジャスミンの問いを受け、イワンは目を伏せて黙っていたが、ついに口を開いた。
「……ガルシアの言う通りです」
「それって……でも、もう話は終わったんじゃ……?」
ジャスミンの言葉に、イワンはゆっくりと首を振った。ジャスミンははっとして言葉を失い、その場に立ちつくした。ガルシアはそんな妹をいたわるように優しく肩を持ち、同じく立ったままでいるイワンに視線を送り、ついてくるよう合図を送った。イワンはすぐに合図に気づいて頷き、三人はガルシアの部屋まで歩いていった。
ガルシアの部屋に入り、ガルシアとジャスミンはそのままベッドの上に座った。イワンにはガルシアが椅子を貸し、自分たちと向かいになるよう座らせた。
座ってから、イワンはためらいがちに口を開いた。
「――昨日、ジャスミンにした話のことですが」
ジャスミンは伏せていた目を上げ、イワンを見つめた。
「あれにはまだ、続きがありました。僕はその事実を伝えるために、ここに来たんです」
「ほう……」
ガルシアは頷いて、続けた。
「ジャスミンに話を聞いてから、ずっと疑問に思っていたことがあるんだがな。何故今のウェイアードで、エレメンタルの力が不足するようなことが起こるんだ? 俺たちの手で、既にその力は解放しているはずだ。それなのに、何故だ?」
「そういえば……そうね」
ジャスミンはそう呟いた。イワンは説明不足でした、と謝ってから続けた。
「確かに力は解放されましたし、以前よりも多くのエレメンタルの力が、この大地に注ぎ込まれていることは事実です。ですが、この地――そう、ハイディア村という場所に限っては、例外なんです」
「例外、だと?」
ガルシアは納得できないかのような声を出し、イワンは重々しく頷いた。
「アルファ山に各灯台で解放された力が集結し、極彩色の光を放つ『黄金の太陽現象』は、僕たちも実際に見ましたよね。あの現象により、力は世界に均等に振りまかれるはずでした。ですが、それを邪魔した者がいたのです」
邪魔した者、のところで、ガルシアとジャスミンはピンときた。ある一人の人物の名前が浮かび上がったのである。そして二人は、同時にその名前を発していた。
「もしかして、アレクス!?」
「アレクスか!?」
「そうです。彼は黄金の太陽現象によって集結した力を、自らの体内に吸収してしまいました。ですが彼はワイズマンを――神をも超えるような超人ではない。さすがにその力を全て体内に宿したまま、生きられるはずがないんです。あまりに大きな力を受けすぎると、僕たちの体はそれに耐えきれずに崩壊してしまう」
「つまり、アレクスはそれに耐えきれずに……」
「肉体が崩壊してしまった、ってこと?」
ガルシアに続き、ジャスミンが発言する。イワンはゆっくりと頷いた。
「それによって、彼はこの世から去りました。しかし、彼に吸収された力は戻ってこなかった。だからここには、一つの村として成り立っていくだけの力が大地には満ちていないんです。多くのエナジストがいる村や町は、なおさらです。僕たちは知らず知らずのうちに、大地から力を吸収しているのですから」
エナジストが生きていくために大地から吸収する力は、大地に満ちている力と比べれば、微々たるものである。
だが、村等の建造物がその場所に立っておくための力は、それの何倍もの力を要する。
その上そこにエナジストが密集しているなら、力が他の地と比べて消費されるのが早くなっても、おかしくはない。
イワンはそう説明した後で、更に付け加えた。
「それに、エナジストがたくさんいる場所というのは、必ず近くにエレメンタルの力が満ちる場所がありました。例えばここハイディアで言うならば、アルファ山のソル神殿です。その場所から、封印されたエレメンタルスターの力が常に振りまかれていたからこそ、今まで村は保ってこられた。ですが――」
「今、アルファ山には力の礎となるものがないってことか!」
「そうです」
ガルシアは普段と比べると、随分焦っている様子だった。ジャスミンは兄の顔に視線を合わせ、ふっとため息をもらした。イワンの話は今のジャスミンの心には重すぎて、内容も噛み砕いて飲み込むまでに、少々の時間を要することになりそうだった。
三人は、そこで一度黙った。
ガルシアの息は少々荒くなっていて、相当焦っているようだった。ジャスミンは目を伏せ、イワンは二人の様子をじっと見つめていた。
次の沈黙を破ったのは、もう黙っているのは我慢ができないと言った様子のガルシアだった。
「それで、ジェラルドは? ジェラルドが受けてくる力だけで、この村は存続していけるのか?」
「そのことで……ここからは僕の想像になってしまいますが」
イワンはそう断って、続けた。
「ジェラルドは多分、このハイディアに力を与えるための礎を築こうとしているのではないでしょうか」
「なるほど。礎をということは、つまりソル神殿に眠っていたエレメンタルスターの代わりになるようなものを作るんだな?」
「ええ。そうすれば、いつもそこから力がわき出すことになり、この村は永遠に存続していけます」
だんだんと笑顔が戻ってきたガルシアに向かって、イワンは「ですが」、と付け加えた。ガルシアはその言葉に、またもや眉根を寄せた。
「なんだ? まだあるのか?」
「それが……」
イワンはそこまで言って、二人から視線を逸らした。唇を噛み、躊躇っている様子である。ジャスミンは顔を上げて、それから言葉を発さなくなってしまったイワンを見つめた。ガルシアも隣で、少々首を傾げた。
「なんなんだ、イワン? そこまで言って、言わないのは反則だろう」
「で、ですが……」
ガルシアは厳しい口調でそう言ったが、イワンはまだ躊躇っているようだった。ジャスミンもついに我慢できなくなって、イワンに言った。
「言って、イワン。大切なことなんじゃないの?」
「…………」
イワンは自分の膝元に視線を落とし、黙った。ジャスミンとガルシアは同時に顔を見合わせ、首を傾げた。ちらちらとイワンに視線を送ってみるが、イワンはずっと顔を伏せたままだ。
「おい、イワン、いい加減に――」
ガルシアが再び厳しい口調で言うと、イワンはようやく口を開いた。
「……先程、アレクスは肉体が崩壊して亡くなったと、そう言いましたよね?」
何を訊いているのだろう、と訝りつつも、ガルシアは頷く。
「ああ。黄金の太陽現象で受けたエレメンタルの力が大きすぎて、肉体が耐えられなかったんだろう?」
「黄金の太陽現象で集められる力は、とても人間に耐えられるほどの力ではない。もちろん、エナジストとて、例外ではありません」
「一体何を――」
ガルシアが再び訊こうとすると、イワンは顔を上げ、ガルシアとジャスミンを見据えた。その瞳には、厳しい光が宿っていた。
「はっきり、言った方がいいですか?」
悪い予感がして、二人ともすぐに答えを返すことができなかった。だが今度はジャスミンがイワンを見つめ返し、こくりと頷いた。
「ええ、お願い」
「分かりました」
イワンも頷いた。
そして一呼吸置いた後、二人にとって思いがけないことを、その口から発した。
「各灯台を回って四大元素の力をその身に宿したジェラルドは、アレクスの時の状況と、何ら変わりないのではありませんか?」
「なっ……!」
「そ、そんな!」
ガルシアもジャスミンも、ベッドから思わず立ち上がっていた。イワンはそこまで言って、辛そうに目を伏せた。
ジャスミンの頭の中で、全ての出来事が繋がったような気がした。
だから、あの時ジェラルドはあんな表情で――
「つまり、ジェラルドの肉体は……それに耐えきれずに崩壊すると?」
声を抑えて、ガルシアがそう言った。だが動揺の色は隠しきれず、声と握った拳が震えていた。
「――僕がジャスミンに見せて説明した本の続きに、そう書いてありました。力を溜め込んでおくにもかなりの体力を消費しますが、力を大地に注ぐほうがより多くの体力を消費するため、務めを果たした錬金術師、つまりエナジストは、そのまま亡くなってしまうのだと……」
イワンの唇は、ガルシアのそれらと動揺に震えていた。それ以上の言葉を紡ぐのを、唇が拒否しているかのようだった。
ジャスミンはその場に立ちつくしたまま、ぽつりと言葉をもらした。
「だから、ジェラルドは何も言わないで行ったっていうの……? 自分が、自分がそうなることを知っていたから……だから――?」
「…………」
誰も、何も答えてはくれなかった。
ジャスミンは頭の中がパニックになり、震える唇で、止めどなく言葉を紡ぎ出した。
「必ず帰ってくるなんて、そんなの……死ぬためにここに帰ってくるっていうの? 自分の最期を知っていて?」
「ジャスミン……」
「死ぬために帰ってこいなんて、私、言ってない!」
ついに、ジャスミンは叫んだ。悲痛な叫びだった。
帰ってこい、というのは、何もただここに帰ってこいと言っているわけではない。生きていなければ、そしてこれからも生きる見通しが持てなければ、その言葉は何の意味も持たないのだ。
その悲しき叫びに反応して、ガルシアもイワンも一斉に彼女の顔を見た。彼女の顔は、悲しみに歪んでいた。唇が常に揺れていたが、それからなかなか言葉は出てこなかった。二人ともジャスミンを、そのまま見ているしかなかった。
しばらく経ってから、ガルシアはジャスミンの肩を持ち、なだめた。
「ジャスミン、落ち着け。ジェラルドは――」
「ジェラルドの嘘つき!」
ジャスミンは再びそう叫ぶと、二人を振りきって部屋の外へ出ていった。
「ジャスミン! 待て!」
ガルシアが慌てて追ったが、もう既に彼女の姿は消えていた。
ため息をついて、イワンのいる自室に戻ってくる。イワンははっとガルシアを見た。
「ジャスミンは?」
ガルシアは無言で首を横に振った。イワンは肩を落とし、ため息をついた。
ガルシアの部屋に残された二人は黙ったまま、あの少女の横顔を思い浮かべていた。
――悲しみに満ちた、あの顔を。
マーズ灯台の頂上。
鋭い雪が吹き付ける中、ジェラルドとプロクスの長老は、その場に立っていた。
目の前に浮かび上がる火の大きな力を感じながら、ジェラルドはその力に手を伸ばそうとした。
だが長老は、彼の背中に言葉をかけてその行為を止めた。
「お若いの。確か、あの八英雄の一人だと言ったか?」
「……そうだけど?」
「ふむ、生まれ故郷の為に、その身を……なかなかできんことじゃな」
「…………」
ジェラルドは長老の言葉を聞くのが苦しくなり、再び手を伸ばそうとした。だがその手も、再び長老の言葉によって止められた。
「良いのか? もう、後戻りは……できんぞ?」
ジェラルドは手を下ろし、く、と呻いたが、幸い雪の吹き付ける音で、その声は聞こえなかった。
そんなこと、ジェラルドだって分かっている。
祖父に告げられた通り、自分はハイディアを守って死ぬのだ。各灯台で受けてきた力を地に注ぎ込み、その力が永遠に地に満ちるように。ハイディアを去ったあの時から覚悟を決めていたのに、この老人は、どうして自分の覚悟を崩そうとするのだろう。まるで今なら逃げ出せるとでも言いたげに、自分にもう一本の道を示そうとするのだろう。
ジェラルドは覚悟が崩れるのを恐れ、長老に強い口調で答えを返した。
「ああ。後戻りする気はない」
「そうか。なら、わしは何も言わん」
それ以上言及してこなかったので、ジェラルドはほっと息をついた。
だが、ぐすぐすしてはいられない。刻一刻と、時は迫っている。
ジェラルドは下ろしていた腕をゆっくりと上げ、目の前の赤い光に手を伸ばした。
「我が身に、力を――」
今までのように、その光はゆっくりとジェラルドの方を差し、ジェラルドは目を閉じた。やがて指先から、大きな力が流れ込んでくるのを感じた。ジェラルドは火のエナジストだから、余計にその力に敏感になっている。今までより、この力は凄い、と圧倒されられてしまった。
力が注ぎ込まれている最中に、脳裏にふっと一人の少女の顔が浮かんだ。
その名は、ジャスミ――
「俺のことなんて忘れろ。俺もお前のことは、思い出したりしない!」
突然声を上げたジェラルドを、背後にいた長老はゆっくりと見上げた。長老の口が、ふと笑みの形に歪んだ。
「――どうやら、未練が残っているようじゃの」
その言葉は、ジェラルドの耳には届かない。
長老は微笑んだまま、彼の背中に優しげな目を向けた。
――四大元素の力をその身に宿し、ジェラルドはハイディアの地を再び踏んだ。